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お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
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九十一話/〈賢者〉の顛末(前)


「魔王の――代わり、じゃと……?」

「ああ、そうさ。中々良い考えだとは思わないかい?」


 ユエラは宙空に拘束されたまま睨めつける。空気の層でがんじがらめにされ、彼女は足掻くことすらも叶わない。前足と後ろ足が、九つのしっぽが無為に空転する。


 クレラントはユエラの鋭い眼差しを歯牙にもかけないで言葉を継ぐ。


「これは僕の仮説に過ぎないが――あの迷宮が生まれたのは僕も計算外のことでね。地の底に封印された魔王が生命活動を存続させるため、魔力を絶やさず循環させるよう、無意識に作り上げた結界……そんなところだろうと考えられる。実際、迷宮内部を魔物の体内になぞらえて考えている連中も結構いたみたいだね?」

「知らん」


 ユエラは一言で切って捨てる。

〈封印の迷宮〉についてはとことん詳しくないし、ほとんど任せきりだった。


「まぁ、だろうね。つまり、あの迷宮は魔王イブリスあってのものだ。イブリスの封印が解かれた今、あの迷宮は、多分緩やかに崩れていくだろう」

「――左様かえ」

「そして、迷宮の崩壊はあの街の経済基盤を崩す。……違うかな?」


 違うかどうかでいえば――確かにそうなのであろう、と言える。

 迷宮街ティノーブルは文字通り、〈封印の迷宮〉あって栄えた街である。魔石が豊富に採掘され、多くの探索者が集まり、より大きな経済圏が生まれた街。


 全ては迷宮から始まった。

 そして迷宮が無くなれば、おそらくは緩やかに衰えゆくだろう。


「……かもしれんな」

「どうでも良さそうな顔をしているねぇ」

「どうでも良いとまでは言わぬがな――」


 住処に定めた街が衰退するのは良いことばかりではない。

 少しは人が減ったほうが良い、という面も無いではないだろうが。

 街というものは人が少なくなれば必然、社会的インフラも貧弱になるものである。それはユエラの望むところではない。


「そこで、だ。君を地の底に封印しておけば、十分魔王の代わりになるだろう。君の魔力は十二分にあれに匹敵するからねぇ。迷宮という枠組みはあるんだから、心臓部――つまり、魔力の供給源をすげ替えるだけで十分に機能するはずだよ。中々悪くない提案だとは思わないかい?」

「……戯けが」


 それがどうしたというのだ、とユエラは唾棄する。

 魂だけで漂流するのも苦痛極まりなかったというのに――地の底で永い眠りにつくなど、それよりも遥かに御免こうむる。


「そういうとは思ったよ。けど、もし君を殺せなかったら――君が何を言ったってそうするつもりさ、僕は。どうだい俄然死にたくなってきたんじゃないかい?」

「……くそったれめが」


 確かに自由を奪われるくらいなら、死んだほうがずっとマシだ。

 ユエラの永い生を振り返れば――いっそ死んでしまえたら、と思ったことも決して無いではない。


「安心してくれよ。僕はそう簡単に諦めたりはしない。念には念を入れて、ありったけの時間をかけて、あらゆる手段をひねり出して、君を殺す方法を試し尽くすつもりさ。なにせ今までにもありあまるくらいの時間があったからね。僕の頭の中に蓄積されている分だけでも、数年やそこらじゃ消化できなくらいはある――」


 意気揚々と語るクレラント。彼はゆっくりとその場から離れるように歩み出す。「邪魔が入ってもいけないからね」と。

 彼が歩くにつれ、空中のユエラも強制的に引かれていく。まるで糸に繋がれた風船のように。


「……この身を委ねるのが、おぬしでなければまだしも良かったであろうにな」

「くくっ。贅沢なことを言うなよ、テウメシア。君を殺せるやつなんて僕しかいない。僕を殺せるのは君くらいしかいないってのと同じようにね。――もっとも、強いのは僕の方だったみたいだがね。残念なことに」


 いっそ、諦めてしまえば楽になれるだろうか。

 それはある種の甘美な誘惑だ。永い永い苦痛が待っているのだとしても、少なくとも、これからも続く永い生を営むことはない。

 この世が終わるのが先か、あるいはいつかユエラが尽き果てるのが先か。封印に身を委ねて微睡む怠惰な終焉。


 馬鹿げた考えだ。だが、今のユエラにこの状況は如何ともしがたい。

 目の前の男がひたすら気に食わぬことに変わりはない。その一点において心変わりはあり得ない――だが。


「なるようになったってことさ、テウメシア。君は世界をさんざん良いように弄んできた側だろう? それが一度弄ばれる側に回ったって、それは今さら嫌なんて言うのは、あんまりにわがままじゃないかい?」

