第十一章 断罪⑥
「へ、陛下?」
宰相はひどくうろたえ、無様なまでに音を立てて椅子から立ち上がった。
小走りにこちらへ来ようとする彼を目で制し、執政の君は、セルヴィアーノたちに椅子を用意させると広間の出入り口近くにゆったりと座る。
黒のローブに喪章という常の通りの姿の執政の君は、お顔にやつれは見られたものの、あくまで凛としていらっしゃった。
「どうやら、わたくしの知らないところで色々と由々しき問題が起こっているようですね、宰相フレデリール・デュ・リュクサレイノ侯爵」
張りのある声でそう仰せになると、執政の君は口許だけで冷ややかに笑んだ。蠱惑的ですらある、魔物じみた美しい笑み。不思議と公爵の笑みに似ている。
ラクレイド王家の血脈に顕れる『神の狼』の笑みなのだと、エミルナールは不意に覚る。
『執政の君は臥せっていらしたのではないのか?』
『動けないほど病みついていらっしゃるという話だった筈だが……』
抑えきれないさざめきが広がり、エミルナールたちの耳へすら届いてくる。
「あ、は……はい、その……」
宰相は額に浮いた汗を指でぬぐい、一瞬、苦しそうに左胸を押さえた。
「その……申し訳ございません。お加減のよろしくない執政の君のお心を煩わせては……と、あえて今回の件、奏上を避けておりました。お許し下さいとは申しませんが、私なりに諸般の事情を鑑み……」
「わかっておりますよ」
慈母のように執政の君はうなずく。
「宰相、あなたはあなたなりに、わたくしを気遣って下さったのですよね?わたくしがここ最近、体調が悪いのは事実ですし」
目に見えてほっとした宰相へ、執政の君は再び冷たい笑みを向ける。
「ですが今のところ、永遠に休むつもりはありませんが」
「……は?」
血の気のない顔で、宰相はポカンとする。
虚を突かれたようなその顔、芝居だとも思えない。
「永遠に休むつもりはない、と申しました」
執政の君は静かに繰り返す。
その意味がじわじわと広間中に広がり、ざわめきが高まる。
執政の君は恐ろしいまでに優しくほほ笑む。
「そもそもわたくしは決して若くないのですから、あなたに気遣っていただくまでもなく、早晩レクライエーンの御許へ逝くことになりましょう。ですから、あなたのお友達に手伝っていただくまでもありません。手伝ってくれと頼んだこともない筈です」
「どういう、意味ですか?」
茫然とそう訊く宰相の顔をじっと見た後、執政の君は目顔でセルヴィアーノへ合図する。
戒められ猿轡をかまされた赤毛の男が、近衛隊の隊員ふたりに引かれて扉の向こうから現れた。
宰相は大きく目を見張り、完全に硬直して立ち尽くしていた。
「これが誰か、ご存知でいらっしゃいますよね?フレデリール・デュ・リュクサレイノ侯爵」
宰相は血の気のない唇を軽くなめ、答える。
「アン、リ……デュクラのチュラタン侯爵家の末子、アンリ・ドゥ・チュラタンです」
「そのようですね。あなたとは個人的に親しいと漏れ聞いておりますが」
執政の君の問いに、宰相は、再び左胸を押さえながら大きく息をつき、答えた。
「あ、はあ……はい。若い頃、二年ばかりあちらで学ばせていただく機会があり、その際にチュラタン侯の屋敷に寄宿させていただいた縁で知り合いました。……彼が、何か?」
執政の君は一瞬、形だけ笑んで言った。
「彼は昨夜、わたくしの寝室へ毒液を手に忍んで来たのです。その毒液も証拠として保管しております。フレデリール、あなたのお友達はずいぶんと物騒な夜這いをかけるのですね」
「な……」
『絶句する』という言葉の見本ように、宰相はあんぐりと口を開けた。
「セルヴィアーノ子爵。アンリ・ドゥ・チュラタンの猿轡を外して下さい。彼の話も聞いてみましょう」




