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お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
90/94

九十話/竜殺し・急

「――待たせた、フィセルよ!」

「おうさ。踏み外すんじゃないよ!」


 天御柱を駆け上がり、アルバートは上空に浮かぶ半透明の足場に躍り出た。

 フィセル、そしてアルバート。かつて敵同士だった二人は並び立ち、漆黒の巨竜――魔王イブリスと対峙する。


「左右に分かれるよッ!」

「――了解!」


 フィセルは右方へ、アルバートは左方へ。

 互い違いに逃れながらも、二人ともが敵の攻撃範囲内であることに変わりはない。


 いずれにせよ、イブリスの注意は地上から逸らされた。

 その間にも絶え間なくエルフィリアの射撃はイブリスの翼を射抜いている。


「Gululua...!!」


 さながら呻くような竜の咆哮。

 魔竜の眼差しが地上へ走りかけた瞬間、アルバートは右腕を突き出し、静かに唱えた。


「――――『降り注げ』ッ!!」


 精霊術・極大雷光呪――二度目。

 天より降りそそぐ稲光が魔竜の全身を貫く。当然、竜の巨躯が回避する(すべ)はない。

 それは決定的な損害を与えるには至らないが、イブリスの動きを止めるという重要な役割を果たす。


「アルバート、そいつはあと何回撃てる?」

「……即時でならばあと一回が限度だ。それ以上は魔力の充填が必要になる」

「了解。それじゃ、まぁ……二回だ」

「何?」

「私が時間を稼ぐ。だから、二回分を確保してくれ。それだけありゃ、下も何かの手が打てるだろ?」

「――承知した」

「そっちも気をつけな。一度でも食らったら終いだ――よッ!」


 二人が言葉を交わす最中。

 割って入るように怒り狂ったイブリスの凶爪が振りかぶられる。

 フィセルはそれを掻い潜るようにして躱し、前足関節部の下へ入りこむ。


 関節部――とはいえ魔竜の巨躯である。フィセルの剣筋をしても断ち切れるようなものでは断じてない。


『二回――二回ですね、お兄さま?』

「ああ。それだけは保たせられる」

『――では、準備完了した後、一度目の雷撃に合わせて攻撃を実行します。合図をお願いです』

「わかった。それまでは頼む」


 アルフィーナとの通信を終えたその時、イブリスはすでに雷撃の影響から半ば逃れていた。

 巨竜はぐるりと円を掻くように身をひねる。ほとんど壁のような野太い竜尾が宙を薙ぎ払っていく。


「――ッ……『いだてんよ』!!」


 ――――精霊術・加速呪――――


 アルバートはその勢いと猛風に煽られながら咄嗟に詠唱。

 人智を逸した速度を発揮し、アルバートは別の足場に飛び退る。


 今ので集約した魔素をやや消費してしまった。が、致命的な消耗というわけではない。

 アルバートはフィセルのほうへ視線を向ける。


「無事か!?」

「こっちは心配するんじゃないよ――」


 瞬間、アルバートはわずかに違和感を覚える。

 彼女の声が妙に遠いのだ。


 それもそのはず。

 ――――フィセルは竜尾を飛び越した挙句、その上に着地し、表皮に剣先を突き立てていた。

 並大抵の使い手なら振り落とされたか、あるいは刃が立たなかったろう。

 しかしフィセルの剣腕をもってして、彼女は竜のしっぽに食らいついたのだ。


「馬鹿、死ぬぞッ!!」

「落ちたら受け止めてくんなッ!」


 フィセルは軽口を叩きながら剣を引き抜き立ち上がる。常軌を逸した平衡感覚が、彼女の身体を竜の体表に押し留める。


「――やむを得ないかッ!」


 もし魔竜がその気になれば、フィセルは一溜まりもなく落ちるだろう。

 アルバートは長剣を抜き払い、銀の刃が帯びた魔素を解放する。中規模の魔術を発せられるだけの蓄えは十分にあった――それは長らく抜かれずにいたのだから。


 アルバートは長剣を振り掲げ、続けざまに詠唱する。


「――『光あれ』!」


 瞬間、掲げられた剣先が眩い輝きを発し、黒竜の眼前を明るみに照らし出した。