「わがままには違いなかろうな。そして、おぬしなんぞのためにそれを改めるつもりもあるまいよ」

「だろうね。でも、これだけは変わらないだろうよ。僕と君も、ある一点だけでは絶対に同じ思いのはずさ――」


 クレラントは白衣に風をなびかせながら歩を進め、そしてふとユエラを振り返る。


「――――死んでしまいたい、とは思わないかい? 僕が(それ)を与えてあげようじゃないか」


 その言葉を聞き――くつくつとユエラは喉を鳴らして笑った。


「――何がおかしい?」

「……おかしゅうならいでか」


 この男は、〈賢者〉などとあだ名されながら、すでに呆れるほどの失敗を繰り返している。この街で敵に回す必要もない相手を敵に回し、かくも回りくどい手を使ってまでユエラとの一騎打ちに持ちこんだ。

 その理解しがたい思考回路、そして行動原理は、明らかに人間を逸脱している。

 逸脱しているからこそ、やることなすこと――人間相手の交渉が、ことごとく裏目に出ているのだ。


 だが、相手がユエラとなれば少し事情は違う。

 ユエラの本質は獣であり、化け物だ。人の皮を被った化け物だ。まさにクレラントが何度も指摘した通り。


 元は獣であったユエラと、元は人間であったクレラント。

 二人はすでに等質の存在――人の皮を被った化け物同士であった。


「……やはりおぬしは化け物よ、クレラント」

「それがどうした? そうさ、僕の命はもう人間じゃあ届かない――」

「そうではない」


 ユエラは彼を睥睨し、嗤う。

 身動きもできないにも関わらず、あざ笑うように。


「おぬしは、私よりも、よほど化け物らしかろうさ。――化け物(わたし)に意識を傾けた挙句、とうとう人間を理解できなくなったと見えおる」


 狐の鼻頭をくいっと掲げ、あざ笑う。ユエラは犬歯を覗かせて笑う。

 ――それがクレラントの怒りを買った。


「――貴様がッ!! 貴様さえいなければ、僕がこんなザマを晒すことも無かったろうが!! 貴様を狩ろうとなんざしなけりゃ、人間として死ねたってのによッ!! 元はと言えば、全部――貴様のせいだろうがよォ、テウメシアァッ!!」

