九十三話/夏至祭
――魔王イブリス再誕。
大陸全土を揺るがすといっても差し支えないこの事件は、幸い一両日中に幕を下ろした。
それというのも、全ては前もっての備えがあったおかげだろう。
的確な避難誘導、魔物の封じこめ、そして迅速な排除。
幕引きを主導したのは公教会率いる諸勢力だが、探索者有志の力に寄るところは大きかった。
ウェルシュの血統に連なる兄妹、アルバートとアルフィーナ。
代々ウェルシュ家に仕える従者、エルフィリア・セレム。
全員を影に日向に支えた公教会の司祭、クラリス・ガルヴァリン。
この四人は迷宮街でもよく知られた存在だ。
アルバートについては先日の反乱騒ぎでよく思わないものもいたが、今回のことで悪評はおおむね払拭されたと言える――相変わらず捕虜の身分であることに変わりはないが。
前もって約束を交わした通り、恩赦が与えられることは無かったというわけだ。この点は実にキリエ枢機卿らしい判断だといえる。
しかし彼女らの中にあって、一際異彩を放つ存在がいた。
それはひとえに、彼女こそが魔王イブリスに引導を渡した張本人だったからである――それも、何の変哲もない一振りの剣によって。
〈竜殺し〉フィセル・バーンスタイン。
〈皆殺し〉などと実しやかに探索者の間で噂されていた彼女だが、この度、見事に英雄の仲間入りを果たしたというわけだ。
当人は「私ひとりの力ってわけでもないしね――」などとうそぶくばかりだが、彼女の業前を疑う余地はない。
刃渡りよりも遥かに分厚く頑強な竜の首を、ただの一太刀で斬って落としたのだから。
多くの避難民は彼方の空に、その光景を目撃したという。
いわく、ちいさな影が通り過ぎたかという瞬間、竜の首がいつの間にか胴体から離れていたと。
かくて魔王イブリスは滅ぼされ、大陸が竜の脅威に脅かされることは無くなった。
街の被害についても、市井の魔術師や聖堂騎士団の尽力によって最小限度に留められたと言える。
さりとて、それは被害程度が少なかったことを意味しない。
否。起きた事態の重大さを鑑みれば、被害はむしろ少なすぎるほどだったが――街に残された傷跡はやはり大きかった。
魔王イブリスの討伐が済んだ後、公教会は現場付近――中央広場を厳重に封鎖。
この時、イブリス教団の信徒たちが封鎖の突破を試みるも、聖堂騎士団の出動により無事に制圧が完了する。
この後、教団信徒らの反応はまさに様々だった。
自爆特攻するもの、自死するもの、あるいは大人しく捕縛されるもの。
いずれにせよ、イブリス教団が完全に統制を失っていたのは明らかだ。後の調査によれば、この時すでに最高幹部の所在が分からなくなっていたという。
このことから、おそらくは彼らが魔王イブリスの復活に関与したのだろうと目されている――その過程で命を落としたのだろうとも。
封鎖から三日が過ぎたころ、公教会は事態の収束を宣言した。街中の安全が確保され、郊外の避難キャンプから街に戻るものも出始めた。
とはいえど、依然として非常時であることに変わりはない――街のど真ん中に巨大な竜の屍が居座っているのである。中央広場が塞がれているために交通の便も悪く、公教会は遺骸を動かすのにずいぶん難儀することになる。
三百年前、魔王封印の封印に貢献した魔術師〈賢者〉クレラント。
今回の事件は彼が糸を引いたものだったが、公教会がその事実を表沙汰にすることはなかった。巷間に与える混乱があまりに大きく、その目的もあまりに常軌を逸しているためである。
そもそも彼が生きていること自体が不可解であるというのに。
〈災厄の神狐〉テウメシアの命を狙い、利用するために魔王を蘇らせたのだと――そのような荒唐無稽な話を、果たして誰が信じよう。
