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お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
89/94

八十九話/狐狩り

「――――なにも理解できぬままに殺し尽くしてくれる」


 ユエラの九尾がクレラントの躯体に襲いかかる。

 まるで屍を食い破るように殺到したそれらは、しかし、少年の肉体を直撃する瞬間にぴたりと静止した。


「おいおい、テウメシア。自分のほうが格上だと思っちゃあいないかい? 僕は一度君を下した男なんだぜ?」


 分厚い大気の層。それが盾となってクレラントの全身を鎧うように包みこんでいる。

 生半可な攻撃では破ることのできない守り。それに覆われながら少年はゆっくりと立ち上がる。


「戯けが」


 瞬間、ユエラは九つのしっぽを束ね、一纏めに打ちつけた。

 ばしゅん、というか細い音を立て、空気の層が雲散霧消する。


「――ッ、うおっ!」


 そのままの勢いで地に叩きつけられる九尾。

 クレラントは咄嗟に飛び退いてそれを回避。


「ハハッ、やってくれるね、テウメシア――でも、君への対策はもうできてるんだぜ?」

「ならばやって見せるが良い」


 ユエラはそう告げながら、自らの幻像を見せかける。

 クレラントの守りを破れることは証明した。ならば、後は死角から攻撃すれば良い。


 ユエラは束ねたしっぽを捻り上げ、クレラント目掛けて一息に突き出し――


「――――そこだろ?」


 クレラントはまさにその攻撃に合わせる形で、掌をかざした。

 先ほどよりもひときわ分厚い空気の盾が、ユエラの一撃を押しとどめる。


「な、に……?」


 今の動きは、ユエラの動きを見極めていなければ不可能だった。

 確かにクレラントの視覚は幻術にかけたはずだというのに。

 九つのしっぽと空気の盾が、さながら鍔迫り合いのごとく気勢を競う。


「君と戦うに当たっての一番の対策は実に簡単――自分を信じないことさ。この目に見えるものは、僕が見たものじゃない。君が僕に見せているものだ。そう考えれば、君の動きなんて手に取るように分かる」


 クレラントはそう言うとともに空気の層を収束。

 鋭利極まりない不可視の槍としてそれを前方に射出した。


「ッ――ぐ、ぅ……ッ!?」


 攻撃と防御を同時に担う一手。ユエラはそれをまともに受け、灰色の体毛を赤く濡らす。

 200suにも及ぼうかという体躯がにわかに後方へ吹き飛ばされる。


「さあて、今回ばかりは手抜きなしで行くぜ。僕も準備していたんだからさ――」


 クレラントは膝を突き、両の掌を地面にあてがう。

 瞬間、大地が勢いよく隆起し、人型の土くれが二基出現した。

 体長は左右ともに400suを越えており、頭頂部に黄玉の単眼を備えている。宝石を核にした土人形(ゴーレム)


