第十章 乱Ⅱ⑥
犬養いはへらりと笑む。
「さすがですね、話が早い。要するにそういうことです」
セルヴィアーノが軽く眉根を寄せた。
さすがに不敬だと思ったのか、あるいはそこを明かすのはもっと後だと思ったのか、彼は犬養いを一瞬、冷たく一瞥する。
「そんな目をするなよ、坊。フィオリーナ王女殿下はすでに子供じゃないのさ。その辺の機微を見抜くのは、ウスノロな大人の比じゃないよ」
セルヴィアーノは不機嫌そうに小さく息をついた。
「『坊』はよして下さい、師匠」
「そりゃ悪かったね、子爵」
まったく悪く思っていなさそうに犬養いは言うと、頬を引いた。
「おっしゃる通りです、姫殿下。ここ最近、色々と風向きが変わってきましてね。このままでは王気を持つ方々が、不当に消される可能性が出てきたのですよ」
『消される』という穏やかでない言葉に、フィオリーナは思わず息を呑む。
「フィオリーナ王女殿下」
クリスタン夫人が不意に口を開いた。
「わたくしは本日、カタリーナ陛下付きから外されました。わたくしだけでなく、古くからお仕えしている者が、数名」
え?と小さな声が出た。
こんな中途半端な時期、それも戦が終わったばかりの今、古くから仕えている執政の君の侍女を複数名、外す必然がわからない。
むしろ、気の張る政務にお疲れである執政の君のお世話は、気心の知れた古くからの者の方が良かろう。
「一応、もっともらしい理由があります。わたくしともう一人は、薬師の資格こそ持ってはおりませんが、そちらの道に詳しいのです。近いうち、春宮での受け入れが出来次第、病のフィオリーナ王女殿下付きとして務めてくれと。他の者の場合は、高齢を理由にそろそろ現場を退いてくれとか、若い侍女たちの教育係に回ってくれとか。執政の君にお仕えしている侍女たちの年齢は、確かに高いですからね。我々が最年少です。だから、そういう話は以前から出てはいました。でも、こんなにいきなり一斉に指示が出されるのは、違和感しかありません」
「私もそれとなく、秋宮の侍従長に聞いてみましたが」
セルヴィアーノが言う。
「要領を得ません。たまたまこの時期になったのだとか、上からの指示だとか。『上』がどの辺りかと言うと、侍従長自身もはっきりわからないようですね。内方についての指示は究極、お住まいになっている貴いお方の意向で決まります。執政の君がそう指示をなさったのかもしれませんが……それならそれで、不可解です」
クリスタン夫人はうなずく。
「わたくしたちに直接その決定を告げに来たのは、内務官だったのです」
「内務官?」
内務官が宮殿の内方についての指示を持ってくるなど、フィオリーナの知る限りではあり得ない。内務官はあくまでも政務に関する官吏であり、内方を取り仕切っているのは宮内府と呼ばれるまったく別の部署。内方の人事は宮内府の管轄だ。
「あの戦勝の報告があって以来、執政の君はお疲れが出られたのか、ここ2~3日、寝台で横になっていらっしゃいます。お身体に力が入らない、とおっしゃって」
フィオリーナは目を見張った。それは初耳だ。
「お疲れが出られたのだと、我々もそう思っていたのですけど。失礼ながら、執政の君は決してお若くありませんし、古くからかの方を診ていらっしゃる侍医もそう申しておりました。ただ……それにしては色々と引っかかるのです。執政の君が体調を崩されたのは、陛下の父君のリュクサレイノ卿が、サラの白葡萄酒を手土産に持ってねぎらいに来られた時から……です」
クリスタン夫人は息をつく。
「滅多なことは申せません、なにしろリュクサレイノ卿もその場で同じ白葡萄酒を召し上がったのですから。むしろ、執政の君より多くきこしめした御様子。リュクサレイノ卿はその後、ご機嫌よろしくお帰りになられました」
「そのリュクサレイノ卿も実は今、隠居屋敷で臥せっているって情報が入って来てね。こいつはきな臭いと判断した」
犬養いは真顔でフィオリーナを見つめる。
「リュクサレイノの本邸には今、外国からの客人が隠されていましてね」
犬養いは相変わらずの真顔で淡々と言う。
「なんでも、ひどい怪我を負って着の身着のままで飛び込んで来たそうで。客人の存在はかなり神経質に隠されてますが、どうも現リュクサレイノ侯爵の個人的な知り合いらしい。無実の罪を被せられて故国から逃げてきた気の毒な方で、居所がばれると追っ手がかかるからと、侯爵が昔の誼で匿ってやってるそうでね。せめて怪我が治るまでは友人を助けてやりたいと言ってるのだそうだ……どこまで本当かは知らんが」
「もしかして……デュクラの工作員?」
乾いてしまう舌で、フィオリーナがつぶやくようにそう問うと、犬養いはかすかに口許をゆがめた。
「今のところ確証は何もないがね、姫殿下。そう考えて行動する方が、おそらく後悔しないだろうと愚考しますよ、犬の頭としては」
現リュクサレイノ侯爵は若い頃、デュクラに二年ばかり遊学していた。彼が個人的に親しくしている外国人など、デュクラ人以外おそらくいない。
デュクラ側つまりルードラントー側にとって目障りなのは、フィオリーナの即位を阻むラクレイドの大人の王族。
そして、フィオリーナは嫌と言うほど身に染みて知っている。
彼らは毒を使った陰謀を得意としていることを。
情報の切れ端から浮かぶ影に、フィオリーナは血の気が引く。
「そんな……では、リュクサレイノ侯爵はアチラの?」
「どのくらいあの方が関わっているか今はまだわかりません。単に、アチラの思惑に利用されている可能性も捨てきれません。あの方は人が善い……国の重鎮には相応しくないほど」
セルヴィアーノの言葉に、犬養いは眉をきつくしかめる。
「そういう善人ほど、たがが外れればおっかないもんだよ、坊」




