第十章 乱Ⅱ⑫
結局、拘束は見送られた。
黒隊が用意した馬車に、レライアーノ公爵を始めとした被疑者が乗せられる。
レライアーノ公爵用には、さすがに彼が王族なので少しはいい馬車が用意されていたが、エミルナールたちの馬車は、乗り心地ではなく頑丈だけが取り柄の馬車だった。
それも四人乗りの馬車に三人で詰め込まれ、途中宿で休むようなこともなく『連行される』のだと聞いた。
ただ、食事や休憩の為に幾つか駅を利用する予定だと説明された。
「……私がこちらの医官として務めるようになった頃から、こういう懸念はなきにしもあらずだったのですが」
馬車に詰め込まれてしばらく後、ラン・グダ医官長はむっつりと言った。
「閣下が、気にすることはないとおっしゃって下さいましたので、それに甘えておりました。他国の者、それもルードラントー人を近くに置くのは危険だと、もっと早くに、もっと強く申し上げるべきでした」
「先生に罪なんかねえよ」
やはりむっつりとタイスンは言った。
「罪があるのは、宮廷内の勢力争いでしか物事を見てねえ阿呆どもさ。こんな時期に戦勝をあげた将軍を、それも逮捕連行なんて形で王都へ呼び戻すなんてどうかしてる以上だ。……ラクレイドも長くねえな」
「タ、タイスン殿っ」
ささやき声でエミルナールは窘めた。
馬車の中に黒隊の武官はいなかったが、彼らはすぐそばで、馬に乗って馬車を取り囲んでいる。
事の真偽はどうあれ、我々は『国家反逆罪』の被疑者なのだ。こういう内容の言葉を彼らに聞かれるのは、当然よろしくない。
「ただのいねむりの寝言、ただの独り言だ。気にすんなコーリン」
タイスンは渋い顔で苦く笑んだ。彼の機嫌の悪い笑みには凄味があり、エミルナールは口をつぐんだ。
「それはともかく。私はあの方の主治医として……」
気分を変えようとしてか、ラン・グダは口調を変えた。
「この移送で体調を崩されないか、気になりますね。次の休憩を取る駅で、問診くらいはしたいんですけど……無理でしょうねえ」
タイスンがやや切なそうに目をすがめた。
「副官からもだが、将校からも下士官からも、閣下はここしばらく体調が良くないのだからくれぐれも気を付けてくれと異口同音にまくしたてられ、さすがに黒隊の連中も困惑してたな。……ここまで下の者に慕われている将軍なのかと、怖ろしいような羨ましいような気がしたろうよ、連中も」
この場にいる者もいない者もレライアーノ公爵の部下は皆、彼の健康を案じていたが。
その懸念はいい意味で裏切られた。
レライアーノ公爵の機嫌は当然最悪だったが、体調の方は最悪とは言えないようだ。
駅で食事を供された時も、少々ヤケクソっぽい雰囲気は否めないもののガツガツ……もとい、かなり食が進むご様子だった。
「……おい」
下座で共にテーブルを囲んでいたタイスンが、小声で主へ声をかける。
「いやその、食う気があるのは大いに結構だがな。ちょっとその、食い過ぎじゃねえの?今度は食い過ぎで吐いても知らねえぞ」
「……ほっといてくれ」
こめかみに青筋を立てた状態で、彼は親の仇にでも出会った形相で固くなりかけたパンを食いちぎる。
「腹が立つせいか、とにかく腹が減るんだ。大して旨くないが食えなくはない、だったらせいぜい食って、死んでも体力を取り戻してやるんだ」
「……さいですか」
あきらめたようにタイスンはそう言い、まだ手を付けていない揚げた鶏もも肉を盛った皿を、そっと主のそばへ押しやった。
そして、手を止めてぼんやりと主従の様子を見ているエミルナールの視線に気付いたか、タイスンは軽く口許をゆがめた。
「昔から、限界超えて腹が立つとやたら腹が減る癖があるんだよ、この元王子様はよ」
三人は交代で横になりながら連行されてゆく。
レライアーノ公爵はどう過ごしているのかはわからないが、独りで四人乗りの馬車を使っているのだから、三人よりはよほどゆったり過ごせているだろう。
快適には程遠いに決まっているだろうが。
フィスタから二日半。
馬車は王都へ到着した。