 当然、それは外傷をもたらすはずもない――だが。


「Gu――luaaaaaa!!!!」


 その効果は予想以上。

 イブリスはにわかに飛行姿勢を崩す。

 その反応を見てアルバートはかすかに得心した。確証らしいものはないが――おそらく、イブリスの感覚器官は光に弱いのだ。


 三百年も地下に閉じこめられ、封ぜられていたのだからある意味は当然のこと。

 外界を視覚以外で認識していたとしても不思議では全くない。


 イブリスが宙空でたじろいだ隙を突き、フィセルは飛ぶようにイブリスの背面を駆け上がる。

 やがてその身は翼の付け根に至らしめ――ひゅん、と剣影が光を描いて翻った。


 ――――アズライト礼刀法・飛鳥(あすか)――――


 バツン、と刃が翼の付け根を斬断する。

 半ばほど、とまでは行かないが――下段から上り詰める切り上げの一閃は、ゆうに三分の一ほどを断ち割っていた。


 飛翔ざまの一閃をもってフィセルは翼膜に接地。

 極めて不安定なその場所で彼女は姿勢を保ち、さらに地を蹴って半透明の足場へ飛び渡る。


「――――Guluaaaa!!!!!!」


 フィセルが着地した刹那、血しぶきが煙のごとく噴出する。

 それはイブリスの巨躯に比してあまりにか細い傷だが――しかし無視できるものではない。

 イブリスはすかさず大口を開き、口中に蒼い炎を瞬かせる。


 ――――今こそ、とアルバートは確信した。


「今だ!! 行けるか!?」

『合わせます!』

「了解――――『降り注げ』ッ!!」


 二発目の充填は完了していない。だが、この一撃で止められる時間を勘案すれば十二分。

 イブリスが炎の津波を撒き散らしかけた間際――三度雷が天より落ちて、漆黒の巨竜を撃ち貫いた。


「Ga――Guluaaaaaa――!!!!」


 苛立ちを隠しきれぬように咆哮するイブリス。

 やはり傷には至らないが、しかし、肉体の動きが止まるのはどうにもならないのだろう。

 魔王イブリスとはいえど、電気信号によって動くことに変わりはないようだった。


「今――――『たちきれ』ッ!」


 ――――精霊術・絶閃――――


 瞬間。

 地上より伸びる紅い結線が空を薙ぎ払い、イブリスの翼を通り抜けた。

 ただ一筋の線が、翼膜を透過し、通過した――ただそれだけのことに見えた。


「......Gu......?」


 魔竜さえ呼吸を、咆哮を忘れたように静止する。

 イブリスは勢い良くその身を舞い上げるように翼を羽ばたかせ――そして、突如として均衡を失った。


「Gu――luuuuu....!?!?」


 がくん、と左翼だけが不自然に地上へ引っ張られる。

 アルバートとフィセルは固唾をのみ、警戒を払いながらその様子を見守る。


 その時だった。

 左の翼が中心から真っ二つに両断され、さらに付け根と先端とで微塵に切り刻まれる。

 イブリスの巨躯は即座に再生を開始するが、よもや間に合うはずもない。


「Ga――――aaaaaaaaaaaaa!!!!!!!」


 大音声の咆哮。

 イブリスの巨躯が空中で均衡を崩す。魔素の光がその周囲を取り囲むように飛び交うが、到底その身を支えられるものではない。


 漆黒の巨竜が地表に引かれ、堕ちていく――真っ逆さまに、頭から。


「下に行くぞッ、気をつけろ!!」

『退避は完了しております!』


 地上にいる面々の対応も如才無い。

 おそらくだが、まだイブリスは生きている。地上に叩きつけられようと、それだけで死ぬことはないだろう。追撃のため、アルバートは半透明の足場を降りていこうとする。


 だがフィセルは違った。

 彼女はとん、と軽やかに足場を蹴り抜いた。


「お先にッ!」

「な……何を!?」

「決まってんだろう?」


 ――――斬りに行くのさ。


 フィセルはそういってアルバートを一瞥し、自ら宙に身を投げた。

 それもただ飛んだのではない。彼女は足場の端に爪先をかけ、思い切り蹴り――地上に向かって加速していた。


「馬鹿な、死ぬぞッ!?


