第4話 薄れる虚無感
翌日学校に行くと、クラスの子に足の怪我のことを心配された。
軽い擦り傷は大分治っていたので絆創膏は外していたのだが、傷自体は残っていたし、何より膝に貼った大きな絆創膏が目を引いてしまったらしい。
大した事無いと話すと、皆それ以上は言及せずにいてくれたけど。
結局私は、心の中に蔓延る虚しさの正体も分からぬまま……ギンちゃんにも、会えないまま。
いつもと同じように授業を受け、いつもと同じように友達と話し、いつもと同じように通学路を歩いて帰る。
いつもと変わらないはずなのに……私の胸の中には、虚無感だけが広がる。
「……ただいま」
小さく挨拶をしながら、私は玄関の扉を開ける。
すると、玄関には檸檬の靴と……見覚えの無い靴があった。
……友達でも来たのかな……?
でも、この靴は見覚えが無い。
サイズはかなり小さくて……正直、檸檬よりもかなり年下なのではないだろうか。
そこまで考えて、私の中に、一つの仮説が浮かぶ。
すぐに私は靴を脱ぎ、パタパタと早歩きで廊下を進み、リビングの扉を開けた。
「でさぁ……あ、みぃ姉おかえりぃ」
リビングに入った私を見て、檸檬はそう言ってヒラヒラと手を振る。
私はそれに「ただいま」と言いながら、ゆっくりと、彼女の対面に座る少女を見た。
「……お邪魔……してます……」
絞り出したような小さな声で言ったのは……ギンちゃんだった。
彼女の姿は、昨日見たものから何も変わっていなかった。
綺麗な銀髪も、透き通るような青い目も、見たことない服も……何一つ変わっていなかった。
「ギン……ちゃん……」
小さく、私は名前を呼んでいた。
彼女を見た途端、色々な感情が込み上げてきて、上手く言葉に出来なかった。
何を言えば良いのかな?
昨日助けてくれたことへの感謝?
なんでここにいるのかという質問?
仲良くなりたいという意思?
それとも……それとも……。
「あぁ、やっぱりこの子がギンちゃんだったんだぁ」
グルグルと巡る私の思考を遮るように、檸檬が口を開く。
彼女の言葉に、私とギンちゃんは、同時にビクリと肩を震わせた。
すると、檸檬は頬杖をつきながら続けた。
「学校から帰ったら、なんかこの子が家の周りをウロウロしててさ。髪とか目を見て、もしかしたらこの子がギンちゃんなんじゃないかなーって思って、家に入れたの」
「……」
檸檬の説明に、ギンちゃんはどこか居心地悪そうな様子で目を伏せた。
私は「そうなんだ……」と言いながら鞄を肩に掛け直し、じっくりとギンちゃんを眺める。
そういえば、こうして落ち着いてギンちゃんのことを観察出来る機会なんて、初めてだな。
綺麗な銀色の髪は、部屋の電灯の光に照らされ、キラキラと輝く。
気まずそうに伏せたその目は、まるで快晴の空のような、透き通るような青色をしていた。
長い睫毛がその目に掛かり、物憂げな雰囲気を漂わせている。
正直、この子は絶対、大人になったら美人になると思う。
「……みぃ姉?」
ギンちゃんをジッと観察していた時、檸檬に名前を呼ばれた。
彼女の言葉に私はハッと我に返り、慌てて目を逸らしつつ、口を開いた。
「えっ……と……あ、そうだ! 折角来たんだし、何か飲み物出すね!」
テーブルに特に飲み物が無いことから、私はすぐにそう言って、台所に向かう。
とりあえずギンちゃんは子供だし……ジュースで良いかな。
私は冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取り出し、コップに注いだ。
後は……と、冷蔵庫の中を見ると、一昨日作ったマカロンが残っているのを見つけた。
形は少し歪だけど、味は悪く無かった。
まぁ、マカロンは難しくて何回か作っているので、今ではまぁまぁ上手に作れるようになったんだけどね。
とりあえず私はマカロンがのった皿を取り出し、ジュースの入ったコップと共にリビングに持って行った。
「ところでギンちゃんはさ、みぃ姉のことどう思ってる?」
まさに台所を出る直前、檸檬がそんなことを聞き始めた。
予期せぬ質問に、私は台所の扉を開けたまま固まった。
……ギンちゃんが私のことを、どう思っているか、だって?
初対面だし何とも思っていないんじゃ……とは思うけど、家の前でウロウロしていたのは本当みたいだし、そのことを踏まえると少し気になる。
「……私は……」
ギンちゃんは目を伏せ、答えを詰まらせる。
どうやら、困っているみたいだ。
彼女の答えは気になる……けど、困らせるわけにはいかない。
女優になれ、私。
自分に言い聞かせながら、私は歩いてリビングに行き、口を開いた。
「お待たせ。こんなものしか無かったけど……」
そう言いながら、私はジュースとマカロンをテーブルに置く。
すると、ギンちゃんはキョトンとした顔で、私が置いた物を見た。
「……これは?」
「えっと……オレンジジュースと、私が作ったマカロン。……マカロンの方は、作ったのは一昨日だし、あまり美味しくないかもしれないけど……」
「みッ、蜜柑が作った!?」
「……!?」
突然大きな声で反応するギンちゃんに、私は驚いて少し仰け反った。
な、何だ突然……ビックリした……。
驚愕に固まっている間に、ギンちゃんはハッとした表情を浮かべ、慌ててソファに座り直す。
「えっと……もしかして、ギンちゃんって手作りとかダメなタイプ?」
すると、その様子を見ていた檸檬が、恐る恐ると言った様子で尋ねた。
あぁ、そっか……そういうタイプもいるんだっけ……。
「えっと……もしそうなら、下げるけど……」
「だ、大丈夫……ダメとか……そんなんじゃない……」
私がオズオズと皿を下げようとしていると、ギンちゃんは小さな声でそう言った。
綺麗な青い目は、皿の上のマカロンをジッと見つめており、今にも食べたそうだった。
「……食べても良いよ?」
「……ッ」
遠慮しているのかと思ってそう言ってみると、ギンちゃんはパッと嬉しそうに顔を上げた。
直後、パァァッと、その顔が輝いたように見えた。
ま、まさかそんなに食べたかったなんて……華奢な見た目の割に、実は大食いなのだろうか……。
一人驚いている間に、ギンちゃんは細い指でマカロンを一つ摘まみ、持ち上げる。
「い……いただきます……」
どこか緊張した面持ちで言い、ギンちゃんはマカロンを齧る。
しばらくマカロンを咀嚼して、ゆっくりと飲み込む。
……何だろう、こっちまで緊張してきた……。
「……ど、どうかな……?」
「……うん。凄く美味しい!」
パァッと明るく笑いながら言うギンちゃんに、私は、自分の胸が熱くなるのを感じた。
良かった……喜んでもらえた……。
一人喜んでいる間に、ギンちゃんはパクパクと続けてマカロンを食べ始める。
まさか、ここまで喜んでもらえるなんて……嬉しいな……。
そこまで考えて、私はとあることに気付く。
ソッと自分の胸に手を当てて、その気付きは確信に変わった。
……そういえば、何をしていても消えなかった虚無感が、薄れている気がするな……と。




