第1話 まるで抜け殻のように
「ッ……」
一瞬、意識が飛んだような、不思議な感覚がした。
教室に入った私は、数歩よろめき、その場に立ち止まる。
……今のは……一体……?
額に手を当てて違和感の正体を探るものの、原因は分からない。
ただ……あの一瞬の間に、何か、長い夢を見ていたような気持ちになる。
……まぁ、気にする程でも無いか。
そう思って顔を上げた私は、“いつものように”教室を見渡した。
……あれ? なんで……私はいつも、教室を見渡していたんだっけ?
確か、誰かを探していたような気がする。
誰なのかは思い出せない……思い出せない……けど……――。
「ッ……ぁあッ……」
突然涙が込み上げてきて、私はその場に泣き崩れた。
嗚咽を漏らしながら、私は泣きじゃくる。
誰を探していたのかは、全く思い出せない。
だけど……――大切な人だったことだけは、覚えている。
誰よりも大切で、大好きだった……誰か。
なんで思い出せないんだろう。
なんで忘れているんだろう。
なんで苦しいんだろう。
なんで悲しいんだろう。
なんで虚しいんだろう。
分からない。何もかも、分からない。
ただ、言えることは……私が、忘れてはいけない何かを、忘れているということだけ。
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その日は、抜け殻のように一日を送った。
突然泣き出したことによってクラスメイトを心配させてしまったが、適当に誤魔化しておいた。
……私は、誰を忘れているんだろう。
心にぽっかりと大きな穴が空いたような感覚が、常に私の心を蝕んでいた。
思い出そうと必死に記憶を探っても、手がかりすら見つからない。
まるで砂糖の中から塩を見つけ出すような、途方も無く、無謀な挑戦をしている気分になる。
「……はぁ……」
溜息をつきながら、私は荷物を片付ける。
学校にいても、この虚しさは増すだけだ。
いつもなら、放課後に図書館にでも寄って、お菓子作りの本でも見に行く所だけど……今日は、そんな気分にはなれない。
……お菓子作りだって、今の私には、虚しさを助長する材料にしかならない。
私の作ったお菓子を食べて欲しい人がいた気がするのに……思い出せないんだ。
この人に食べて欲しいからと、一生懸命練習していたはずなのに、その人が全く思い出せない。
……今日は帰って、一度休んだ方が良い。
そう思った私は、鞄を持って、教室を後にした。
廊下を歩いて玄関に行き、下駄箱の蓋を開けると、バサバサと何やら封筒が飛び出してきた。
……また……ラブレターか……。
何通来ているか、は……数えるのも億劫だ。
ひとまず落ちたものと下駄箱の中に残っていたものを搔き集め、鞄の中にしまう。
机の中やロッカーに入っていたものを合わせると、二桁は軽く超える気がする。
でも、今の私にはどうでも良かった。
靴を履き替えた私は、生徒玄関を出て、帰宅する生徒に混じって帰路に着く。
アスファルトの地面を、学校指定のスニーカーで歩いて行く。
最初はたくさんいた同じ学校の制服の人ごみも少しずつ消え、一人でトボトボと帰り道を歩く。
一応自転車通学許可が出ているんだけど、我が家には自転車を買うお金など無いので、こうして毎日長距離を歩いて通学している。
私は運動音痴だし体力も無いので、この長距離の通学は体力作りには最適だ。
片道五十分の道を歩き、ようやく、最後の横断歩道に差し掛かる。
ここさえ渡り切れば、家まではすぐだ。
……家には……帰りたくないな……。
帰っても、この虚無感について一人考え込んで、思い悩むだけな気がする。
そして、結局この感覚の正体は分からず、悶々とした気持ちを抱えながらまた明日を迎えるんだ。
結局は、この気持ちは、見て見ぬふりをすることしか出来ないだろう。
「危ないッ!」
突然、空気を切り裂くような大声が、私の鼓膜を震動させた。
慌てて顔を上げると、そこには、一台のバスがこちらに突っ込んできていた。
しまった。考え事に没頭し過ぎて、信号が赤であることにすら気付かなかった。
私はその場で硬直し、迫り来る巨大な鉄の塊を見つめることしか出来ない。
もしも厄日なんてものがあるなら、それはきっと、今日のことを指すのだろう。
大切だったはずの人の存在を忘れた上に……バスに轢かれるなんて。
良くて骨折。最悪……死。
響き渡るクラクション音が、私の死を知らせるサイレンのように聴こえた。
襲い来るであろう衝撃に、私は咄嗟に目を瞑った。
「馬鹿ッ……!」
その時、誰かが私の体を抱きしめた。
と思えば、突然、強い浮遊感が私の体を襲った。
フワッ……と足が地面から離れ、体は宙に浮く。
一体何が起こったのか、確認しようと瞼を開こうとした瞬間、一気に体に衝撃が走る。
ガクンッ! と、一気に全ての重力が私を襲う。
かと思えば、ゴロゴロと地面の上を回転するような感覚が私を襲い、最終的には地面に仰向けになったような状態で停止した。
「ハァ……ハァ……」
誰かの荒い呼吸が聴こえる。
そこでようやく、誰かが私を助けてくれたのだ、ということに気付いた。
ハッと私は目を見開き、自分を助けてくれたであろう人物を見た。
「あ、ぁあのッ……!」
「……!」
私が声を掛けようとしていると、私を助けてくれたであろう人物はハッと目を見開き、体を起こした。
……数秒間、私は、目の前にいる少女に見惚れてしまった。
綺麗な銀色の髪に、青い目をした、六歳くらいの女の子。
あどけないその顔は、まるでお人形さんのように整っていた。
彼女の着ている服は変わっていて、少なくとも、この国の服では無いと思った。
……外人さん……かな……?
浮世離れしたその相貌に、私は呼吸をすることも忘れ、しばらくの間見惚れてしまった。
「大丈夫? 怪我してない!?」
先に口を開いたのは、銀髪の少女の方だった。
……あれ? 本当に外国人?
やけに流暢な日本語に、私は途端に困惑する。
この見た目で日本人ということは無いと思うが……どうなんだろう。
不思議に思っている間に少女は私に顔を近付け、続ける。
「ねぇ? 聞こえてる?」
「あ、えっと……うんっ。聞こえてるよ」
突然話しかけられたものだから、驚いてタメ口になってしまう。
初対面なのに馴れ馴れしく話してしまって失礼になったのではないかと思ったが、少女は「良かった」と言い、安心したように微笑む。
どうやら気にしていないらしい。
というか、彼女も私に対して敬語なんて使っていないし、気にする程ではないかもしれない。
そんなことを考えていると、彼女はゆっくりと立ち上がり、私に向かって手を差し伸べた。
「大丈夫? 立てる?」
そう言って微笑む少女の姿が、記憶のどこかに潜む、大切な誰かの姿に重なった気がした。
というわけで、今回からは蜜柑×ギン編となります。
そして皆様、あけましておめでとうございます。
今年も『異世界で魔法少女始めました!』を、どうぞよろしくお願いいたします。