 アルバートは静止の言葉をかけるがすでに遅い。

 瞬間、彼は反射的に下方へ目を向け――そして、


「アルフィーナ」

『なんですの?』

「治癒術の用意を頼む」

『――死なないようにだけはして下さい』


 アルフィーナの声を聞いた瞬間、アルバートもまた身を投げた。

 余剰の魔素をあるだけ推進力として噴出し、加速――落ちゆく魔竜イブリスを射程に捉える。


「お。付いてきたのかい、勇者サマ? また名を挙げたくなってきたのかい?」

「そんなわけがないだろう! 何を考えてるんだ!? おまえは!?」

「――ここで仕留めるのさ」


 フィセルは一直線にイブリスへ肉迫しながら端的に言う。


「あいつを地上にのさばらせればそれだけ被害が出る。街の連中が逃げ切ったなんて保証はない。だから――絶対に、ここで、殺る」


 空中で姿勢を制御し、長剣を掲げる。

 彼女の蒼い眼光はまっすぐにイブリスを見据えている。


「――良いだろう」


 アルバートは風を感じながら急速に墜落。

 呼吸にすら難儀する中で、彼もまた自らの長剣を振り掲げる。


「だが、私が先に行く」

「行けるのかい?」

「いいや。私が一撃を入れて引きつける――だから、止めを頼む」

「……へぇ」


 あんたが私に功を譲るなんてね、という思いも無いではないだろう。フィセルはちいさく嘆息する。


「わかった」


 フィセルが頷くと、二人はお互いに落下速度を感覚しながら目配せした。

 この場で是非を議論するような余裕はない。

 視界の端、イブリスが落下しながらもんどり打つ。片翼を無様に空転させつつも大顎が宙空を仰ぐ。


 ――瞬間。


「行くぞッ!! ――――『降り注げ』ッ!!」


 これで四度目。正真正銘、残しておいた全ての魔素を注ぎ込んで放つ術式。

 精霊術・極大雷光呪。合わせて四度目の稲光が空を裂き――――アルバートの剣先に集約、滞留した。


「Gu――luuuaaaaaa!!!!」


 イブリスは竜のあぎとを開き、ちろちろと青い炎を瞬かせる。触れれば一瞬にして人体を炭化させる死の炎。

 漆黒の竜とアルバートの眼光が交錯する――――刹那。


「お――――おおおおおおッッ!!!!」


 全力の推進加速と落下速度、そして重みの全てを合わせ、アルバートは剣先を魔王に皮下に叩きこんだ。

 彼の剣技だけではなし得なかったろう。されど漆黒の鱗は雷光の熱量によって焼き裂かれ、銀の刃が竜の肉身に突き入れられる。


「Gu―――Ga――――Gugaaaaaaaaa!!!!!!」


 ただ刃を打ち込んだだけではない。

 剣先の発する雷撃は竜の肉を焼き、稲妻を骨身にまで浸透させる。

 魔素の鎧と黒鱗という鉄壁の守りをすり抜けて叩き込まれたその一撃は、漆黒の巨竜をして絶叫を禁じえない代物だった。


 開かれた大口があらぬ方に向けられ、全くのでたらめに炎を撒き散らす。それはただ上空の雲を散らし、地上に火の粉の雨を降り注がせた。


「――――抑えてなよ、アルバートッ!!」

「言われずともッ……!!」


 イブリスの巨躯からなる抵抗に必死で抗う。ほとんど強引に刃をねじ込み、アルバートはその柄にしがみつく。

 両者の体格差は火を見るよりも明らかだ。あと何秒とて保たせることはできまい。


 だが。


「――――()ィッ!!!!」


 ひゅん、と刃がかすかに鳴く。

 それは目にも映らない。

 空中でフィセルが加速するやいなや、彼女はただ巨竜の首と擦れ違い――そして光が瞬いた。


 ――――アズライト礼刀法・金翅鳥(かるら)――――


 ひゅん、と光の線が漆黒の竜の首をよぎる。

 否、よぎるなどというものではない。首の直径でさえも、刃の直径よりはるかに勝るのだから。


「....Gu....?」


 瞬間、イブリスはかすかに呻くだけで堕ち続ける。

 まるで何が起こったか理解しかねるかのように。


 数瞬、ただ自由落下に身を委ねる空白の時。

 ついに地表が近づく最中、それは起きた。


「Gu....u....luaaaaaaaaaaa!?!?」


 バツンッ。


 竜の首を半ば断ち割る切れ間が走る。漆黒の巨竜がこれまでになくおぞましい咆哮をほとばしらせる。

 それがただの切り傷であったらば再生が追いつき、傷口はすぐに癒着されただろう。


 だが、エルフィリアの矢がすでに証明している。魔力をまとう武器が身を貫くことは、少なからずイブリスの肉体再生を阻害すると。


