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第一章 二つの遺言状⑩

 こちらへ来るようにと命じられ、大きく息をつきながらエミルナールは、貴人たちのいる円卓の近くへと進み出る。

「彼はエミルナール・コーリン。現在私の秘書官を務めてくれています。ご存知の方も多いでしょうが、彼は三年前の官吏登用試験をわずか十八歳で主席の成績で通った秀才で、特に法律に関しては生き字引と言える男です。彼に確認をさせましょう」

 レライアーノ公爵の菫色の瞳が鋭くエミルナールを射抜く。

「陛下ご直筆の、まったく内容の違う遺言状がある。この場合、どちらが有効もしくは優先されるのか、法的にはどう判断されるのかを君に聞きたい」

 エミルナールは大きく息をつき、乾いてしまう唇をなめた。

「確認したいことがございます」

 やや震えてしまったが、はっきりそう言えたことでエミルナールは落ち着き始めた。

「ご遺言状の末尾に記載された、日付はどうなっておりましょうか?」

 宰相は虚を衝かれたような顔をした後、慌てて遺言状を確認した。

「無い……ですね」

「え?」

 それは想定していなかったので、一瞬、頭が白くなった。宰相は念を押すように繰り返した。

「無いですね。どちらのご遺言状にも、日付の記載はありません」

(そんな!どういうことなのだ?)

「どうしたのだ、コーリン」

 レライアーノ公爵の穏やかな声が、混乱して絶句しているエミルナールの意識を現実へ呼び戻す。

「では……どちらのご遺言状も、無効です」


 エミルナールの言葉に、一同のざわめきが高くなる。

「お静かに!」

 レライアーノ公爵の声が、ざわめきを切り裂くように会場内に響く。さほど大きな声ではなかったが、不思議なくらいよく通った。

「どういうことか、詳しく説明を」

 エミルナールはもう一度唇をなめ、続けた。

「はい。遺言状というものは現行の法律上、作成された日付が若いものほど優先されます。王が残されたご遺言状であっても、その原理原則は変わらないでしょう。それに関する記載は『ラクレイド王国基本法』の『相続・遺言等』、第二十一条……」

「細かいことはいい、後で調べればわかることだ。何故このご遺言状が『無効』なのかの根拠を、簡潔にわかりやすく説明するように」

 冷ややかでさえある声でレライアーノ公爵は命じる。

 エミルナールは不意に、着任して一年ほど経ったある日のことを思い出す。

 書類からうっかり、大切な部分を読み落としていたことがある。それを指摘する公爵の声の冷ややかさは、ついさっきまで軽口をたたいていたのと同じ人とはとても思えない、肝の縮む恐ろしさだった。

「は……はい」

 つばを飲み込み、エミルナールはひとつ大きく息をついて気持ちを落ち着かせ、続ける。

「『作成された日付が若いものほど優先される』という原則から、遺言状の日付はとても大切な、必要不可欠の記載事項なのです。それの抜けている遺言状は、遺言状として法的には力を持ちません。たとえ……王ご自身が残されたご遺言状であったとしても。法的には、そう判断せざるを得ないのです」

 エミルナールはどうしても乾いてしまう唇をなめ、言った。

「私の申し上げることに疑問や異議をお持ちならば、『ラクレイド王国基本法』の各項目をお調べになって下さい。これは第九代ラクレイド王 シラノール陛下がご即位まもなくの頃に制定された法律です。官吏なら誰でも心得ている、ごく基本的な法律です」


「コーリン秘書官」

 苦虫をかみつぶしたような顔で老リュクサレイノが言う。

「なるほど、それはそうかもしれませんな。しかしながら、私はどうも納得がいきませんなあ。その法律はあくまで我々凡百の臣民に適用されるものであり、王たるお方の場合は少し違うのではありますまいか?私を含め、三人もの人間の前、それも時の宰相と王ご自身の母君を含む三人の前へ、王ご自身から託されたこのご遺言状が、日付の記載がないからといって無効とは……」

 老リュクサレイノは嫌な感じに笑う。

「そもそも王たるお方は、すべての法律を凌駕する『勅命』をお出しになれる唯一の方。創世神ラクレイアーンより人間を治めよと命じられた、特別なお方であらせられます。その方が直々に書面で残されたご遺言を、些末な法律を楯に無効だなどと。陛下に対するこの上ない非礼、不敬というものでは?」