なればこそ、ユエラ・テウメッサとその従者の活躍を知るものは誰もいない。
ごく一部の関係者を除いては、だが。
街が大惨事に見舞われたにも関わらず、迷宮街でしのぎを削る探索者は相変わらずだった。
〈封印の大神殿〉こそ魔王イブリスに押し潰されて倒壊したが、〈封印の迷宮〉は何も変わっていなかった。相も変わらず数多の魔物が湧き出し、そして数多の魔石を採掘することができる危険地帯だった。
多少の不便を蒙りながらも、まるで何事も無かったかのごとくティノーブルは緩やかに復興を続け――
そして、一月が過ぎた。
◆
「ユエラ様、お手紙が届いております」
「……私にかえ?」
「私にわざわざ送ってくる方もいないでしょう」
テオは玄関先からリビングに戻り、ユエラに一通の手紙を差し出す。
ユエラは「私にも心当たりは無いんだがのう」と頷きつつもそれを受け取る。
一ヶ月前。ユエラが負わされた傷は決して浅くなかったが、すでにそのほとんどは癒えていた。
わずかな痛みはあるが、包帯は完全に外されている。
とはいえ、人型に变化できるまで回復したのはつい最近のこと。
しばらくは九尾の狐の姿で過ごし、テオの手厚い看護を受ける羽目になっていた。
手厚いのは良いが手厚すぎるのが難である。「毛づくろいなぞせんで良いぞ、手間も四倍であろう」と言えば「いえ、幸福感が四倍です」などと即答するほどである。
人型に戻れた時にはユエラの回復を喜びながらも少し残念がっていた。
何がというわけではないが手遅れだった。
「……アルフィーナからのようだのぅ」
「よく手紙が届きましたね……」
「全くもって」
箱入り娘とはいえウェルシュ家――アズラ聖王国では有名な領主の跡取りなのだ。さぞ縛りは多かろう。
ユエラはちょいちょいとテオを手招きし、「せっかくだからおまえも読むがよい」という。
「私にはあまり関係が無さそうですが……」
「私に関係があることはおまえにも関係があること……で、あろう?」
「……しからば、拝謁に与らせていただきます」
テオは少し面映そうにしてユエラの隣へ。
彼女のお仕着せ服の裾からはてろんと灰毛のしっぽが覗く――ユエラのそれに瓜二つのしっぽ。
近ごろはすっかり馴染んだもの。しっぽがある感覚を幻術で体験していたこともあり、慣れるのにさほど時間はかからなかった。
「これで自分のを好きに触れるであろう?」などとユエラは悪戯げに言ったものだが、「私のそれとでは全く年季というものが違います」と力説される事態になった――ユエラはなにかよくないものを目覚めさせてしまったのかもしれない。
ユエラはテオのしっぽに視線を向け、ぽつりとつぶやく。
「しかし、なにゆえ灰色なのであろうな」
「ユエラ様のものも灰色だからではないでしょうか?」
「だが、それは私のではなくおまえのしっぽであろう」
「これは私のものが生えたのではなく、ユエラ様のものが私にも生えたのです」
「わかるようでわからん……」
「お揃いです」
なぜかテオは胸を張りながら言う。
傍目に聞けば同語反復のようにしか思えないが、彼女の中では理屈が通っているのだろう。
それは信仰、あるいは呪術の理屈に近かった。
「……まぁ、良い」
「良いのですか」
「ゆえにこそおまえがいると思えば、のぅ」
この場合、テオはユエラの眷属にあたるのだろうか。ユエラのほうにその自覚は全くない。
というか、おそらく違うだろう。彼女は別にユエラが産んだ子どもでも、広い意味での啓示を与えたわけでもない。
テオはただ、自らの力で覚醒めただけに過ぎない。
――それはさておき。
ユエラは丸められた羊皮紙を紐解く。公的な印などはなく、アルフィーナが個人的に送った手紙だとわかる。
「……どれ?」
ユエラは紙の上に視線を走らせる。