「――――よい、せッと!」


 フィセルは首根に突き立てた脇差しを基点に身を浮かし、イブリスの上に飛び乗った。

 長剣を抜き放ち、竜の首を断ち切った直後――彼女は咄嗟に脇差しを突き立てていたのである。


「フィセル殿ッ!?」

「ああ」


 アルバートの視点からフィセルの様子はうかがえない。刃を押さえ込んでおくのが精一杯であるからだ。

 だが、それもじきに終わる。


 フィセルは振り抜いた長剣を構え直し、イブリスの首――断裂した傷口に刃先を向ける。

 切っ先がまばゆい剣光を照り返し、瞬かせる。


「じゃあね。あんたに恨みはないけど――こいつで、終いだ」

「....Gu...lu....」


 もはや咆哮とも言えないか細い音。

 あるいは、それは、魔王の断末魔であったのかもしれない。


 ひゅん、と刃がにたび鳴く。

 首だけでも長大に過ぎるそれは、しかしフィセルの一太刀に切り離され――


 瞬間。

 凄まじい轟音と震動、衝撃をもたらし、竜の屍は地に叩きつけられた。


 ◆


「……ッ、くぅ……!!」


 ――気を失っていたらしい。

 フィセルは全身に痛みを感じながらゆっくりと身を起こす。


 失神していたのは一瞬のこと。

 だがそれは致命的な隙にもなりかねない。彼女は瞬時に周囲へ視線を配る。


「――フィセルッ、無事ですかッ!?」


 その時、後ろから声が聞こえてくる。

 声の主は振り返るまでもなくわかった。近頃は一番多く聞いた声といっても過言ではあるまい。


「……問題ないよ。ちょっと……めちゃくちゃ痛いだけだから」

「思いっ切り打ってるじゃないですか!」

「ッ……ああ、どうやらそうみたいだね」


 これだけの巨体ならば緩衝材の役目も果たしてくれるだろう。そう見積もっていたのだが、少し公算が甘かったらしい。


 しかし、どうあれ生きている。ざっと見る限りは骨も逝っていない。

 魔王イブリスを相手にした結果として、これはずいぶん僥倖だった。


「ぐっ……うあッ……痛ゥッ……!!」

「お兄さまは私の治癒術を施しますので、こちらへ」

「ちょ……待て……おまえの治癒術、治るまでに痛みも逆再生するだろうッ……ぐげえぇぇッ!!」

「アルバートさま、私がお傍についております!! どうか堪えてください!!」


 向こうではアルバートがアルフィーナに引きずられていた。

 何か悲壮な声が聞こえたが、とにかく生きているならそれで良い。


 フィセルはゆっくりと長剣を鞘に収め、そして……激突の衝撃に見舞われた脇差しに目を向ける。

 当然、と言うべきか。脇差しの刃は半ばから無残にへし折れていた。

 修理してどうにかなる破損ではない。


「――フィセル」

「……なんでもないさ。なんでも」


 フィセルは頭を振り……折れた脇差しを引き抜き、それも鞘に収める。

 手に馴染んだ得物ではあったが、所詮は道具。すぐに気持ちを切り替えることは難しいが……いずれ、嫌でも切り替えることになろう。


 果たしてイブリスに目を向ければ、切り離された首はすぐ近くにあった。

 虚ろな双眸は開かれたまま、宙を見るともなく見つめている。


「……因果なもんさねえ。こいつも」


 フィセルはちいさくうそぶきつつ、屍の上から飛び降りる。

 話は通じない、暴虐を撒き散らす、まさに破壊の権化のような存在ではあったが――人間の都合で蘇らされ、そして人間の都合で殺されたことには違いない。


 肉体の再生は完全に停止している。

 魔王イブリスが動くことは、もう二度とない。


「……まずは、傷を治しましょう。話はそれからです」

「……どうしても?」

「どうしてもです」


 フィセルは肩をすくめてちいさく頷く。クラリスから向けられる眼差しは、頑として譲らないという断固たる意志を感じさせた。

 討伐は無事に完了したが――大変なのはここからだろう。


 まずもって屍をどこかに退かすだけでも一苦労。

 そして当然のことながら、中央広場や周辺の建物はまとめて押し潰されてしまった。

 言わずもがな、〈封印の大神殿〉も完膚なきまでに崩壊。大魔石もおそらくは砕け散ったろう。探索は一からやり直し、というわけだ。

 フィセルが迷宮に潜る動機はもはや無いが。


 いや、そもそもの話――〈封印の迷宮〉は以前のままなのだろうか?