「で、でも。それを言うのなら、王妃のわたくしと王女に直接渡されたこちらのご遺言状も、決しておろそかには出来ないのではないのでしょうか?」

 黒のヴェール越しにもそれとわかるほど青ざめ、王妃が声を上げる。

「わたくしはこのご遺言状をお預かりした時、ご遺言状の内容は教えていただきませんでしたが、陛下から直接こううかがいました。この遺言は国の今後、そして王妃と王女にとっての最善を考え抜いた末に書いた遺言だ、と。すぐには納得できない部分もあるかもしれないが、最後には必ず良い結果を招く、それだけを考え抜いた末の遺言だ、と……」

「王妃殿下」

 やや苛立ったように老リュクサレイノはさえぎる。

「王女殿下が王位を継ぐ、この至極真っ当な流れを否定する方のご遺言に、なぜそうこだわりを持たれるのでしょうか?もしかして、王太后陛下が後見人であることが面白くない、そういうことでありましょうか?」

「違います!」

 王妃は悲痛なまでの叫び声で否定する。

「とんでもない話です、そういうことではありません!王女の後見に王太后陛下以上に適任な方はいらっしゃいません。わたくしはただ、セイイール陛下の最後のお言葉を……」

「落ち着いて下さい!」

 落雷にも似た声が響き渡り、皆は口をつぐむ。

 レライアーノ公爵だった。


 彼はゆっくり腕を組んで軽く目を閉じ、大きく息をついた。

「困りましたね。感情的な水掛け論ではなく、もっと冷静な視点から事態を検討したかっただけなのですが」

 苛立ちを抑え込んだ彼の声音には、ひやりとするような恐ろしさがあった。その場にいたものは皆、思わず首をすくめていた。

 彼はしばらく、己れを落ち着けるように深呼吸を繰り返した後

「コーリン」

 とエミルナールを呼んだ。

「いくつか確認をしたい」

 射抜くような瞳の色に、エミルナールは息を呑む。

「『勅命』には、成立する条件や制限などがあるのか?」

「あくまでも法律に記載されている限りでは……」

 やや震えてしまう声でエミルナールは答える。

「『勅命』が成立する条件は、以下のように定められています。王ご自身が御前会議などの公の場で、諸侯臣下の面前で書面を読み上げる形で発する、と。またその書面には、発した日付と王の署名、ラクレイド王の紋章印がなくてはなりません。日付、署名、紋章印のいずれかが欠けた書面では、仮に王が読み上げたとしても『勅命』として無効と判断されます。『勅命』の乱発、偽の『勅命』を防止する意味から定められた、これはかなり古くに定められた法律です。第三代ラクレイド王 ライオナール陛下が制定された、ラクレイド王国最古の法律のひとつであります」

 ふむ、と鼻を鳴らし、公爵は続ける。

「王位の継承について言及した法律の確認もしてみようか?たしか第九代ラクレイド王 シラノール陛下が制定されていらっしゃった記憶があるのだが」

「はい」

 エミルナールは諾う。

「『ラクレイド王国基本法』と同じ頃に制定されました」

「どういう法律なのだ?」

 エミルナールは深呼吸をした後、『王位継承法』の冒頭を暗唱した。


「王位の継承順位は以下のように定める。

1 王とその正式な配偶者との、成年に達した第一子。その者は成年に達すると同時に黄金の指輪を得て立太子し、以後この者を『王太子』と称する。

2 王とその正式な配偶者との第二子以降で、成年に達し黄金の指輪を得ている者。王太子死亡の場合、これらの者は年齢順に、次の王太子となることを定める。

3 王の血を引く庶子。ただし王から正式に認められている子であり、成人後に黄金の指輪を得た者に限る。また、1、2に当てはまる者のなき場合、黄金の指輪を得た段階でこの者が王太子となる。

4 王弟、王妹のうちで成年に達している、黄金の指輪を得ている者。

5 王とその正式な配偶者との子であるが成年に達していない者。ただしかの者には成人まで、適切な後見人を付けることを条件とする。

6 王の子と認められている、成年に達していない者。ただしかの者には成人まで、適切な後見人を付けることを条件とする。

 1から6までの者のうち、公の場で即位を宣言し諸侯臣下に広く認められた者を王とする。通常王の死から一か月後に即位を宣言し、先王の喪が明ける一か年後の直近にある新年朔日に即位式を執り行い、正式に即位するものと定める。

 細則1 王の叔父や叔母など、一世代以上前の世代の者は、特別な事情を除き王位を継承する権利は消滅すると……」


「ちょっと失礼」

 苛立たしい声がエミルナールをさえぎる。老リュクサレイノだった。

「素晴らしいですな、コーリン秘書官。君は正に生き字引、生きた法律書であるご様子。さすがは王宮官吏登用試験の主席合格者、しかし……」

 老リュクサレイノは白い眉の下からじろりと、玉座の前で腕を組み、背筋を伸ばして立っているレライアーノ公爵をにらんだ。

「レライアーノ公爵。あなたの秘書官が優秀だというのはよーくわかりましたが。一体、何がおっしゃりたいのでしょうか?私には茶番にしか見えませんなあ、はっきりとおっしゃりたいことをおっしゃれば如何でしょうか?」

