第十章 乱Ⅱ①
フレデリール・デュ・リュクサレイノ侯爵はその日の朝、屋敷へ一時帰宅した。
馬車に揺られながら彼は、ここ数日を含めたあれこれを思う。
フィスタからの速報が入ったのは夜が明け、狼煙でのやり取りが出来るようになってすぐだ。
『夜明け前に戦闘終了。損害あれど勝利。敵方司令官らを捕虜に』
夏宮に詰めていた者たちに、驚きに近い喜びのざわめきが広がった。
(海軍は機動力が高いな)
窓の外をぼんやり眺めながらフレデリールは思う。
伝達の早さから考えても、彼らがよく組織された軍であることがわかる。
おそらく、鉄壁の団結力と疾風の機動力を持つことに注力し、海軍を育てたのだろう、あの方は。
同時に、陸軍では忘れられ形骸化しているであろう、実戦を主軸とした軍としての剽悍さも叩き込んだに違いない、とも。
でなければ、精鋭でなかったにせよルードラントーの軍とぶつかり、泣く泣くでも勝てる訳がない。
(本来なら彼は、温室育ちの王子様だったのに)
とんでもない魔物に育ってしまった。
ラクレイドにとって、果たして良かったのか悪かったのか。
フレデリールにとってレライアーノ公爵は、たとえるなら癖があって扱いにくい駿馬、という印象だ。乗りこなせればまたとない走りをするが、気難しく誇り高く、馬の方が乗り手を選ぶ。
あの美しく気難しい馬を乗りこなせるのは、結局亡きセイイール陛下だけだったのだろうとフレデリールは思う。
(あの方さえ、ご健勝なら……)
あの駿馬を御し、最高の走りを引き出せる乗り手……王が、ご健勝ならば。
ラクレイドもフレデリールも、もっとまともに進めた筈だ。
恨み言じみた言葉が胸をかすめ、フレデリールは失笑する。
今更だ。
父であるシュクリールはレライアーノ公爵を蛇蝎のごとく嫌っているが、フレデリール自身はそれほどではない。
父の嫌悪はただの私怨、溺愛していた末息子を失うきっかけがレライアーノ公爵だったから……という経緯を、フレデリールは知っている。
そもそもはあの愚かな異母弟に責任のあることであり、レライアーノ公爵はむしろ被害者だ。
表沙汰にならず、リュクサレイノに非が及ばなかったのを喜ぶべき事案で、一族の頭痛の種だった馬鹿を王家が粛清してくれたのは、かえって良かったくらいだとフレデリールは密かに思っている。
(あの愚かな異母弟に、何故父上はこだわるのだろうか?)
人の親になれない自分にはよくわからない感情だ。
親とて人間、我が子に対してであっても個別に好き嫌いの感情が出てくるのは、ある程度仕方がない。
そしてフレデリールは、父にあまり好かれていない。
フレデリールの母は父の乳兄弟でもあった女で、フレデリールの祖父に当たる男爵が早死にし、家が没落したのだと聞いている。
母は男爵家令嬢とはいえ妾腹の子だった。
金も庇護者もないのなら娼館へでも行くしかない。困った母は父を頼り、やがてねんごろになった。
が、そのせいで父は、正妻であるライオラーナ夫人と不仲になった。
父としては、いずれは母に悪くない相手を見付けて片付けるつもりだったようだが、母がフレデリールを身ごもったのでそのまま世話することになった……ようなのだ。
そんな経緯で生まれた自分だ、父が自分へ複雑な感情を持つのもわからなくはない。
ただ思う。
昔馴染みの情にほだされ、母の世話をしてやったのはわからなくない。
しかし、その先は自制すればよかったのではないか、と。
つまり父が母へ手を出さなければよかっただけの話で、単にあの男の下半身がだらしなかっただけではないかという、冷めた感情が胸の底に転がっている。
(……子を作れぬ自分が言うのも烏滸がましい、か?)
父が自分を好かないのはその辺にも原因がある。
だがそれも今更な話だ。
頭髪が半ば白くなった中老が思うようなことではなかろう。
リュクサレイノの跡取りには妹の子を養子にもらった。今はその子も所帯を持って小ぶりな屋敷を構え、子ももうけている。
リュクサレイノとしては家督を継ぐ者がない訳でもないので、今後については特に問題はない。
屋敷に着いた。
もうしばらくは夏宮に詰めなくてはならないので着替えを用意させ、軽い朝食を摂りたいと命じ、用意させる。
「彼は?」
フレデリールが問うと、フレデリールが少年の頃からこの屋敷に仕えている老爺の執事の顔がやや強ばる。が、さすがに平静な態度は崩れない。
「お変わりなくお過ごしです」
「怪我の具合は?」
「跡は残ってしまいますが、もう大丈夫でしょう」
思わずフレデリールの頬がやわらかくゆるむ。
「そうか。前にも言ったように、彼には昔世話になったんだよ。長居はさせないが、せめて体調が良くなるまでは逗留してもらう。頼んだよ」
執事は微妙に顔を曇らせたが、御心のままにと答えて頭を下げた。




