第33話 本当になりたいもの
十五分オーブンで温めて、しばらくケーキクーラーという物で冷まし、クッキーは無事に完成した。
その工程はほとんど沙織がやってしまった。
かなり手慣れていたからお菓子作りをしたことがあるのかと聞いたら、無いと言う。
マジか。
「え、バレンタインとかは?」
「お母様やお父様は甘い物がお好きではないですし……学校には渡す友人などいませんでしたから」
何気ない質問が、生徒会長を傷つけた。
無表情で答える沙織に明日香は「しまった」と言いたげな表情を浮かべる。
ぼっちにそういうリア充イベントを突き付けるんじゃないよ、と内心同情していた時、明日香が突然沙織の肩を掴んだ。
「こ、今年のバレンタインは、僕にチョコ頂戴!」
「えっ……」
「僕は、沙織のチョコが、食べたい!」
沙織の目を真っ直ぐ見ながら言う明日香に、沙織は顔を真っ赤にした。
あぁ、クッキーの皿は私が持っていて良かった。そして尊いですありがとうございます。
内心合掌をしながら、私はキッチンを出た。
「……でも、バレンタインまでに日本に帰れるか分かりませんよね」
「えっ」
コラ! 現実を突きつけるんじゃありません!
背後から聴こえた声に内心説教をする。
ていうかバレンタインまでに帰れなかったら、この世界でバレンタインをやれば良いじゃないか。
……あれ、そうなると私の場合、若菜からチョコが貰えない?
早く日本に帰る理由が一つ増えたところで、私は蜜柑が待っているテーブルの前に着く。
蜜柑は大分体力が回復したのか、ソファに座っていた。
「あ、出来たんだ」
「一応。とりあえず焼き方は充分」
私はそう言いながら、テーブルにクッキーが乗った皿を置く。
すると蜜柑は身を乗り出し、それを覗き込む。
少なくとも、見た目はごく普通の美味しそうなクッキー。
……生地の色からは考えられないね。
「しかし、本当にあの生地から出来たものなの?」
「色合いに雲泥の差がありますね」
訝しむような目で言う二人に、私は苦笑する。
それから蜜柑の隣に私が座り、向かい側に明日香と沙織が座る。
一人一枚ずつクッキーを手に取り、実食。
「いただきまーす!」
明日香は明るい声でそう言い、クッキーを齧る。
隣では、沙織が静かに「いただきます」と言って、同じくクッキーを齧る。
サクサクと咀嚼する二人を、つい、蜜柑と私はジッと見つめる。
二人はしばらくクッキーを味わった後で、パァッと明るい笑顔を浮かべた。
「美味しい!」
最初に反応をしたのは、明日香だった。
彼女はそのまま残ったクッキーを口に入れ、満足そうな笑顔を浮かべる。
「素朴な味わいですが、シンプルで優しい味……凄く美味しいです」
沙織の言葉に、私と蜜柑はハイタッチをする。
明日香はもう一枚に手を出し、口に入れて笑みを零す。
「ホント凄く美味しい! 葉月と蜜柑が作ったの?」
「いや、私は生地を混ぜただけ。ほとんど蜜柑だよ」
「ううん。私達二人で作ったんだよ」
「いや、私は……」
「ハイハイ。そういう夫婦漫才は良いから」
「……夫婦……?」
明日香のツッコミに、私はつい聞き返す。
すると明日香は「どした?」と聞き返してくる。
……いや、多分私と蜜柑のやり取りを客観視したらそうなるだけだろう。一種のジョークだ。
私はそう判断し、視線を逸らして「別に」と答えた。
いや、流石に蜜柑と夫婦はあり得ない。おこがましい。
蜜柑には私より相応しい相手がいる。
今の所彼女のカップリングは考えてないけど……いっそトップスリーで三角関係とか?
「……そうだ。今朝話そうと思っていたことなんですけど……」
その時、沙織が話題を変えるようにそう言った。
何の話だろうと不思議に思っていると、沙織は自分のアリマンビジュを視線の高さくらいまで上げて、続けた。
見ると、その宝石の下部分に光が溜まっていた。
「コレ……昨日の戦いで、光が溜まっていました」
「それは、沙織が敵を倒したから……」
「……この光は、私達三人で同じくらいの量が増えていました」
沙織の言葉に、私は何を言おうとしているのか察する。
すると沙織は頷き、続けた。
「つまり、この光は敵を倒した時に変身していた魔法少女に平等に配分されるものと考えて良いでしょう」
「溜まる量は僕の時より少なかったから、多分本来の経験値が三等分された……と考えるのが、妥当かな」
明日香の言葉に、私は「なるほど……」と呟き、腕を組む。
じゃあ、仮に私が変身したら本来の経験値が四等分されるということ?