内容は時候の挨拶から始まり、おもには彼女の近況を知らせていた。
重要な事件などが起こったわけではない。本当に単なる付き合い目的で送られた手紙なのだろう。
「律儀なやつよのぅ」
「……ひとまずは一安心、でしょうか」
「まぁ、あやつが困ることなどそうは無かろうからなぁ」
ましてやユエラに頼ることなどそうはあるまい。
先日の事件があまりに例外的過ぎたのだ。
――とはいえ、つまらない内容かというと、決してそんなことはなかった。
「これは……」
「……なにか聖王国はえらいことになってるようだのぅ?」
「おおよそユエラ様の成果なのではないでしょうか」
「いや、まぁ、考えんではなかったがな――こうも上手くいくとは思わなんだ」
その手紙に記されていたのは、つまるところがアズラ聖王国の内情だ。
先月、ユエラはスヴェンの伝手を用いて情報を流した――「聖王家は魔王を復活させようとしている」と。
それだけならば噂にもならない与太話だろう。
だが、魔王イブリスは復活した。結果として討伐されはしたが、少なからぬ痕跡をこの世に残していった。
この機を逃すものに政治は務まるまい。
いち早く情報を得ていたロジュア帝国はこれ幸いにと聖王家を弾劾。
聖王国側は当然これを「なんの証拠もない」と退けた。が、聖王国の内部に潜む反対勢力は黙ってはいなかった――アズラ聖王国に属する領主といえど、その全員が聖王家に絶対的な忠誠を誓っているわけではないのだから。
結論から言うならば、聖王家そのものが倒れるような事態にはならなかった。しかし今代の"聖王"はその座を退かざるを得なくなり、反対側が担ぎ上げた遠縁の子息が聖王の座に着くことと相成った。
この段においてもクレラントの存在が表沙汰になることは無かったが、裏では一悶着あったと見える。
このあいだ、ウェルシュ領を筆頭に聖王国辺境領は聖王家――すなわち聖王国中枢から救援を求められたが、彼らは一切それに応じていない。
各領地の擁する常備軍は辺境の防備にかかりきりなのだ。当然、それらを救援に向かわせる余裕などは全くない。
――というのが表向きの理由だが、なんのことはない。単に政治闘争に巻きこまれたくなかったのが実情だろう。
二十年前のバーンスタイン家に対する沙汰を引き合いに出すまでもなく、聖王家に反感を抱くものは潜在的に増えていた。ある意味では当然の結末と言える。
そしてアルフィーナは、この騒動の火付け役を担ったのがユエラであると知っていた。
「ウェルシュ家は何事もなし、といったところですか」
「ま、わざわざ下手は踏まぬであろうな。領地も盤石であろうしのぅ」
魔王討伐が済んだあと、アルフィーナは交通の便が回復するのを待ってから領地に戻った。
故郷の両親は度肝を抜かれたに違いない。
なにせアルフィーナが持ち帰ったのは"魔王討伐"の戦功だけではない。もうひとつばかり、この世にふたつと無いものをを手土産に引っさげていたのだから。
「……卵は孵らず、かえ」
「孵らぬほうが良いように思われますが」
「そういうでない。世の中なにが起こるかわからぬほうが面白かろう?」
くつくつとユエラは喉を鳴らして笑う。
卵――すなわち魔王イブリスの卵である。
イブリスの遺骸から発見された竜の卵。
その扱いをどうすべきかはずいぶんと議論を呼んだ。その結果、卵はアルフィーナの手に引き渡されることになった。
その理由はごく単純。
アルフィーナの管理下にあるのが最も安全であること。そして彼女も管理を嫌がらなかったためである。
アズラ聖王国の所属という不安要素はあるが、ウェルシュ領は独立性が高い領地である。そう心配することもないだろう。
最終的にそのような決定が下され、魔王イブリスの卵はアルフィーナ・ウェルシュの手に引き渡されたのだった。
