第十章 乱Ⅱ⑧
翌日、午後。
白地に地味な黒いレースで縁取りをした、あっさりとした喪中の装いで身支度をし、フィオリーナは春宮の侍従を従えて秋宮へ向かった。
フィオリーナは起床後、支度をしながら出来るだけさり気なく、祖母の様子を周りの者に尋ねてみた。
昨夜あまり眠れない寝台の中で色々と考えたが、結局回りくどいことはフィオリーナの性に合わない。
やや唐突だが『朝方にお祖母さまの夢を見たような気がする』ことにして、聞いてみたのだ。
しかしどういう訳か、皆はっきりとした返事をしない。
昨日まで心身の状態が不安定だったフィオリーナを気遣っているのかもしれないし……何か、別の力が働いているのかもしれない。
フィオリーナは、埒が明かないことに苛立ったふりをして、さっさと春宮侍従長へ直接問いに行った。
侍従長にも王女の急な言動に戸惑う様子が見られたが、ほどなく『心労がたたったらしくここ二、三日、執政の君は臥せっている』という事実が出てきた。
「そんな……じゃあ夢は虫の知らせ?すぐお見舞いに行きます」
愕然とした顔をした後、きっぱりそう言い切るフィオリーナに、周りの者はうろたえる。
当然かもしれないし……不都合を感じている者が混じっている、のかもしれない。
「殿下。しかし、そんな急に……」
「そうね。非常識かもしれないわね」
止めようとする誰彼へ、フィオリーナは軽く目を伏せ、殊勝気に言う。
「でも、わたくしはついこの間まで体調を崩していたでしょう?迫りくる国難から比べれば小さいでしょうけど、わたくしがふさぎがちで時々臥せっていたという事実はきっと、お祖母さま……執政の君にご心労をおかけしていたと思います。そのわたくしが元気な姿でお見舞いに伺えば、かの方の御心労を少しだけとはいえ軽く出来るのではと思うの」
流行り病を患っていらっしゃるとか、そういうことではないのでしょう?
無邪気さを装いつつ問うと、否を言える者はいなくなった。
午後にフィオリーナ王女が秋宮へお見舞いに参るという言伝てが、朝食が終わる時間にはあちらへ伝えられた。
急でもあるし花を用意しにくい季節でもあるので、お見舞いは枕元に置いて心が和むようにと、お針子に命じて急遽匂い袋を作らせた。
かの方が好きな百合の香水を使うように指示する。
袋の本体部分は、柊の葉の意匠を中心にした幾何学模様の刺繍をした布を使う。半年ほど前にフィオリーナ自身が刺したものだ。
刺繍が苦手なフィオリーナが刺したにしては、驚くほど上手く出来た作品だ。
最終的にはタペストリーに仕立て、父への贈り物にしようとひと針ひと針丁寧に刺していた。
だが、仕上げ切る前に父の病状が急激に悪化し、刺繍をするような心の余裕もなくなった……。
(いけない)
思わず首を振り、よどむ気持ちを立て直す。
感傷にひたっていられる状況ではないのだから。
秋宮へ着く。
先触れを出していたので、フィオリーナたちはほどなく執政の君の寝室へ通された。
寝台に半身を起こした祖母が、淡く笑んでフィオリーナを迎える。
いつもきちんと結い上げている白髪をひとつに編んで垂らしている姿は、なんとなく少女めいて見えた。
こころなしかやつれてしまわれた気はするが、思っていたよりもお元気そうで少しほっとする。
「よく来てくれましたね、フィオリーナ。お身体の具合は如何?」
ご自分が臥せっていらっしゃるのにと思いながら、侍従に目顔で合図して見舞いの品を差し出し、フィオリーナは笑みを作る。
「お心遣いに感謝いたします。わたくしはもう大丈夫。だって……」
ひとつ、大きく息をつく。
「いつまでもくよくよしていたら、おとうさまがお悲しみになるだけだと思いましたから。少しずつ、何か新しいことでも始めてみようかとも」
「それで、刺繍を?」
笑みを深めて祖母が問うのに、フィオリーナはきまり悪そうに目を伏せる。
「あ……いえ。残念ながらこの刺繍は、実は半年前に手掛けていたものなんです」
祖母が軽い声を立てて笑う。
「あらあら、そうなの?ちょっと残念ねえ。やっとフィオリーナと、同じ趣味を楽しめると思ったのに」
「ああ……その。刺繍はこれからも練習するつもりですから、ぜひお祖母さまにご教授いただきたいと。でもそれはそれとして」
祖母に目顔で勧められたので、フィオリーナは、枕元の安楽椅子に座らせていただく。
そばの小卓へ簡単な茶菓が供された。
「今度、犬を飼おうかと思うようになったんです。わたくし、動物が好きですもの」
お茶を一口飲み、気持ちを調えて決定的な言葉を口にする。
「狼の血筋に近い、野育ちの犬を」
祖母の目が瞬間的に鋭くなり、笑みが消えた。