「……つくりものかえ」

「ああ。脳無しのつくりものだよ。でもテウメシア――君に脳無しの相手は堪えるだろう?」


 クレラントはにやりと笑みを浮かべ、その身をふわりと宙に浮かべる。

 高みの見物でも決め込むつもりなのか。

 二基の土人形はゆっくりと身を起こし、共にテウメシアを睨みつけた。


「……ぐ」


 ユエラは苛立たしげに歯噛みする。

 彼の言う通り――脳無しの土人形には、ユエラの幻魔術は一切通用しない。

 ユエラが操る対象である思考回路が存在しないからだ。


「さあ、行け、我が下僕よ。邪悪な雌狐を叩き殺してしまえ」


 クレラントが道化けた調子で言い放った瞬間、二基の土人形は同時に進撃する。

 左右から振り下ろされる巨躯の拳。


「……厄介な奴めよッ!」


 ユエラはそれと相対するほかない。

 咄嗟に飛び退くべく、彼女は前足を踏み出させ――


「――――『天墜(スカイフォール)』」


 詠唱、一言。

 空から落ちる声に伴い、大気そのものがユエラを――彼女の周囲一帯を空圧で押し潰した。


「がッ……ぐぅぅ……ッ!?」


 質量を伴った風圧がのしかかる。骨身を軋ませ、体内の臓器を圧迫する。

 以前とはユエラの体格も段違いだが――その上でも、受ける衝撃は決して以前と遜色ない。


「ハハ、君はそうやって地に伏せっているのがお似合いの獣さ、テウメシアァッ! おら、何か忘れてやいないかいッ!?」

「ッ――――」


 忘れているはずもない。

 迫りくる土人形の巨大な拳――それらは同時にユエラの肉体を左右から打ちのめした。


「ぐッ……きゅぅッ……!!」


 衝撃。

 全身を揺るがすような体重が突き刺さる。

 頭上から被さる空圧により、身を逃すことすらもできない。


 土人形は無造作に、無慈悲に次なる拳を繰り出す。

 そこに一切の意志はうかがえない。


「がッ……うくッ……!」


 計四発――たったそれだけで全身の骨が砕けたような痛みと衝撃を覚える。

〈賢者〉の魔力で強化されているのだろう。泥濘の重みも相まって、叩き込まれた威力は尋常なものではない。それはユエラの魔力の鎧を突き破って余りあるものだった。


「こ……んのッ、戯けがァアッ!!」


 放たれた矢の如く地を蹴り出す。

 ユエラは空圧に圧されながらも土人形の一基に食って掛かり、その横っ腹を一口で食い破った。

 そいつは途端に姿勢を崩す。だが、機能を停止させるには至っていない。

 さらにユエラは九つの尻尾を遮二無二に突き出し、もう一基の土人形を穴だらけにした。


「くッははッ、いよいよ化けの皮が剥がれてきたねぇテウメシア! それだよ、それが僕の望んでいたものだよ!!」

「おぬしの望みなぞ、知ったことかえ……ぐ、ぎッ……!!」


 穴だらけになりながら/胴体を食い破られながら土人形は拳を繰り出す。ユエラはそれを躱すこともできずまともに受ける。

 ユエラは口内の土を盛大に吐き捨て、そして前足の爪が土人形の腹を薙ぎ払った。


 声もなく、音もなく胴から真っ二つに崩れ落ちる土人形。

 ユエラは返す刀で穴だらけの土人形に思いっ切り頭突きを食らわす。

 瞬間、もう一基の土人形は焼き菓子にフォークを突き立てたように粉々に砕け散った。


 核となる黄玉を跡形もなく叩き潰し、ユエラは上空のクレラントを睨めつける。

 空圧に苛まれながらも、身を引きずり起こすのに支障はない。


「つまらぬ仕込みは、これで終わりかえ、ええ……?」

「……意外とあっさりやってくれたもんだね。本当に無能にするのは手間かかったんだけどな――まぁ、いいさ」


 クレラントは自嘲げに笑み、口端を釣り上げる。

 そしてユエラを上空から睥睨した。


「必要な時間は稼いでくれたからね――――『星屑(スターダスト)』」


 詠唱完了。

 その一言を契機にして、ユエラの上空で大気がかすかな唸りを上げる。


 瞬間、ユエラは嫌な予感がした。

 その直感に身を任せて後ろ足を蹴り出す。空圧に晒されながらもその場から身を逃す。