「面倒事はごめんでしょう」
「なぁに、産まれた時からすでに邪悪なやつなどそうはおらぬさ。アルフィーナの元で育ったら、と考えてもみよ――魔王の子どもとてそうおかしな育ち方はするまい?」
「……あれほどの大きさになる竜とアルフィーナ様が合わさったらどうなることやら。いささか恐ろしくありますが……」
「敵に回さねばよかろうに。それにテオ、おまえは――いつの日か、私を殺してくれるのであろう?」
「…………あれは、言葉の綾のようなものです」
ユエラがからかうように笑うと、テオは少し恥ずかしげに顔を赤くする。
『ユエラ様がそれを望むのであれば、私がユエラ様を冥府に御送りしましょう』――その言葉はユエラの記憶に深く刻みこまれている。
それが可能であるか否かは別にせよ。
ユエラにそう言ってくれたものは、これまでに誰もいなかったから。
「さようかえ? せっかく期待しておったというのに」
「ユエラ様が望まれる限り、私はそのようにいたしましょう。可能であるならば可能な限りを、不可能であるならば可能であるように」
「なれば……ふふ、待っておるぞ?」
「承知しております」
テオはぴんと灰毛のしっぽをそばだてて頷く。
あるいはユエラがそうと望んだならば、やがてその日は来るだろうか。
ユエラにはわからない。少なくとも今はそれを強く望んでいるわけでもない。だが、ユエラのその想いを理解する従者がそばにいてくれること――そのことをこそ、ユエラは好ましく思うのだ。
『しばらくは兄がそちらでご厄介になるかと思われますが、機会があればまたよろしくお願いいたします』――という文言でアルフィーナの手紙は結ばれていた。
また捕虜解放交渉にかこつけて迷宮街を訪ねる気に満ち溢れた文章だった。本当によく親族の目に留まらなかったものである。
「……ひとまず何事も無かったようでなにより、といったところでしょうか」
「お叱りを受けるどころではなさそうだしのぅ」
なにせ魔王討伐の報を持ち帰ったのである。叱るどころではなかったに違いない。
「お返事はどういたしますか?」
「……そうだのぅ。街の近況でも書いて送っておくかえ。あやつもこっちのことが知りとうて送ってきたのであろうし」
アルフィーナへの手紙なら、アルバートもしたためているだろうが。
結局のところ、今回の事件の全貌を把握できているのはユエラだけといって過言ではないだろう。
本当の事の顛末は、ユエラとテオ以外に知るものはいない。
「……さて。では、そろそろ行くかえ?」
ユエラはふと窓の外に視線を向けて言う。そろそろ日が高くなるころだった。
「ええ。――参りましょうか」
テオは頷き、ユエラの手をそっと引く。
ユエラの療養中、立ち上がる時はそうしていたのだ。いまさらその必要もあるまいが、こういうのも悪くはない。
「しかし、祭りとはな――公教会もたまには気が利いておるではないか、のぅ?」
「毎年の恒例ですから。今年は流石に致しかねるかとも思いましたが……」
「ようやるのぅ。くそ真面目なのもたまには役に立つわえ」
二人は並んで連れ立ち、家を出る。
向かう先は封鎖が解かれた中央広場。
――――この日は夏至祭であった。
◆
中央広場のど真ん中には〈封印の大神殿〉がある。
正確には、あった、と言うべきだろう。
かの巨大建築物は魔王イブリスの墜落によって倒壊し、瓦礫の山に成り果てた――はずだった。
これは知る人しか知らないことだが、〈封印の大神殿〉にはちょっとした泉があった。
そう目立つ大きさではなかったが、象徴物としてはちょうどいい。
もちろん、これも〈封印の大神殿〉とともに跡形もなく崩壊した。崩壊した――のだが。
「おー。賑わっておるのぅ」
「本当に直したのですね……大したものです」