「つまらぬ逆恨みよの――が、う、きゅぅッ……!!」


 クレラントが激昂するとともに、ユエラを捉える空気の層が急激に締め付けを強めた。

 肉体のみならず臓器までも絞るように圧迫される。血液が逆流するような感覚を覚える。意識が遠退く最中、上下が反転し、頭から地面に叩きつけられる。


 がつん、と。

 加速しながら堅い地面に叩きつけられる感触――頭が割れ、頭蓋が零れ、脳天から血がだらだらと流れ落ちる。


「死ねよッ!! 僕がッ!! 殺してやる!! おまえがこの世に生きてたら――僕がなんのために人間を捨てたのか、わかりゃしねえじゃねえかよォッ!!」

「が……う、きゅッ……う、ぐ……ッ!!」


 呼吸器官が強烈に締め上げられる。

 クレラントがゆっくりと手を掲げるに連れ、ユエラは天高く空に上り詰めていく。

 彼女の身を支えるものは、クレラントが操る不可視の大気のみ。


 ユエラはぐるぐると定まらぬ視界の中、地上を見下ろし――


「死ねッ!! さもなくば苦しんで死――」


 瞬間。

 小柄な影が飛ぶように地を駆け、同時に銀の光が投げ放たれた。


「ね゛ッ」


 輝く刃がクレラントの首筋に突き立つ。彼は口からうろんな声を漏らす。


「――させません」


 小柄な影が幾重にも重なり、あるいは分かたれる。

 それは多方向からクレラントを囲いこみ、同時に殺到。


「な……ぐ、テウメシア、貴様ァアッ!?」

「ユエラ様ではありません。私ですよ」


 だが、それは単なる幻だった。

 クレラントの背後から背中に刃を突き立てる影一つを除いては。


 瞬間、ユエラを支えていた空気の層が突如消滅する。

 激痛に思わず術式を解いてしまったのだろう。あるいは故意の所作であろうか。

 少なくともユエラを戒める感覚は無くなった――その代わり、200suにも及ぶユエラの肉体は真っ逆さまに堕ちていく。


 その落下地点と思しき場所へ、小柄な影はすかさずやってくる。

 彼女は――テオはまるで当たり前のように待ち構え、両手を出し、そしてしっかりとユエラを抱き留めた。


「申し訳ありません、ユエラ様。少々遅くなってしまいました」

「……て、テオ。おまえ」

「はい」

「……いつからそんなものを持っておったのかえ……?」


 テオであることは間違いない。

 小柄な体躯、薄褐色の肌、艶やかな黒髪。お仕着せのエプロンドレスに短剣を構えた、いつ見ても愛らしい従者の少女――テオ。


 果たして彼女のスカートの裾からは見慣れぬもの――否、ある意味では見慣れた物――狐のしっぽがてろんと垂れていた。


「生えました」

「……は、生えただとぅ?」

「何かおかしいですか?」

「おかしいに決まっておるであろう!?」

「ユエラ様もそのような御姿ではないですか」

「……う、あー、これはだのぅ……」


 すぐ近くでまじまじと見られ、ユエラは少し恥ずかしげに身をよじる。

 今のユエラは、狐だ。どこからどう見ても狐である。少し大きい上にしっぽも多いが、いかにもな四つ脚の獣そのままだった。


「ユエラ様も後からしっぽが生えたのでしょう」

「うむ、まぁ、そうだが」

「ならば私にしっぽが生えたとしてもさほど不思議ではないと思いませんか?」

「どう考えてもおかしかろうが!?」

「生えたのだからしかたありません」


 テオは堂々として言い切り、ゆっくりとユエラの身体を下ろす。200suにも及ぶ巨体だが、テオは軽々と抱き上げていた――魔素の強化による賜物だろう。


「……戯言をォォッ!!」


 その時。

 クレラントは絶叫とともに、天へ突き上げた腕を振り下ろした。


「『天墜(スカイフォール)ッ!!』

「――――ユエラ様、右へ」


 クレラントの詠唱とほぼ同時――否、それよりもわずかに早く。

 テオの声にあわせ、ユエラは同じ方向へ迂回して躱す。


「猪口才な――人間風情がァッ!!」


 もはや今のクレラントは支離滅裂だった。

 人間を逸脱せざるを得なかった自らを呪い、にも関わらず人間の弱さをも呪っている。その呪いは、人間でありながら彼に牙を剥いたテオへと向かっている。


「ユエラ様」

「なんじゃ」

「私には今の御姿もとても神々しく思われます」

「言うておる場合かえ!」

「常日頃からその御姿でも私は一向に構いません」

「……こやつめ」


 ユエラは体毛の下で皮膚が熱を帯びるのを感じる。年甲斐もなく面映い気持ちになる。

 全くそのような場合では無いのだが――


 クレラントの視線はなぜか、テオとユエラと正反対の方向を向いていた。


「……あやつ――」

「仕掛けます。お見守りください、ユエラ様」

「う、うむ」


 テオはすかさず懐を抜き払い、クレラントに向かって短剣を投射。

 彼はそれを感知することも出来ず、まともに切っ先を顔面で受け止めた。


「ぐ――があああッ!?!? なぜ、なぜだッ!? どこだ、どこからッ――」

「ここです」


 テオは肉迫するとともに回し蹴りを放つ。流れるように伸びた足先がクレラントの腰骨を蹴り砕く。


「がッ――ぐッ……!! う、あ……!!」


 クレラントはそれに全く反応できずよろめく。受け身も取れずに倒れ込む。

 テオはすかさずクレラントの髪を掴み上げ――後頭部を思いっ切り堅い地面に叩きつけた。


「ぶっぎゃッ……」


 少年の形をした頭が割れる。短剣が突き刺さった顔面は原型を留めないほどに破壊されている。

 ユエラは事ここに至って気づく――クレラントはテオの攻撃を全く知覚していない。


 否。

 幻惑されているのだ。

 テオの行使する魔術――幻魔術によって。


 ユエラは理解する。テオが今、この場所にいる意味を。

 テオはリグに見事打ち勝った。彼女の狂信の賜物か、呪術的類推による覚醒か、あるいは――思い上がりかもしれないが――ユエラの授けた依代の助けによって。


「存外、頑丈ですね」


 テオはぞんざいにクレラントの肉体を放り捨てる。

 彼の肉体はどれだけ破壊しても意味がない。本質的に、それはユエラが破壊した土人形とそう変わりがない。


「テオよ」

「はい」

「まずひとつ、言わねばならぬことがある――ようやった。おまえは、やってみせたのであるな」

「お褒めの言葉を授かり光栄です。しかして、私はユエラ様の命を果たしたまでです。そしてユエラ様の命をお受けするまでもなく――ユエラ様の敵は万死に値しましょう」


 テオはクレラントと相対する。

 彼はさながら屍めいた緩慢さで、あくまでゆっくりと身を起こした。


「……やってくれたねぇ。なるほどな……テウメシアの技を使えるのは、テウメシアだけじゃあない……その眷属も同様、ってえわけだ……」

「眷属、ですか」

「……違うのかい? 化け物の言いなりにはお似合いだと思うけどねぇ……」

「いえ。私にはこれ以上とない賞賛のお言葉だったものですから」


 テオは平然と言い放つ。

 クレラントは顔面に突き刺さった短剣を無造作に抜き、放り捨てた。


 ユエラはテオに並び立ち、クレラントと相対する。


「……結局、信じられるのは僕だけってわけだ。――――どいつもこいつもッ……!!」


 ティノーブルの遥か上空。

 空に君臨する漆黒の巨竜が、地表に向かって堕ちていく――まさにその瞬間、クレラントは忌々しげにつぶやく。


「しとめるぞ、テオ」

「ユエラ様のお背中を預かろうとはまさに光栄の極みです。感動のあまり死んでしまうかもしれません」

「……死ぬでないぞ?」

「無論です。ユエラ様がお許しになられぬ限りは」


 ユエラはゆっくりと前足を伏せ、ここのつのしっぽを逆立てる。

 テオは短剣を下段に構え、ひとつきりのしっぽをそばだてた。


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