 レライアーノ公爵は腕組みを解き、左手を顎の辺りに当てて凄絶なまでに美しく笑んだ。左手中指に鈍く輝くのは黄金色の指輪だ。普段の彼が極力見せないようにしている、王位継承権を持つ者の証であるラクレイド王家の紋章を刻んだ『黄金の指輪』だ。

「茶番とは心外ですね、リュクサレイノ卿。私はただこの不思議な膠着状態を、セイイール陛下の臣のひとりとして穏やかに解決したい……と。そう思っているだけなのですが」

 ふん、と老リュクサレイノは鼻息も荒く冷笑する。

「しらじらしい。それに、別に膠着などしていないのではないでしょうか?あなたはしきりにご遺言状の無効を言い立てたいようですし、ご自身の正当性も主張したいご様子ですが、百歩譲ってご遺言状が無効だとしても、フィオリーナ王女殿下が王位を継がれるのが、いわゆる常識というものではありますまいか?」

「その通りですね。異論はありません」

 拍子抜けするほどあっさりとレライアーノ公爵が認めたので、老リュクサレイノは驚いて目を見張り、一瞬、言葉を失くした。


「では」

 鋭いまでに通る声が不意に響き、一同の視線がそちらへ集まった。

 カタリーナ王太后だった。

 息子に先立たれて縮んでいた、哀れな老婦人の面影はすでにない。

 すらりとした彼女の立ち姿には、かつて『王妃の中の王妃』と呼び奉られていただけの静かな威厳があった。

「レライアーノ公爵。それではわたくしが宰相やリュクサレイノ卿と共に陛下よりお預かりしたご遺言状に従い、女王となられるフィオリーナ姫に、これまで通り将軍として仕えて下さるおつもりなのですね?」

 公爵はくしゃっと破顔した。可愛らしいほどの屈託のない笑み、久しぶりに見せたくせ者の海軍将軍の笑みだ。

「ええ。最初から私はそのつもりでした。私は、それこそ幼い頃からセイイール陛下の弟であると同時に臣、でありました。お慕いし、ご尊敬申し上げておりました。我が愚息がすっぱ抜きました通り、セイイール陛下には紙将棋をはじめ敵うことは何もなかったと申せましょう。この素晴らしい方に命を捧げてお仕えしよう、ずっとそう思って参りました。王太后陛下……いえ。義母(はは)上さま。貴女は我々が、幼い頃からそういう隔てのない間柄であること、よくご存じだと思われますが」

 カタリーナ王太后はかすかに笑む。

「ええ。そうでしたね、レライアーノ公爵……いえ。アイオール。あなた方は確かに、幼い頃から仲のいい兄弟でした」

 瞬間的に和やかな空気がただよう。


 しかし公爵は不意に頬を引き、真顔になった。

「そこまでお慕いし、命を捧げてお仕えしてきたかの方から私は、お前が次の王になれと命じられてしまった訳です。法的な根拠がフィオリーナ姫の方にあればと思っていたのですが、どうやらそうとも言い切れない様子」

 そこで彼は再び、花が咲いたようにくせ者将軍の笑顔になる。

「思い出して下さいな、皆さん。王太后陛下が陛下よりご遺言状を託されたのは陛下の死の三日前、王妃殿下が陛下よりご遺言状を託されたのは陛下の死の前々日……とか。直接の日付の記載は確かにありませんが、王妃殿下に託された遺言状の日付の方が、若い、と解釈出来なくもありませんよね?ならばいっそかの方の御遺志の通り、私が王位を受け継ぐべきかと……と、何だかだんだんそんな気になって参りましたねえ」

「ついに本音を漏らされましたな!」

 老リュクサレイノが突然吠えた。

「結局は王位を我が物にしたい、そういうことではありませんか!やはりあなたは海から来た魔女の血を継ぐ息子だ、死の影をもたらす魔性、正統なるラクレイド王家の血を絶やす為に来た者だ!この……忌まわしい、レクライエーンの申し子が!」

「やめてください!」

 悲鳴のような少女の声が響き渡った。 

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― 新着の感想 ―
法治国家な感じの王政なのですね (*´▽`*) さて、どう逆転を図るのでしょうか?
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