ユエラは動きやすく、薄手の水色ワンピース。
テオはさほど変わりない見た目ながら、丈と裾がやや短めのお仕着せ服。
二人は共にお揃いのしっぽをそばだて、〈封印の大神殿〉跡地にそびえる泉を見晴らした。
〈封印の大神殿〉はどうしようもないが、夏至祭までにせめて泉だけは、と急ごしらえで仕上げたのだという。
「お。来たね、ユエラ」
「あ――どうも、ユエラ先生」
その時、泉の周りにいた二人組から声をかけられる。
いつもとは違い身軽なパンツルックのフィセル。ゆったりしたスカートとブラウス姿のアリアンナ。
彼女らはユエラの療養中に何度か見舞いに来てくれたが、こうして外で顔を合わせるのは久方ぶりだった。
「どうだい、怪我のほうは?」
「九割方、と言ったところだのぅ」
「そりゃよかった――で、あんたのそれは生えたままなわけ?」
「そりゃ生えておりますとも。どうして私にユエラ様のしっぽが生えていないのですか? おかしいと思いませんか?」
「おかしいところしかないのですが……」
ユエラが怪我をしたというのも話の的になったが、どちらかといえばテオの変化のほうが驚かれていた。アリアンナも少し引くほどに。
「というかおまえ、こんな時くらい剣は外しておいてもよかろう」
「馬鹿言いなよ、ユエラ。祭りの時こそ人が多い、人が多いことすなわち危険、危険から身を守るためには剣がいる。当たり前だろう?」
「おまえを襲うような阿呆がこの街におるかえ」
〈竜殺し〉のフィセル――その物騒なふたつ名は一躍ティノーブルを席巻した。
さらに、アリアンナも決して油断ならない魔術師である。女、子どもと舐めてかかった悪漢は速やかに冥府へ送られることになる。
「……というかだな。そういえば、まだ迷宮に行っておるのかえ?」
「ああ。転移装置がぶっ壊れたし、ちょうどいいからね――」
と、フィセルはアリアンナの肩を軽く叩く。
「は、はい。慣らし運転、ということで……フィセルさんと一緒に、いちから潜っていってます」
「あんたが仕込んだってだけあるね、ユエラ。リーネとタイマン張っても行けるんじゃないかい?」
「リーネさんとは無理じゃないかと思いますけど……!?」
その報告を受け、なるほど、とユエラは得心する。
確かに、迷宮上層なら潜っても特に問題はない頃合いだった。というより、上層だけならアリアンナひとりでも充分に突破できるだろう。
「魔王を始末してどうにかなるかと思ったんだけど――ならなかったんだよね。なんでかはわからないけどさ」
「稼ぐあてがあるのだから万々歳でしょう。探索者相手の商いも途切れずに済むのですから」
テオは得心げに呟く。
なぜ〈封印の迷宮〉が存続しているのか。その秘密を知るものは、ユエラとテオのふたりだけだ。
ユエラはくすりとほころぶように笑み、テオは口端をかすかに歪めるばかりである。
「……またあんたが一枚噛んでんじゃないだろうね」
「ははは。一応言うておくが、あまり最深層には近づくでないぞ?」
「今さら好きこのんで近づく理由もないよ。私の目標は達成したからね」
「目標――と、いうと、あれかえ」
うっかりただの剣術狂いと思ってしまいがちなフィセルだが、彼女には探索者になった明確な目標がある。
父の汚名をすすぐために。
その目標が達成された、ということは――――
「ああ、聖王国から一報あってね。バーンスタインの家名に再び爵位を、ってさ」
「そうなんですか」
「そうだったんですか!?」
「アリアンナには言うておれよ」
驚愕の声をあげるアリアンナ。ユエラは思わずつっこむ。
が、フィセルはこともなげに頭を振る。
「いや、私にはあんまり関係ないんだよ。後を継ぐのは私の弟だろうし」
「弟おったのか!?」
「そうだったんですか!?」