てか、あっさり経験値ってことになってるけど、本当にこれは経験値なのかなぁ。
まぁ、今はいっか。何より、沙織がそれで納得してるんだし。
「ほへひひへほ、ほおふっひいほんほほひひい(それにしても、このクッキーホント美味しい)」
話を遮るように、明日香が言った。
見ると、彼女は頬いっぱいにクッキーを頬張っていて、モグモグと咀嚼していた。
……リスみたい。
「明日香、口に物を食べた状態で話さないでください。行儀が悪いです」
「ゴクッ……いや、このクッキー美味しいなって。手作りとは思えないくらい」
「……そういえば、明日香は手作りとかしないのですか?」
「んー……一時期ちょっとやったんだけど、全部紫になっちゃうから」
沙織の質問にそう答え、クッキーを一枚手に取り齧る。
……紫……?
料理を手作りして紫になるという概念がサッパリ分からず、私は首を傾げた。
しかし、そうなると本当に、この中で一番料理が上手なのは蜜柑なのか。
「この中では、一番蜜柑が良いお嫁さんになりそうだね」
「ふぇ!?」
私の言葉に、蜜柑は顔を真っ赤にして驚く。
食べかけのクッキーが彼女の手から落ちて、テーブルにぶつかって砕ける。
あれ……何か変なこと言っちゃったかな……?
「え、は、葉月ちゃん……? 急に、何を……?」
「いや、だってこんなに料理上手だし。家事とかだってよくやるみたいだから、家の事とか出来そうだし……あと、顔も可愛いし、性格も良いし……」
とりあえず思いつく限り褒めてみると、蜜柑は顔を真っ赤にして両手で自分の顔を手で覆った。
……褒められ慣れていないのだろうか。
そんなことを考えながら、私は食べかけていたクッキーを口に入れ、噛み砕いた。
うん。美味。
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<蜜柑視点>
夜。風呂を上がった私は、髪をタオルで拭きながら葉月ちゃんとの部屋に入る。
「葉月ちゃん、お風呂上がった……よ……?」
そう声を掛けながら顔を上げた時、私は言葉を失う。
部屋の中には、机で突っ伏している葉月ちゃんの姿があった。
「葉月ちゃ……!」
頭の中が真っ白になり、私は葉月ちゃんに駆け寄った。
それから体を揺すろうとした時、寝息が聴こえた。
……寝て……る……?
「……なんだ……」
ただ居眠りをしているだけだと気付いた瞬間、肩から力が抜ける。
しかし、明日香ちゃんの番もあるし、起こさないと。
そう思って彼女の肩に触れようとした時、昼間のことを思い出した。
『不謹慎……だよね。でも、私は林原さんと……こ、ここ……』
『私も、山吹さんと友達になりたいよ』
……友達……か……。
あの時は流されて、私も友達という立場に甘んじてしまった。
でも、本当になりたかったのは、友達じゃなくて……。
「……葉月ちゃん」
私は葉月ちゃんの名前を呼び、彼女の髪に触れた。
綺麗な黒髪。艶やかで、サラサラしている。
少し髪を掻き分けると、葉月ちゃんの綺麗な頬が見える。
私はそれに顔を近づけ……――
「……若菜……」
――ようとしたところで、葉月ちゃんが声を漏らした。
それに私は反射的に身を引いた。
すると葉月ちゃんは瞼を開き、パチパチと瞬きをした。
「……あれ、寝てた?」
「うん。グッスリ」
「マジかぁ……あ、お風呂上がったんだ?」
「うん。次は葉月ちゃんの番だよ」
「そっか。ごめん。ありがとう」
そう言って葉月ちゃんは机の上に置いていた本を閉じ、部屋を出る。
私はそれを見送りながら、自分の唇に手を当てた。
……今、私は何をしようとしたんだろう。
ほとんど無意識。そして、友情を壊しかねない行為。
……私が本当に葉月ちゃんとなりたいのは、友達じゃなくて……――。




