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第十章 乱Ⅱ⑯

 エミルナールは二、三度強く首を振り、しつこく残る眠気を振り払った。

「……えーと?ない、みつ?」

 ぼけた声でそう問うと、宵の薄闇の中でタイスンは、ややあきれたように眉根を寄せた。

「たたき起こされてすぐにそんなこと言われてもピンとこないだろうがな、今まで何度も言ってるように、非常時なんだよ今は。取りあえずシャキッとしろ。ほれ」

 カップに入った湯冷ましを、ぬっと差し出された。

「まずこれでも飲め」

 やはりよくわからないまま軽く頭を下げ、エミルナールはカップを受け取って湯冷ましを飲んだ。

 程よく冷たい湯冷ましが身体に沁みる。さすがに頭が冴えてきた。

「……つまり、『犬』さんからもたらされる情報についてですか?」

 カップを返しながら訊くと、タイスンはニヤリとした。

「そういうこった」

 カップを小卓に置くと彼は、そこに乗っている見覚えのないランタンを手にした。こちらへ来る時に持ってきたらしい。まださほど暗くないのに用心深いんだなと、ぼんやりエミルナールは思った。

「……こっちから行き来しよう、コーリン。冬宮はセルヴィアーノが管轄してるが、当然みんなが『犬』じゃねえからな」

 言って彼はきびすを返すと、造り付けらしい大きな衣装箪笥の方へ向かう。

 そして、何故か開けっぱなしになっている箪笥の引き戸から、当たり前のようにタイスンは奥へと行く。

(は?え?ひょっとして、箪笥の奥に隠し通路の出入り口でもあるのか?)

 冗談半分にそう思った時、

「何してるコーリン、早く来い。あ、暗いからな、ランタンを持ってこい」

 と、箪笥の奥からタイスンの声がした。

(お、おいおい、本当にそうなのか?安物の冒険小説みたいだなあ)

 のん気なことを思いつつエミルナールは、あわてて寝台の脇の小卓にあるランタンに火を灯し、タイスンの後を追う。

 タイスンの背中越しに、どことなくよどんだ冷たい空気が流れてきて鼻腔を打った。黴のにおいが混じる冷たい空気は、明らかに室内のものと違っている。

 どこかふわふわしていた頭の中がその瞬間、ピシリと引き締まった。

 箪笥の奥には本当に隠し通路があるらしい。

 そしてこれは現実であり、小説でも何でもない。

 ここは宮殿で、それも、他国からの賓客である貴人が逗留する為に作られた宮なのだ。

 他国からの賓客は場合によれば人質であり、血なまぐさいことと決して無縁ではない。

 そういう場所に設えられた仕掛けやからくりは当然、遊びや道楽で作られている筈などない。

 エミルナールは思わず息をつめた。ぞくぞくする背筋をなだめ、軽く唇をかんで前へ踏み出す。

「足元に気を付けろよ」

 タイスンの言葉に無言でうなずき、エミルナールは慎重に『隠し通路』へと続く隠された階段を降りた。


 どこをどう行ったのかわからない。

 基本は、行きあう人がやっとすれ違える程度の細い通路を道なりに進むのだが、通路が交差している箇所が二、三あり、その都度タイスンが確信に満ちた足取りで左に右に曲がる。

 エミルナールはただひたすら、タイスンの広い背中を追いかけた。


 タイスンが足を止めたので、エミルナールも止まる。

 前方に扉があるらしく、軽く叩いて合図している。ややあって向こう側から叩き返す音がした。

 扉が開かれた。



 暗い隠し通路から外へ出ると、エミルナールは一瞬、眩暈にも似た感覚にとらわれた。

 ずいぶん明るいところだなと思ったが、灯りこそ灯っているが普通の部屋だとすぐ気付いた。

 今までの道中が暗すぎただけだ。

「よく来た、コーリン。さっそくだけど話に入ろう。そこの椅子にでも座っておくれ」

 公爵の声が響く。

 彼は窓際近くにある大きめの安楽椅子に座っていて、そばにはセルヴィアーノがいた。

 隣の寝室から着替えもしないで来たらしい、彼は、寝間着の上に暖かそうなガウンを羽織っているだけという寝起きの姿だった。


 どうやらここは、冬宮で一番大きい、いわゆる賓客の為の居間のようだった。

 豪華ではないが、上品で質のいい調度品で室内は調えられている。

 レライアーノ公爵はぐったりとした感じで安楽椅子にもたれ、疲れた顔をしていたが、声には張りがあった。

 エミルナールと目が合うと、彼はニヤッと笑って見せた。

「なかなか……予想外な面白い方向へ事態は転がっているようだよ」

 言葉とは裏腹な面白く無さそうな声だった。

「予想外……ですか?」

 勧められた椅子に座りながらエミルナールが言うと、セルヴィアーノがうなずく。

「まず今朝方、体調を崩して臥せっていたというリュクサレイノのご隠居が急死なさいました」

 セルヴィアーノの淡々とした言葉に、エミルナールは思わず目を見張る。

 確かに年配、平たく言えばかなり高齢の方ではあったが、あと十年は元気に宮廷の中で色々企みそうなというか、勢いのある御仁だった。

 その人が、急死?

「殺しても死にそうにない御仁だったのに、驚きだろう?」

 公爵が言った。

「ある意味、我々にとっては吉報もしれないが。リュクサレイノのご隠居は、頭の堅い、現実を見ないゴリゴリの保守派の老人共の首魁だ。……彼の死が老衰だったのならね」

「経緯から、毒殺の可能性が高そうですね」

 セルヴィアーノが後を続ける。

「まだ尻尾をつかんでいませんが、どうやらデュクラから来た工作員が暗躍している様子ですね」

 セルヴィアーノは頬を引く。暗い目になり、声を落として彼は言った。

「同じ毒を……執政の君にも使われた形跡があります」 

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― 新着の感想 ―
[良い点] だんだんと核心に迫ってきている感がありますね! 複雑な人間関係をきっちり書き切る手腕がすごいです! 続き楽しみにしています。
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