「そうだったんですか……」
「……そんなに驚くことじゃないよ。だいたい、母ひとり残して家を出れるわけないだろう」
あとから聞けば非常にもっともらしい話だが、充分驚愕に値する話ではあった。
「私に政務は無理だよ。武にしか能がない女だから――父に似たんだろうね、多分」
「似るとかそういう域ではない気もするがな……」
彼の父は志半ば、半壊した他国の部隊をも助けながら〈封印の迷宮〉から帰還したという話である。その傷が祟って殉職したわけだが――。
「知らせがあった理由も、どうにも……向こうの国が大変なことになったみたいでね。私がどうこうしたからっていうより、そっちの影響が大きそうだ」
「ああ、その話は私も聞いておるな……」
聖王家の代替わりを機に、先代が行った失政をあらためるという算段なのかもしれない。
「でも、国がやったことを間違いだったって認めるのは難しいんじゃないでしょうか。だから、フィセルさんのなし遂げたことにも、きっと意味はあったんだと思います」
「なら、いいんだけど。……ありがとうね」
フィセルはくすぐったそうに微笑し、くしゃくしゃとアリアンナの頭を撫でる。彼女は三つ編みの先を指でつまみながらはにかむ。
「で、今後はどうするつもりかえ?」
「とりあえず、アリアが一丁前にやれるまではつきあって……そこからだね。しばらく迷宮で稼いでくのも悪くはないけど……そうだね。一回くらいは家に顔を出したいかな」
「いまのおまえなら士官話も腐るほどあるであろう」
「それも悪くはないけど。家がこうなった以上、他のどこかに仕えるってのは、ね」
なるほど、とユエラは頷く。
お抱えの常備軍でもあれば、指揮官の任もあるだろうが……再興したばかりの家には警備団くらいが限界か。
フィセルは瞑目してアリアンナをちらりと見やる。
「いざとなれば実家で武官やるってのも手だろうけど……あぁ、その時は文官やるってのはどうだい?」
「わ、私がですか!?」
「仕事はどうせ死ぬほどあるだろうしね。魔術の知識があるならなお良し、だろう?」
「帳簿くらいしか付けたことないですけど」
「文字の読み書きができるなら上等だよ。……田舎だったから」
フィセルはどこか遠い目になる――郷愁というべきか、それとも教育との縁遠さから途方に暮れているのか。
辺鄙な土地であれば、そういう状況は決して珍しくもなかった。
「ま、先の話はそこらにしておかぬかえ? 今は今のことで良かろうよ――せっかくの祭であるからな!」
「私はもうすっかり慣れちゃってますからねー」
「いかにも地元暮らしっぽいことを言いおって……というわけで案内を頼むぞ」
「そこはテオさんもじゃないんですか!?」
「申し訳ありませんが、あいにく私はこのような機会に恵まれませんでしたので……」
「リグに連れてこられてはおらなんだか」
「どんなに牧歌的な師弟関係ですか」
かなりぎりぎりの冗談である。が、テオはこともなげであった。
自ら乗り越えたことによって吹っ切れたのかもしれない。
「じゃ、適当に行こうかい」
と、フィセルは先導するように歩み出す。
通りに出れば人が多いためか、彼女の手はしっかりアリアンナの手を握っていた。
「おまえは知っておるのかえ?」
「いやぜんぜん」
「なんで知ったように前を歩いてるんですか」
「わかってないねテオ。雑に歩いて行き当たったところで雑に楽しむのもいいもんだよ」
「それはあなたが雑なんです。――が、言わんとするところはわからないでもありません」
「ご飯まだですよね、色んなところでバーベキューとかやっててとてもよいです!」というアリアンナの雑な案内に従い、ユエラとテオも歩き出す。
決して離れないように、手をかたく握りしめながら。