「どこに逃げたって無駄さッ、こいつからは逃れられやしないッ!!」


 それはクレラントが行使する空気の鎧の攻撃的転用。

 遥か上空に渦巻く大気の層。それを凝縮した巨大質量はさながら星のよう。


 その一撃は言うなれば、不可視の槍の雨にも等しかった。


「――――きゅぅ……ッ!!」


 ユエラは耳をぴんとそばだて、音を聞きながらジグザグに走りまくる。

 その動きたるや、傍目に見ても何の規則性も見出だせないような複雑さ。


「……んん?」


 だが、クレラントだけは違った。

 その動きを空から見下ろす彼は、かすかに眉をしかめる。


 対するユエラは片時たりとも足を止めない。

 彼女が通り抜けたすぐ後に、空気の塊が地へ着弾する。無数の"星屑"が地面に大穴を穿っていく。


 そしてユエラは――そのどれにも、一度たりとも被弾していなかった。


「――――何をした、テウメシアアァッ!!」


 四尾の異能――魔素を介して術式を解析、その意図を読み取る力。

 五尾の異能――自らの神経電流を操作し、意図した通りに肉体を動かす力。


 この二つの力を同時に用い、ユエラは全ての"星屑"を紙一重で回避していた。

 飽くまで理論上の話だが――どれほど困難であろうとも避けられる限り、ユエラはあらゆる攻撃を回避し得る。


「……ふん」


 ユエラは回避行動のための走りを継続しつつ、しっぽをバネに自らの身体を跳ね上げる。

 その狙いは言わずもがな――宙空に居座るクレラントを叩き落とすためだった。


「ぐッ……うッ!?」


 一瞬、ユエラはクレラントの頭上を取った。

 彼女は即座に九つのしっぽを束ね、落下速度を乗せて勢いよく叩きつける。


 がつん、と急加速して地面にまで弾き飛ばされるクレラント。

 彼は地表に真っ向から激突したあと、バウンドしながら咄嗟に起き上がる。


「……ッの、雌狐がァッ……!!」

「やかましいわ、しつこい男よ……!」


 ユエラはなおも足を止めない――止めることができないのだ。クレラントの術式はそれほどの規模と継続的な攻撃、そして追尾性を併せ持っていた。

 クレラントは続けて詠唱を開始する。


 まずい、とユエラは直感するがどうにもならない。

 空圧に晒され、それでも回避を続けながら――例えその意図を読めようとも、続けて放たれる術式を回避する余裕があるはずもなかった。


「――――『四方天束(エアディストレス)』」


 クレラントの一言(いちごん)に応じ、ユエラの四方の大気が収束する。

 それは極めて限られた範囲内の大気であったが――"星屑"を回避しなければならないユエラを絡め取るのは決して難しいことではなかった。


「ッ、ぐ……きゅぅッ……ッ!?」


 不可視の檻に戒められ、ユエラは絞り出されるような声を漏らす。

 四方から空気の層に締め付けられているのだ。刻一刻と大気の重なりは厚みを増し、拘束感を強めていく。


 クレラントが人差し指をちょっと上げた瞬間、ユエラの肉体は宙吊りにされるように空中へ持ち上げられていく。


「ッ……くっ……はな、しぃよ……!」


 ユエラは四肢と九つの尻尾を全力で振り回して拘束に抗う。

 しかし空気の層は厚みを増すほど掴み所がなくなり、まるで水を掻くような虚無感に苛まれる。


「……やーっと捕まってくれたねぇ。苦労させてくれたけど、終わってみれば意外と呆気ない――さて、どうしてくれようかねぇ?」

「抜かせ……ッ!」


 ユエラは歯を食いしばり、外界への干渉を試みる。

 だが、彼女を取り囲む空気の層は尋常ならざる魔力量を帯びていた。ユエラの発する魔力量をして突き破ることは敵わない。

 それが一時的なものならまだしも、拘束は刻一刻と強まっているのだから。


「何をしようが、無為に終わろうぞ……どうせおぬしにも、私を殺せやせんのだからのぅ……ッ!」

「ああ。その可能性はもちろん折り込み済みさ。いざという時の最終手段は残してある。君を捕えて拘束した上で、ありとあらゆる手を尽くして――それでもダメだった時は、って奴だけどね」

