幕あいの章Ⅱ 寒風の追憶⑤
クレイールが死んで、約二年。
アイオール殿下が成人の儀を終えられ、正式に王位継承権を持つ者として遇される披露目が行われた。
王太子になられる王子王女の場合はこの披露目も大々的に催されるが、かの方の場合は王家主催の私的な昼食会として催された。
それでも半ば公式の慶事、当然宰相であるシュクリールも出席していた。
クレイールを亡くした後、気力の衰えを自覚したシュクリールは、家督を長男のフレデリールへ譲っていた。
近く宰相の役職も息子に譲りたいと考えている。秋には正式に職を譲ろうと、少しずつ整理し始めていた。
その彼の前に、アイオール殿下は王族成人男子の慶事の礼装で現われた。
「リュクサレイノ卿。正式にお会いするのは初めてになりますね。もの知らずの若輩故、今後いろいろとご迷惑をおかけするかもしれません。ご指導いただけるようよろしくお願いします」
音楽的なまでの美しい声で、王子としてはへりくだった、紋切りの挨拶をする若者。父王や兄君方の声にやはり似ている。
そして。
母譲りの漆黒の髪と濃い紫の瞳をもっているが、幼さの残るその顔立ちは、ぎょっとするほど父王に似ていた。
成人前の王子王女は表に出ない上、離宮で生まれ育った彼と会うことは、シュクリールは今までほとんどなかった。先王や王太后の葬儀で、ごく幼い頃の彼を垣間見たくらいだ。
その時も、父上によく似た王子だとは思ったが……。
冷酷と紙一重の怜悧な美貌。
眉一つ動かさず、出過ぎた臣下の息子を惨殺する王者の傲り。
スタニエール王の昏い影が凝り、ここに立っているような錯覚にシュクリールは、軽い眩暈がした。
(……魔物だ。アイオールは魔女の息子なのだ!)
稲妻が閃くようにそう思った。
ようやくわかった。
あの側室は、そもそもラクレイド王家を食らう為に寄越された魔女だったのだ!
考えてみれば、醜くはないが取り立てて美しくもなかったあの南国の娘を、ラクレイアーンの申し子とすら呼ばれていた完璧なスタニエールが、子を作るほど愛したのも変な話ではないか。
スタニエールにはカタリーナのような申し分のない妃がいたし、幼い頃から二人は仲が好かった。
蛮族の娘など、それなりに扱っておけばよかったはずだ。
妻と名の付く女に手を出さないのも不自然な話かもしれないが、こういう場合ならなくもない。
レーンから来た女など、形だけ丁重に扱っていればそれで良かったはず。わざわざちんちくりんの蛮族の女に手を出さなくても、スタニエールならつまみ食いの相手などいくらでもいたし、実際つまみ食いでもいいと思う女も大勢いた。
なのにスタニエールは、レーンの女を名実ともに側室として遇し、愛した。
子供までもうけた。
そこがそもそもおかしいではないか。
レーンの女はあちらの神殿仕込みの秘技で男を骨抜きにするのだ、とか、容姿はともかく肌のきめ細かさはラクレイドの女の比ではない、俗にレーンの女を抱くと他の国の女は抱けないと言われている、ラクレイアーンの申し子もあの蜂蜜色の肌には抗えなかったのだ、とか、品のない噂話を聞いたことがある。
窘めながらもシュクリールは、王も男、そういう面もあるだろうくらいのことは思っていなくもなかった。
だが、どうやらそんな単純な話ではなかったようだ。
クレイールは私怨だけでアイオールを憎んだのではなく、無意識のうちに彼ら親子の、魔の気配を感じていたのかもしれない……。
(しっかりしなくては)
呆けていればじりじりと、海から来た魔女の息子にラクレイドは飲み込まれてしまう。
シュクリールはよろめく足をしっかり踏みしめ、どちらかと言えば小柄で、年齢より幼い雰囲気のある第三王子の、菫色の瞳を覗き込んだ。
ラクレイドの貴人にはまずない濃い色の瞳には、シュクリールに対する冷たい敵意が沈んでいた。
当然彼も、あの事件のあらましを知っているだろう。
互いの瞳を覗き込んだ瞬間、互いが互いを敵だと、はっきり認識した。
形だけ美しい笑みを浮かべ、王子は白い手袋に包まれた右手を差し出す。
その手の甲に軽く額をつける臣下の礼を取りながら、シュクリールは胸でつぶやく。
この男だけは、いずれ滅ぼす、と。




