第14話 好きな匂い
「よしっ……っと」
三角巾を頭に巻き、私は小さく呟く。
ギンちゃんに助けられたあの日から、一切お菓子作りなんてしてこなかったので、このエプロンを着るのは久しぶりに感じる。
お姉ちゃんが小学生の時に家庭科で作ったという、オレンジ色の生地にミカンとレモンのアップリケが施された、可愛らしいエプロン。
彼女が私達を思って作ってくれたということが伝わって来て、温かい気持ちになる。
……小学生の頃のお姉ちゃんのサイズが今の私にピッタリ合うことだけを除けば、これは、私にとって大切な宝物だ。
「ふぅ……」
私は小さく息をつき、目の前にある材料を見つめる。
まずボウルを用意して、卵、上白糖、はちみつを入れる。
そして、泡立て器で、気泡が入らないように気を付けながらかき混ぜる。
ある程度混ざった頃を見計らい、薄力粉とベーキングパウダーを合わせて振るったものを入れ、混ぜる。
こちらも混ざってきた頃に、レモンの皮をすりおろしたものも入れ、混ぜる。
お菓子作りをしてきたおかげで、腕力だけは無駄にある。
何度も何度もボウルを混ぜても、まだ体力には余裕があった。
慣れていない人だと、これくらい混ぜただけで疲れたりするからね。
私だって、お菓子作りを始めたばかりの頃は、よくへこたれていたものだった。
『……伊達に器用貧乏やってないよ……』
「ッ……」
脳裏に過る光景に、私は一瞬、体を硬直させた。
……今のは……一体……?
見覚えのない台所で、疲れた様子で腕を擦る女の子。
顔は覚えていない……けど……見覚えがような気がした。
もしかして、あれが……私の大切な、誰か……?
「……」
ずっと探し求めていた誰かの記憶を思い出したのかもしれない。
そんな期待感から、私は手を止め、こめかみの辺りに手を当てて記憶を探る。
しかし、それ以上彼女についての記憶は一切思い出せず、思い出そうとすると記憶に靄が掛かるような感覚があった。
クソッ……折角、思い出したのに……。
私は舌唇を小さく噛みしめながら、無塩バターを湯煎に掛ける。
お湯が入った大きなボウルに、バターが入った小さいボウルを入れ、浮かせる。
それからゴムベラを持ち、バターを軽くかき混ぜつつ、溶かしていく。
溶けたバターを生地の材料が入ったボウルに入れ、かき混ぜる。
これで生地は完成だ。
私はそれを絞り袋の中に入れ、冷蔵庫の中に入れて休ませる。
これで、しばらくはすることが無くなったな……。
けど、休んでいる場合では無い。
私はオーブントレイを取り出し、そこにマドレーヌの型を並べた。
並べた型一つ一つにバターを塗り、粉をはたいておく。
これで、型の準備は完了。後は生地を休ませるまで、することはない。
型にバターを塗ったり粉をはたいたりするのに、三十分程の時間を使った。
あと一時間半くらいはすることがない。
ひとまず私は、ボウルや泡立て器など、生地を混ぜる際に使った道具を洗うことにした。
諸々の道具を水に浸し、洗剤を付けたスポンジで洗う。
材料を測るのに使った軽量スプーンや計量カップなども含めると、かなりの量がある。
それ等を一つずつ丁寧に洗っていた時だった。
「……蜜柑?」
名前を呼ばれ、私はパッと顔を上げた。
すると、台所の入り口で首から上だけを出しながら、こちらを見るギンちゃんの姿があった。
それに、私は手を止め、「ギンちゃん」と名前を呼んだ。
「どうしたの? 買った物の整理をしたりとかは……」
「……柚子と檸檬に任せた。私じゃ、どこにどれを置けば良いのかとか、分からないし……」
「……でも……」
「それより、蜜柑がどうしているかの方が、気になったから……」
どこか恥ずかしそうに顔を赤らめ、目を伏せながら、ギンちゃんはそう言った。
彼女の言葉に、なんだかこちらまで恥ずかしくなる。
私は水道の方に顔を向け、「そっか」と言いながら、洗い物の続きを再開する。
すると、ギンちゃんは私の隣に並んで、私の手元を覗き込んで来た。
「ぎ、ギンちゃん……?」
「……マドレーヌ……どんな感じ?」
どこか歯切れの悪い聞き方に、私は少し考える。
これは……進捗を聞いているってことで、良いのかな……。
「……順調だよ。今は生地を冷蔵庫の中で休ませてるから、しばらくは暇」
「……そっか」
「うん。まぁ、後は型に生地を入れて焼くだけだから、ほとんど完成したようなものなんだけどね」
「ふーん……」
私の言葉に、ギンちゃんはそう呟きながら……背中から、私に抱きついて来た。
背中に感じる華奢な体に、私はビクッと体を硬直させる。
「ぎ、ぎぎギンちゃんッ!?」
「んー?」
「ちょ、ちょっと……何を……」
「……だって……することないし……」
小さく呟きながら、ギンちゃんは私の背中に額を当てる。
突然の密着に、私は動揺してしまう。
……いやいやいやいや……家族なんだから、これくらい普通だよ。
檸檬だってたまにこういうイタズラしてくるし、私だって小さい頃はお姉ちゃんにやってた。
普通のことだ。動揺する必要なんて……。
「……蜜柑って良い匂いするね」
小さく言いながら、ギンちゃんは私の背中に頬をスリスリと当てる。
動揺するな。平常心、平常心。
私は少し深呼吸をしてから、口を開いた。
「……お菓子作ってるからね。その匂いだよ」
「……そっかぁ……」
小さく呟きながら、ギンちゃんは私の体を抱き締める力を、少しだけ強くした。
……まるで、今まで甘えられなかった分を補おうとしているような、そんな……必死さを感じた。
「……この匂い……好き……」
どこか甘えたような声で言うギンちゃんに、私は無言で洗い物を続けた。
本日1月26日にて、『異世界で魔法少女始めました!』は一周年を迎えました!
文字書き歴はそれなりにある方なのですが、こうして一年以上掛けて一つの作品を書いたというのは初めての経験で、正直凄く嬉しいです。
ここまで続けられたのも、ここまで読んで下さった皆様のおかげです。本当にありがとうございます!
この作品はこの蜜柑とギン編でラストになりますが、是非、最後までお付き合いして頂けると幸いです。よろしくお願いします!
(追記)一周年を記念して、今日から二月二日までの一週間は毎日投稿を行います。