「……貴様、何を考えておるッ!?」

「聞きたいかい? まあ、今は君を捕まえてとても良い気分だからね。教えてあげるとしようじゃないか」


 クレラントはにやりと口端を吊り上げ、不可視の檻に捕らえたユエラを見上げながら告げる。

 迷宮街の空に君臨する漆黒の巨竜を指差しながら。


「――――君を迷宮の最奥に封印するのさ、テウメシア。魔王(あれ)の代わりにね」


 ◆


「テオ、貴様ッ――――」


 リグの眼前でテオの姿がにわかに霞む。

 同じ姿が重なって見える。

 あるいは、まるで彼女が二人いるかのように分かたれる。


 この光景を前にして、リグは初めてうろたえた。

 言わずもがな、古今東西の武芸を総覧してもこのような技はあり得ない。


「終わりにしましょう、我が師よ。――――どうにも嫌な予感がしますので」


 テオは背部で灰毛のしっぽをそばたて、軽く握るように短剣を構える。


「――なんだ! それは! なんのつもりだというのだ!」

「すでに申し上げたはずです」


 リグは彼女を一人前の敵と見なした。

 一人の武人として、仕留めるに値する敵であると認識した。


 だが、目の前の彼女はもはや――リグの知るテオでは断じてない。

 暗殺技術という、リグが知り得る領域とは全くの無関係に。

 テオは、リグを超克しようとしている。


「二人で挑ませて頂きます、と」


 テオの姿が動く。

 それは実像か幻影か――判別は極めて難しい。

 テオはほとんど完璧に足音を消し去っているからだ。


 リグは辛うじて――質量が移動する風の流れから実際の動きを予測する。

 振られたリグの短剣が虚空が止まり、甲高い音が響き渡る。


「――これを、止めるのですね」

巫山戯(ふざけ)るな――――!」


 声が聞こえた瞬間、幻像のテオがすぅっと掻き消える。

 一瞬、リグと短剣の刃を打ち合せている実像が現れ――飛び退くとともにまた消える。


「ッ――!」


 テオの攻撃が無いまま風の音だけが響く。

 それが長い間続けば、完全に彼女の居場所を見極めることは難しい。


 ――――ひゅ、と刃が風を切るかすかな音。


「――――くッ!」


 リグは辛うじて背後は短剣を繰り出す。

 ガキィンと金属音が鳴り、またも刃が虚空で静止する。


「ふざけているのはあなたです。我が師よ」


 馬鹿な、とリグは悪態を吐く。

 このように理不尽な事象に膝を屈することがあってなるものか。

 当然、そのような思いは無いではないが――


 何よりもリグを憤らせたのは――まんまと横槍を入れられたことだ。

 万人の万人に対する戦い。すべての人間が孤立すれば良い。


 そのようなリグの理想と、今のテオの強さは、全く相反するものだ。


「小童が何をッ!」

「老兵は去るものです」

「ほざけッ……!」


 幻影にまぎれながらの剣影がリグを翻弄する。

 実像と見せかけて幻影。幻影と見せかけて実像。

 テオは虚実交える攻防に加速度的に習熟していく。リグに反撃の取っ掛かりをもたらさないままに。


「私があなたの流儀に付き合う筋合いはもはやありません。あなたがそれを押し付けるのならば、私は全力をもってそれを跳ね除けるのみ」


 テオとリグの狭間にある圧倒的な年月の差は、到底付け焼き刃で埋められるものではない。

 だからこそテオの解決手段は、ユエラの考え方に極めて忠実だった。


 ――できないのならば、自分でやるのではなく、できるものにやらせれば良い。

 そしてテオには、ユエラの眷属足りえる繋がりがすでにあったのだ。


「何が――貴様にそれほどの変化をもたらしたというのだ」


 リグは白い面に苦渋の表情を浮かべる。

 テオは長い間、彼女の元で訓練を受けた。その考え方にもリグの影響を受けていなければおかしい。その期間は、ユエラと一緒にいた時間など比べものにならないほど長い。

 派閥さえ異なれど、ほんの数か月前までは同じイブリス教団に属していたはずなのだ。


 ――にも関わらず。

 テオは、全く別の存在にまでなり果てていた。


「ユエラ様の他にはあり得ません」

「拠り所を変えた、ということか」

「そうですね。――そして、これが最後の拠り所になるでしょう」


