第十一章 断罪③
「お待ちください!」
思わずフィオリーナは声を上げた。
悲鳴じみていたかもしれない。
「わた、わたくしは、たとえ万が一、無理矢理ラクレイドの玉座に座らされたとしても。ラクレイドのルードラ化を、認めたりしません!」
涙がにじんでくる。
怒りなのか苛立ちなのか憤りなのか、もしかすると我が身の不甲斐なさのせいなのかもしれない。
「わたくしの神は、神山ラクレイたるラクレイアーンです!それ以外の神を崇めたりしませんし、ラクレイドの民にルードラを崇めろなんて、絶対に言いません!」
言葉を重ねる度に涙があふれる。止められない。
「他の神ならまだしも、ルードラだけは絶対に嫌!ルイみたいな子供が増えるだけの、そんな教えは大嫌い!」
「フィオリーナ!」「フィオリーナ姫!」
大人たちの声が響くが、フィオリーナは激しく首を振って言い募る。
「みんな知らないからのん気なのよ、ルイは左胸に、戦士の証として刺青を彫られているのよ!あんな、あんな年端もいかない小さい子の身体に、平気で彫り物をするよう命じる神さまなんか、神さまなんかじゃない!」
急に抱きしめられ、フィオリーナは息を呑んだ。
「落ち着いて下さいませ。わかっております、わかっておりますから……」
頭の上からくぐもった声が響いてくる。背中にきつく回された両腕は、熱い。
真摯な思いの籠った音楽的なまでに美しい、この声。
(……おとう、さま)
ふっ…と、フィオリーナの全身の力が抜けた。
レライアーノ公爵……アイオール叔父さまが、抱きしめてなだめて下さったのだと、しばらくしてわかった。
「ご、ごめん、なさい。取り乱して……」
わななきながら大きく息をついた後、フィオリーナはそう言って背筋を伸ばし、笑みを作った。
腕をゆるめ、アイオール叔父さまが心配そうにフィオリーナの顔を覗き込んだ。菫色の瞳が、痛ましそうに揺れている。その瞳へフィオリーナは、小さくうなずいて言う。
「ええ……ええ、わかっています。わたくしが、何を言おうとどう思おうと関係なく、彼らは、叔父さまのおっしゃる通りのことをするでしょうね」
気持ちを静め、乱れた頭を強引に整理してフィオリーナは言う。
思い出したように、傍らにある冷めた紅茶の残りを飲み干した。
「……彼らは最悪、玉座に据えたわたくしの手足をもいででも、自由を奪った状態でわたくしを生かし、子供が産めるようになったら、ルイとの子供を作らせるでしょうね、次代の、デュクラとラクレイドの傀儡の王にする為に。この世にルードラの王国を作る為なら、彼らは何でもするんです、本当に何でも。それこそが神の御心に沿う事だって、信じているから……」
フィオリーナは軽く目を閉じる。
「もちろん、わたくしはアチラの教義をちゃんと教わった訳じゃないから、ひょっとするとルードラ教に対して間違った解釈をしている可能性もあるけど。でも、ルイの態度を見ている限り、ルードラ教にはその、不健康なというかそういう感じの危うさがあるんです」
不意に、ルイの屈託のない笑顔が、気味の悪い夢のように脳裏に浮かんだ。
己れのすることにひとかけらの疑問も持たない者の、屈託のない笑顔。それは途轍もなく恐ろしいのだと、フィオリーナは嫌と言うほど胸に刻み付けられた。
「もちろん、はじめからそのつもりでしたが」
自席に戻り、ややあってアイオール叔父さまは低い声で言う。
「フィオリーナ姫の話を聞き、改めて、ラクレイドをルードラントーの侵攻から守り抜こうと思いました」
そう言って口許だけで笑む彼は、背筋が凍りそうな冷たい空気をまとっていた。
(レクライエーンの……申し子)
久しぶりにフィオリーナは、彼の不吉なふたつ名を思い出した。
見る者が呼吸を止めそうな冷たい笑みを深め、レライアーノ公爵は言葉を続ける。
「フィオリーナ姫をここまで傷付けた彼らを、私は決して許しはしません。ラクレイドの王族の、末席を汚す者としての責務としてだけでなく。ひとりの叔父、そしてひとりの父としても……ラクレイドの子供たちを、狂った神の手先たちから守りましょう、この命に代えても」
この人は、本気で腹を立てると笑うんだ。
どこか茫然としながら、フィオリーナはそう思った。
その後、『弾劾』でどう行動するかの打ち合わせが行われた。
宰相は、執政であるおばあさまには何も知らせず、レライアーノ公爵を激しく断罪する予定だろうというのが、この場にいる者の共通の認識だった。
そしてその前後に、執政の君の命を断ちに来る可能性が濃厚だとも。
「ある程度は、彼らの計画通りに事を進めさせましょう」
安楽椅子にもたれ、おばあさま……執政の君は言う。
「わたくしにとどめを刺しに来るのは、おそらく『毒師』でしょう。後方の支援をする者を含め、外国でのこの手の作戦で、大人数で事を起こすことは考えにくいと素人のわたくしでも思います。少数精鋭、毒殺なら毒殺の玄人が手を下しにくるのではないかと」
「『毒師』その人が来るかどうかまでは断言できませんが、彼に近しい者が来る可能性は濃厚ですね。……捕まえましょう」
『犬養い』がニヤリとした。
「今まで〔レクライエーンの目〕を、散々コケにしてくれたんだ。連中に、それなり以上のツケを支払ってもらいましょう」