「……フィセル?」


 と、考えを巡らせていたフィセルの顔を、クラリスが怪訝そうに覗き込む。


「これからどうなんのかね、って考えてたのさ。……こいつも厄介な置き土産をしてくれたもんだ」

「全く、ですね。……そういえば、周りの被害は――」

「――――大変だよッ、離れて、二人ともッ!!」


 その時だった。

 二人に向かって声が届く――リーネの声。

 彼女こそは周辺警戒、そして周囲に被害を出さないよう結界の敷設に務めていた当人に他ならない。


「……どうしたんだい?」


 フィセルは振り返り、まずは言われるがままクラリスの手を引いて屍から離れる。

 リーネは息せき切って二人のすぐそばまで駆け寄る。肩で息をして、ゆっくりと顔を上げて言った。


「魔王ほどではないけど、すぐ近くに小さな生態反応あり。何かはわからないけど、危ないかなって……」

「……魔力反応?」


 フィセルは眉をしかめる。まさかまた復活したわけでもあるまいに、と。


「……この屍も相当な魔素を宿しています。それと間違えられたのでは?」

「ううん、確かに熱源の反応があるよ。だから、何か別の生物かも……」


 肩を揺らしながら言葉を継ぐリーネ。

 フィセルはアルフィーナにうかがうように視線を向ける。


「確かに生体反応が一つあります。……が、おかしいですね」

「何がだい?」

「正確な位置で言うなれば、これは魔王イブリスの内部に存在しています」

「……って、ことは」


 フィセルはそれを聞いてぴんと来た。

 瞬間、クラリスは速やかに治癒術の詠唱を開始。打ち身か何かの痛みが緩やかに引いていく。


「気をつけて下さい。……万全とは程遠いのですから」

「ああ。でも、私の想像が正しければ――多分、気をつけるほどのもんでもないよ」


 だろう? とフィセルはアルフィーナに目配せする。

 アルフィーナはこくりと頷いて言った。


「内包している魔力量はそう多くないようです。魔王イブリスの脅威度とは比べるべくもないでしょう」

「と、いうことらしいよ」

「……わかりました。……ですが、正体……?」


 クラリス、そしてリーネも共に首をかしげる。判断が付きかねるかのように。

 アルフィーナは思わしげにおとがいに手を当て、「――もしかして」とつぶやきを漏らす。

 アルバートは死んだようにうつ伏せに倒れ、エルフィリアがその傍らで見守っている。


「……さぁて。何が出るやら」


 フィセルは再び屍の上に乗り上がる。無遠慮に踏みしだき、竜の腹に当たるであろう部位を目指す。


「……この辺りかい?」

「うん、ちょうど、その辺り――だと思う」

「私もその辺りかと思われます」


 アルフィーナ、リーネの二人が同じように言うからには間違いないだろう。

 フィセルは抜剣し、竜の下腹部に刃先を浅く滑らせた。


「な、なにをッ」

「なるほど。確かに、それしかないでしょう」

