第十一章 断罪②
セルヴィアーノとクリスタンが淹れてくれたお茶をすすり、フィオリーナはようやく一息つく。
暗く冷たい隠し通路を、ずいぶん長く歩いてここまで来た。
春宮のフィオリーナの寝室から冬宮の賓客の居間まで、ほぼ直線の道を通ってきたとはいえ、かなり歩いたのは事実だ。
(でも秋宮からこちらまでの方が、きっともっと遠いわよね)
秋宮は春宮の裏手で、単純な距離でいうのなら冬宮から一番遠いはずだ。
病中のかの方がそんな遠い距離を歩けるのだろうかと、フィオリーナはふと心配になる。
その時、隠し通路の扉に合図があった。
すかさずセルヴィアーノが立っていって合図を返し、扉が開かれた。
毛織物のあたたかそうな掛け物を頭からすっぽり被り、下働きの仕着せ姿の壮年の男に横抱きにかかえられておばあさま……執政の君が現れた。
宝物でも扱うように男は、上座に置かれた安楽椅子へ執政の君をそっと座らせて脇へ退いた。
男は目を上げると、フィオリーナへ軽く頭を下げて笑んだ。
『犬養い』だった。
クリスタンが執政の君へお茶を給仕する。
彼女はいつも通りに侍女の仕事をしているだけなのだが、短めの剣を腰に佩いた護衛官の姿の彼女が優雅な動作でお茶を給仕するのが、フィオリーナの目にはちぐはぐな感じがして何とも言えない気分になる。
なるほど『護衛侍女』はなり手が限られるだろう、と改めて彼女は思った。
侍女として一流の宮殿務めの上級侍女、近衛武官として一流の護衛官を同時に務められる女性は限られる。
遠い日、軽い気持ちでデュラン護衛官に、剣が好きだという彼の娘を、護衛侍女にすればいいのにと言って慌てて断られたことを、ふと思い出す。
『護衛侍女』は、男性の護衛官以上に大変なのだと思い知った。
「わざわざこちらまでご足労をいただき、恐縮です」
下座の位置で立っているレライアーノ公爵と彼のふたりの従者が頭を下げるのに、おばあさま……否、執政の君がほほ笑む。
「堅苦しい挨拶はやめましょう、レライアーノ公爵。時間は限られています」
お座りになって下さいと言いながら彼女は、優雅に茶碗を持ち上げて口へ運ぶ。が、その指先が誰の目にも明らかなくらい細かく震えているのに、フィオリーナはハッとする。
「……懐かしいわね」
ふと執政の君は遠い目をした。
「昔は冬宮でちょくちょく、ラクレイドへいらっしゃったばかりのレーンの方とお茶をご一緒したものよ。この宮は名前の通り、冬は暖かくてしのぎやすいけど、その分夏はむし暑いの。夏場にお茶に招かれ、少し困ったことがあったわね、そういえば。あれからもう三十年は経つのかしら、月日が流れるのは早いこと……残酷なくらい」
そこでふと、彼女は頬を引いて真顔になった。
「今回はレライアーノ公爵とその関係者に、多大なご迷惑……迷惑なんて言葉ですまないくらい不愉快な思いをさせてしまいましたね。『犬養い』たちから事情を聞いたのはつい最近です。臥せっていたとはいえ、国の為に命をかけて戦った英雄たちに対し、こんな仕打ちをしていたことをまずはお詫びを申し上げます」
何か言おうとした公爵を目で抑え、執政の君は言う。
「今回の命令は宰相の独断です。良く言えば慎重、悪く言えば小心な彼がこんな大胆なことをしでかすとは、思いもよりませんでした。当然彼は、それ相応の逃げ道や勝算を確保しているのでしょうけど……それでも。唐突な感じは否めませんね」
「執政の君」
『犬養い』が断りを入れ、話し出す。
「少し話しましたが、宰相殿は昔からデュクラのチュラタン侯爵家のアンリ……『毒師』の異名を持つアンリと親密です」
チュラタン侯爵家のアンリ、の名に、フィオリーナは目を見張る。
ラルーナのデュクラ王家の別荘で、執事を務めていた男だ。
『犬養い』は続ける。
「ただここ最近までは、たまに手紙のやり取りをする程度の付き合いしかなかったようなのですけど。手紙のやり取りの頻度が増し始めたのは、セイイール陛下の病状が悪化し始め、政務の多くが宰相に託され始めた頃……のようですね、我々が調べた限りでは。宰相殿がどのくらい前から、はっきり反逆を企てていたのかわかりませんがね、頭の片隅にそういう考えが萌し始めたのは……もしかするとその辺りくらいかもしれません」
「それは……」
「意外と前からだな」
執政の君とレライアーノ公爵が同時に言う。
『犬養い』はふと目を落とした。
「宰相殿の性格上、国内にいる者に愚痴は言いにくいので、若い頃からの友で外国人のアンリに愚痴を言っているのだろうと……我々も軽く考えておりました。手紙そのものも特に隠されることなく運ばれておりましたので、個人的なものであろうと。一国の宰相と、友人とはいえ『毒師』の異名を持つ胡散臭い男との手紙のやり取りを、我々はもう少し深刻に注視するべきでした」
「それは我々も同じです」
申し訳ありませんと頭を下げる『犬養い』を制し、執政の君は言った。
「と言いますか。宰相が、フレデリール個人としてアンリ・ドゥ・チュラタンと親しいらしいということは、わたくしも知らなくもありませんでしたが。ここ最近までそんなに親しいとは、まったく思っておりませんでした。この国の要人の動向に、お互い無頓着過ぎたようですね。……反省は反省として」
執政の君はすっと背を伸ばした。
病んでいるにもかかわらず、彼女の全身から不思議な覇気が発せられる。
「大事なのは今後です」
その場にいる者全員の視線が、彼女へ集約する。
どこか遠くを見るような顔で、執政の君は静かに言葉を紡ぐ。
「我が父リュクサレイノ卿が急死いたしましたが、レライアーノ公爵の弾劾は予定通り行われる様子。確かに彼は時の執政と時の宰相の父親ですけど、一侯爵家の隠居に過ぎませんから、国の大事が優先されるのはわかります。でも……妙に焦って事を進めようとしているようですね。わたくしにすら知らせずレライアーノ公爵に嫌疑を掛け、ここまで事を進めて……場合によっては、今すぐわたくしの口をふさぐつもりのようですし」
執政の君は淡々と恐ろしいことを言う。
「それは私も思いますね」
レライアーノ公爵がうなずく。
「早く決着をつけたい理由が、おそらくあちらにあるのでしょう。……ルードラントーの現王の健康状態が、あまり良くないと漏れ聞いています。その辺と関わりがあるのかもしれませんね」
レライアーノ公爵が、ふっと剣呑な感じに嗤った。
「我々を消し、フィオリーナ殿下を王にして……『ラクレイドのルードラ化』という実績が欲しいのでしょうね、デュクラとしては」