 別の信仰に乗り換えた、と言えばそれまでだろう。テオはそのことに自覚的だ。

 そして彼女の決意のほどは――まさに、その身に宿した狐のしっぽが物語る。


「依存して恥じもせぬか」

「依存もせずに生きていられると思っているなら、そのほうが余程お恥ずかしいかと」

「――――貴様」


 声のした方からテオの短剣が突き出される。リグはそれをかすかな風の音で読み取り、反応し、捌く。

 相も変わらず超人的な反応に変わりはない。かといって攻めに打って出ることも叶わない。


 テオは一歩飛び退き、リグと真っ向から相対する。

 リグは視覚のみならず、全感覚を総動員してテオと向かい合う。


「――――終わらせましょう」

「終わるものか。これは始まりに過ぎん――――」


 竜の暴虐が吹き荒れる街はもはや遠く。

 声が途切れるとともに静寂が訪れ、風の音だけが周囲に響く。


 瞬間、テオは刃を手に短剣を投擲。

 リグは風切り音を聞き、それを実像の一撃と判断。短剣を一閃し、刃を叩き落さんとして――


 ――――ひゅん、と刃が空を切った。


 空振り。

 リグは驚愕に目を見開く。

 そして一瞬後、理解する。今の風切り音は、テオがあえて刃を透かしたのだ。

 つまり、短剣の投擲は虚像。そして彼女の本命は――――


「――――さよなら」


 ――――ずんっ。


 テオはリグの間合いを掻い潜り、短剣の刃を深々と胸元に埋める。

 白刃は瞬く間にして臓器を抉り、自らの師の命を吸い上げた。


 ◆


 最期の感触は驚くほど呆気なかった。

 テオは体内に埋めた刃をぐるりと捻り、そして流れるように抜き取る。

 そのまま流れるようにリグの身体を突き飛ばす――まるで、雑兵相手にそうするのと何も変わらないように。


「……ッ、はぁッ……」


 幻魔術。果たして自分に使えるものか、とテオは危惧していたが――それは全くの杞憂だった。

 テオはユエラのすぐ傍で、彼女の力の使い方を――彼女の考え方を――片時も離れることなく見守り続けたのだ。

 後は簡単。ユエラのやり方を再現するように、ただ真似をすればそれで良かった。


「…………テ、オ」

「――なんです」


 リグは仰向けに倒れ込んだまま、かすかに呻く。

 声はほとんど言葉になっていない。四肢はもはやぴくりとも動かない。

 だが、テオからすれば生きていたことが驚きだった。間違いなく心臓を突いたつもりだったのに。


「……貴様は、私が教えた中では……最も、見込みがあるものだった……」

「……そうだったんですか」


 テオは素直に意外だと思う。

 なにせテオは暗殺技術しか能がない。とはいえ、他のものも専門的な技術を学んでいたろうから、専門分野しか能がないのは全員同じだったのかもしれない。

 リグ自身を除いては。


「あなたも失敗することはあったのですね」

「…………な、に?」

「見る目がなかった、ということです」


 テオはリグを確かに打ち破った。

 だがそれは、弟子としてでは断じてない。

 武術家に対する冒涜とすら言える手段に拠ってである。


 だが、テオはそれをやってなお恥じることがない。

 彼女は使える限りの手段を尽くし、主の命令を忠実に遂行した。

 ただそれだけのことだった。

 テオの胸中は達成感にすら満ちていた――かすかに覚えた嫌な予感を抜きにすれば、だが。


「……そのとおり、だったのだろう、な」


 リグは整った相貌を血に塗れさせ、口端を吊り上げ、笑う。


「……だが……そうでなければ、わたしを殺せるものも……なかったろう、よ」


 続いた言葉は――遺言でも何でもない。

 リグは後に遺すもののことなど微塵も考えず、好きなことを言って、そのまま力尽きたように事切れた。

 あるいはそれは、彼女にとって初めての――勝者に手向ける言葉であったのかもしれない。


 テオはいやに釈然としない気持ちになる。これだけ好き放題やって、満足そうに死んでいくなんて。


「……感傷なんて、感じてさしあげませんから」


 テオは彼女の骸に背を向け、一瞥もせずに駆け出した。

 胸中の焦燥に駆り立てられるかのごとく――ユエラがいるはずの戦場へ。


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