「……どういうことです?」


 得心げに頷くアルフィーナ。クラリスはいささか怪訝そうに首をかしげる。


「見ての通りです。……ある生き物が、別の生き物を体内に秘めている可能性。そrへあもう、一つしかあり得ないでしょう?」

「……まさか」


 ある可能性を示唆する言葉。クラリスは言葉を失ったように口元へ手を当てる。

 ぽつり、とリーネは何の気なしにつぶやいた。


「……子ども?」


 瞬間。

 フィセルは割り入れた刃を滑らせ、竜の白い腹を開かせる。

 彼女は慎重にイブリスの内臓器官をまさぐり、ついに少し硬い異物感を探り当てた。


「……あったよ」


 それに生物らしい柔らかさはうかがえない。魔石のように堅い感触がフィセルの掌に伝わってくる。

 少なくとも噛みつかれるようなことはないだろう。

 フィセルはそう判断し、腹の中へ腕を突っ込んだ。


「だっ大丈夫ですか!? 食べられたりしないですか!?」

「ないです」

「ないと思う」


 慌てたように言いつのるクラリス――アルフィーナ、リーネは淡々と。

 フィセルはしばらく筋骨の蠢動を感じたあと、剣先で探り当てた異物感を捕まえ、腹の中から取り出した。


「あったよ。……こいつだ」


 それは一見して、生物が内包するものには見えなかった。

 形状は細長い楕円形で、色はイブリスと似ても似つかないほど白い。大きさはせいぜい30suほど。手の中に収まるほど小さくはないが、持ち運びはできる程度の量感だ。

 表面は無機質かつ硬質な外殻に覆われており、貝殻にも似た印象を受ける。だが実際に触ってみれば、もっとしっくりくる言葉がすぐに思い当たるだろう。


「やはり、ですか」


 アルフィーナの嘆息。


「……これは……」


 クラリスは息を呑む。


「……壊しちゃったほうがいいんじゃないかな……?」


 リーネの提言。


「……私たちの判断で勝手な真似をするわけには参りません。今回の討伐自体が出過ぎた行動なのですから、こればかりはせめてキリエ枢機卿に判断を仰がねば……」

「私はそれでいいよ。別に今すぐどうこうなる代物でもないだろうからね。――それで良いんじゃないかい?」


 それを掲げたまま周囲を見渡せば、討伐に携わった全員が揃って頷く。

 そうと決まったあと、アルバートは力尽きたように視線だけを上げて目を見開いた。


「フィセル殿、それは」

「ああ、見ての通りさ」

「……と、いうことは……」


 アルバートは竜の屍に視線を向け、ため息を吐く。


「魔王イブリスは――――雌だったのだな」

「らしいね。……誰とこさえたのかは知んないけどさ」


 フィセルは肩をすくめて笑う。すっかり気が抜けたように。

 

 果たして、彼女がイブリスの体内から取り出したのは――竜の卵であった。

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