第37話 忙しない体育祭④
沙織ちゃんを保健室に連れて行くと、すぐに先生が対処してくれた。
枕を使って足が高くなるようにして、頭が低くなるように寝かされる。
それから靴下を脱がせて、他にも体を締め付けている物を色々と緩める。
後は体に掛け布団をかけて、あっという間に対処は終了した。
沙織ちゃんはしばらく虚ろな表情をしていたが、先生の処方を受けている間に徐々にウトウトし始めて、今では熟睡している。
その様子を見て、先生はホッと一息ついた。
「多分、疲労からの貧血ね。後で問診をしてみる予定だけど……今は寝かせておきましょう」
「分かりました。……起きたら、本人に伝えておきます」
「えぇ。よろしく」
「失礼します」
先生の言葉に頷いた時、保健室に誰かが入ってくる声が聴こえた。
それに、先生は「はぁい」と返事をしながら、立ち上がる。
しかし、先生が向かうより前に、カーテンを開けてゾロゾロと数人くらいの人達がやって来た。
この子達は……。
「……生徒会の子達……?」
「あの……会長は……!」
代表するように、一人の女の子――恐らく三年生――が言う。
すると、先生が「シッ」と口に人差し指を当てた。
「今は休んでいるから……ひとまず、ここから出て話をしましょう。……不知火さんは、ここで風間さんの様子を見ておいてもらっても良いかしら?」
「えっ? わ、分かりました」
驚きつつも頷くと、先生は微笑み、生徒会役員の何人かを連れてベッドを囲むカーテンの外に行く。
外側からカーテンを閉められれば、狭い空間の中では僕と沙織ちゃんだけになる。
「好きな人と二人きりだなぁ……なんて……」
小さく呟きながら、僕は沙織ちゃんを見る。
僕の言葉に、当然彼女は答えない。
瞼を固く瞑り、スヤスヤと寝息を立てている。
寝返りを打った時に危ないからと先生が眼鏡を外したため、現在、彼女は眼鏡を付けていない。
……なんか、眼鏡を外した沙織ちゃんの顔って、初めて見た気がする。
貧血の影響もあって真っ青だった顔は、今は少し色を取り戻している。
黒くて艶やかな髪が顔に掛かり、白い肌と綺麗なコントラストを成している。
安らかに眠る整った顔立ちは、まるで精巧に出来た人形のようだと思った。
しかし、彼女は人間だ。しばらくすれば目を覚まし、泣いたり、笑ったりするのだ。
「……早く……目を覚まさないかなぁ……」
頬杖をつきながら、僕は続けて呟いた。
まぁ、そんなことを思っても、沙織ちゃんには聴こえ無いんだけどさ。
なんとなく、指で彼女の頬を微かに撫でてみる。
綺麗な白い頬は、撫でてみても異物感は一切無く、まるで陶器のようだと思った。
……やっぱり僕は……沙織ちゃんの全てが好きだ。
顔も、声も、髪も……すぐに赤くなる所も、他の人の前では冷静沈着な生徒会長のくせに僕の前でだけ表情豊かになるところも、こうして生徒会長を演じるあまりに無理をし過ぎてしまう所も……何もかもが大好きだ。
そして出来ることなら……僕はもっと……彼女のことを知りたい。
沙織ちゃんの全てを知って……全てを好きになりたいから。
彼女の存在全てが好きだと、胸を張って言いたいから。
「……好き……」
ポツリと、僕は呟く。
思わず呟いてしまった言葉。
でも……別に良いか。
どうせ沙織ちゃんは聞いていないんだし……いっそのこと、今くらいなら、思いを吐露しても構わないだろう。
僕は沙織ちゃんの額に自分の額を重ね、目を瞑る。
……眠っていると言っても、直接顔を合わせて言う余裕なんて無かったから。
「……好きだよ……沙織ちゃん……」
カーテンの外にいる先生達に聴こえないくらいの、沙織ちゃんにしか聴こえないような声で、言葉を紡ぐ。
……ホント……何してんだろう、僕。
本人に直接伝えれば良い話なのに、なぜかこんなことをして。
そう思ったら、途端に恥ずかしい気持ちになってきた。
体育祭が終わったら告白しないといけないのに……眠っている本人の顔を見てすら言えないなんて……。
「……しら……ぬい……さん……?」
……自己嫌悪に陥っていた時……声がした。
掠れた……僕の大好きな声……。
なんで……こんな、時に……。
僕は目を見開き、ゆっくりと体を起こし、顔を離していく。
するとそこには……薄っすらと瞼を開いて、こちらを見つめる沙織ちゃんがいた。
「……ぁ……」
ヤバい……聞かれた……?
まさか聞かれていると思っていなかったため、僕は動揺してしまい、固まってしまう。
内心では、今すぐここから逃げ出したいくらいなのに、体が竦んで動かない。
そんな僕を見て、沙織ちゃんは……微笑んだ。
「……わ……たし……も……」
掠れた声で、彼女はゆっくりと言葉を紡いでいく。
それから視線を少し泳がせて、口をパクパクと動かし、何かを言おうとする。
少し深呼吸をして……彼女はゆっくりと……言葉を紡ぐ。
「私も……貴方のことが……大好きです……!」
「……なっ……」
「会長!?」
沙織ちゃんの言葉にフリーズしていた時、カーテンがシャッと開いた。
僕達の声が聴こえたのか、生徒会役員の人達が入って来る。
その内の一人の、先程沙織ちゃんを呼んでいた子が、ベッドに駆け寄る。
「良かった……! 目を覚ましたのね?」
「えっ……はい。あの……」
「倒れたって聞いて心配したんだから……会長だからって、無理したらダメじゃない」
「……えっと……」
困惑する沙織ちゃんを他所に、女子生徒は沙織ちゃんの手を取り、優しく両手で包み込む。
それから目を合わせ、彼女は続けた。
「私達は仲間なんだから……学年関係無く、困ったら遠慮無く言ってくれて構わないのよ?」
「……でも……私は……」
「一人で全部解決しようとしないで……ね?」
そう言って、ギュッ……と、沙織ちゃんの手を少し強く握る。
すると、沙織ちゃんは少し目を丸くして、ここまで駆けつけて来た生徒会役員の方々を一人ずつ見た。
それから、フワリ、と。
優しく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
……ちょっとだけ、ヤキモチを妬いた自分がいた。
沙織ちゃんがあんな笑顔を見せる相手は、僕だけだと思っていたから。
……さっきの告白だって……あの答えはきっと、勘違いだ。
彼女にとっては多分……LikeにLikeで返しただけだろう。
分かってる。もっとちゃんと言葉にしないといけないって分かってる。
僕は、今後のことを話し合う生徒会役員を横目に、カーテンを開ける。
もう、僕はお役御免だ。
友達としての付き添いはここまで。後は、この人達に任せれば良い。
「……不知火さん?」
すると、名前を呼ばれた。
振り返るとそこでは、沙織ちゃんがこちらを真っ直ぐ見つめていた。
目が合うと、彼女は嬉しそうに微笑み、軽く手を振った。
「ありがとうございます。……また後で」
「……ん……どういたしまして。またね」
僕は精一杯カッコをつけて微笑み、手を振って見せた。
……まぁ……今は、良いか。
まだまだヘタレの僕には、これぐらいがお似合いさ。
少し落ち込む自分の心にそう言い聞かせながら、僕は保健室を後にした。




