第33話 嫌われたくない体育祭④
午後からの種目で一番の目玉と言えば、各学年ごとに行われる全員リレーだと思う。
運動音痴からすれば、戦犯が明確に分かるリレーなんて、クソくらえって感じだけど。
でも……今日は、不思議とそういう不快感は無いように感じた。
リレーの為にグラウンド内に入場した私は、走順で並びながら観覧席を探した。
観覧席の一番手前。
自分の子供の活躍を見に来た保護者達の中で、一人だけ、物凄く背の低い影がある。
キャスケットを被ったその少女は、誰かを探すように背伸びをしながら、グラウンドをキョロキョロと見渡している。
……ギンちゃんに、良い恰好を見せたい。
不純な動機だとは思うけど、好きな人にカッコイイところを見せたいと思うのは、人としてごく普通の感情なのではないかと思う。
彼女に見られていると思うと、不思議と気持ちは引き締まり、やる気が漲ってくる。
……私なんかが、リレーで良いところを見せられるなんて思わない。
けど、せめて大きなミスはしないようにしよう。
転んだりとか、バトンを落としたりとかね。
「それでは、位置についてー……よーい……」
その時、審判の先生の声がした。
私がそれに顔を上げたのと、ピストルの乾いた音がグラウンドに響くのは、ほとんど同時だった。
直後、第一走者はクラウチングスタートの体勢から、一気に駆け出す。
各団の応援の声が響き渡り、第一走者は地面を強く蹴って次の走者へとバトンが繋がっていく。
第二走者、第三走者とバトンが渡されていくのを見ていると、自分の番が近付いていることを意識して緊張してしまう。
私の走順は真ん中の方で、仮に抜かれたりしてもまだまだ挽回できる箇所。
でも、そんな意気込みじゃだめ。
ギンちゃんに良いところを見せたいなら、一位を取るくらいの気持ちで挑まないと。
……でもやっぱり緊張してきた。
手に凄く汗を掻いている気がする。
ズボンで掌を拭っている間に、私の前の人が、バトンの受け渡しを行うテイクオーバーゾーンに立つ。
彼等はさらに前の人からバトンを受け取り、次々に飛び出していく。
全クラスが走り出したのを確認すると、すぐに私と同じ順番の人がテイクオーバーゾーンの中に入っていくので、私もそれに続いて立った。
テイクオーバーゾーンの広さは二十メートル。その中で、自分や相手の走る速さに合わせて前後に移動する。
私は足が遅いので、前の方に移動しておく。
しばらくすると、私達の前の走順の人達がこちらに走って来る。
私のクラスは二位で、一位のクラスからはほんの少し引き離されていた。
三位のクラスとも距離は少し離れてはいるが……次の走る人の走力によっては、越されるかもしれない。
そんなことを考えている間に、一位のクラスの生徒がテイクオーバーゾーンの中にやって来る。
すぐに私のクラスの人もテイクオーバーゾーンに入ってきたので、私は後ろを見たまま、小走りで駆け出した。
前の人はすぐに私に追いつき、バトンを渡してくる。
それを左手でしっかりと受け取った私は右手に持ち換え、地面を強く蹴って走り出す。
一位のクラスとの距離は、本当に近かった。
距離にすると、多分五メートルも無いと思う。
越そうと思えばすぐに越せるように見えるが、どちらも全力疾走をしているこの状況では中々追いつけず、その距離感を保ったままカーブへと差し掛かる。
……後ろの状況が分からない。
今、私は追いつかれているのか? 後ろの人はどれくらい後ろにいるのだろう? どうやったら前の人を追い越せる?
色々な思考が脳内で駆け巡る中、私は必死に地面を蹴り、前の人に追いつこうと必死に足を動かす。
でも、このままじゃ、追いつくことなんて……。
「みかぁぁぁぁんッ!」
カーブを曲がり切る直前に、そんな声がした。
各団や保護者の応援の声の中に紛れた、私の愛した声。
一瞬視線を向けそうになるが、すぐに私は前を見る。
彼女を気にしている場合じゃない。今は、リレーに集中しないと……。
「負けるなぁぁぁぁッ!」
……続いて聴こえた声が、弱っていた私の心を奮い立たせる。
高鳴る甘い鼓動の音が、私の足を動かす原動力に代わる。
どんなドーピング薬も、好きな人の声には勝てないと思う。
負けるな。その一言だけで、私の体に力が漲ってくるのが分かる。
カーブを曲がり切り、後は直線を走り切るだけ。
私は一気に強く地面を蹴り、次の走者に向かって駆ける。
さっきまでよりも体が軽くなったような感じがして、走る速度がみるみるうちに上がっていく。
気付けば、私の前を走っていた走者はいなくなっていた。
次の走順の人達がテイクオーバーゾーン内で並ぶ中、私のクラスの人が、一番内側に並んでいた。
「はいッ!」
声を張り上げ、私は次の走者にバトンを渡した。
相手がバトンを受け取り走り出すのを尻目に、私はグラウンドの中へと駆け込んだ。
足を止めると、途端に呼吸が荒くなり、汗が噴き出してきた。
私は膝に手を当て、何度も深呼吸を繰り返した。
呼吸を整え、一通り汗を拭い終えると、私はパッと顔を上げた。
すると、観覧席にて、こちらをジッと見ているギンちゃんと目が合った。
彼女は私と目が合うなんて思っていなかったのか、ギョッとした表情を浮かべた。
しかし、すぐにニッと笑い、こちらに向かってグッと親指を立ててきた。
だから、私は笑い返し、同じように親指を立てた。




