表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
86/94

八十六話/覚醒


「……始まった、かえ」

「――そのようですね」


 ユエラとテオ。

 二人は迷宮街を見晴らせる郊外――〈ヴェルトの丘〉にいた。


 この場所こそ、〈賢者〉クレラントが指定した決戦の地。

 一方でテオの相手――リグの所在は定かでなく、結局ユエラに付いてきたのだが。


 自邸の地下にはアリアンナを置いてきた。家の周りには結界を敷設しており、下手に出歩くよりは何倍も安全である。

 彼女の父親にも誘いをかけてみたが、彼は首を縦に振らなかった――「店を空けるわけにはいかんからな」と。


 ユエラは迷宮街の上空――郊外から見てもはっきりと分かるほど巨大な竜に目をみはる。

 確かにそれは強大で、凶悪だ。全人類の脅威といっても差し支えない。手が付けられない災厄と見做され、人々が恐れるに余りある。


「あれが……魔王、なのでしょうか?」

「おそらくは、な」

「……アルフィーナさんはあれを討伐すると豪語していましたが。正直なところ、とても人間が敵う相手とは思えません」

「仕留めてもらわねば困るのだがのう。……家が灰になってしまうわえ」

「行きつけの店が燃えてしまうかもしれません」

「その辺りは最大限の注意を払う、と言うておったがな」


 二人は何気ない言葉をかわす。それは決戦直前とは思えないほど気が抜けている。


「しかし、なんというか」

「どうかなさいましたか?」

「……魔王というには、ちと、あまりに――」


 と、ユエラが言いかけたその時。

 ひゅんと空を切る音がして、彼は上空から姿を表した。


「あまりに知性がない、とでも言うつもりかい?」


〈賢者〉クレラント。

 白衣の裾を風になびかせ、少年の姿をした怪物はゆっくりと地に降り立つ。


「あれではただの怪物ではあろう。王と呼べるような威厳も風格も何もありゃあせん。――――でかいけだものと何が違うというのかえ?」

「獣は君だろう、ユエラ。――あれは彼女の晒すべからざる本性とでも言うべき姿だからねえ。人間だって一皮剥けば獣だろう? それと同じことさ」


 ユエラはふん、と鼻を鳴らしてクレラントの言葉を一蹴する。

 瞬間、ひゅん、と何かが風を切った。


「ユエラ様――前方失礼致します」


 テオは流れるように得物を抜いて弾き返す。

 地面に叩き落されたそれは、どこからか投げ放たれた短剣だった。


 さらに連続して二本の刃が空を駆る。

 今度の狙いはユエラにあらず。

 テオを正確無比に狙う刃――彼女は淡々と捌いていく。


「テオ」

「はい」

「存分にやってくるが良い」

「――――是非もなく」


 ユエラの言葉に応じ、テオはその場から跳ねるように飛ぶ。

 それと同時、物陰に潜む何者かもテオを追うように飛び去った。


 その正体が誰かなど、もはや明らかにするまでもない。


 ユエラ、そしてクレラント。

 彼ら二人が相対した瞬間、先に口を開いたのは少年の姿のほうだった。


「待っていたよ、この時を。待ち望んでいたよ、テウメシア。どうだい、君は?」

「さっさと終わらせて帰りたいな。家が燃えておらぬか心配で仕方がない」

「ハハッ、つれないねぇ。でもさ、心配することはないよ――だって、もう君はどこかに帰る必要なんてないんだからね」

「そいつはおぬしの決めることではない」


 ユエラはぶっきらぼうに言い捨てる。

 クレラントはいとも愉しげに笑みを浮かべる。口端を三日月型に歪める笑み。


「なあ、テウメシア。人払いしてもらって安心しただろう? 君のかわいい従者に醜い獣の正体をさらけ出さずに済んだろう? そんな(なり)をして誤魔化してるけどさ、君の本性は――雌狐そのものの獣だろう、なあ?」

「おぬしとは与太話もする気が起きん。さっさと片付けるぞ」

「ハハッ、それはそれは、嫌われたもんだねえ。でも、その姿のまま僕を片付けるってのは――ちょーっと無理があると思うぜ?」


 ふん、とユエラは再び鼻を鳴らす。

 確かにその通りだ。ユエラが今の姿のまま戦えば、おそらくは以前の二の舞いだろう。

 だが、この場所ならもはや人目をはばかることもない。


「……そんなにお望みならば、やってやろうではないかえ。とびっきりにくそったれな人間め」

「勘違いしないでくれよ、テウメシア。僕がくそったれなんじゃあない、人間ってもんがくそったれなのさ」

「つまらぬごたくでおぬしのくそったれさを誤魔化すでないよ。――――その血肉を元の土くれに還してやるわえ」


 と、ユエラが涼しげな眼差しをクレラントに向けた刹那。

 ユエラの臀部からしっぽが"ぶわり"と伸びる――二本のみならず幾重にも。

 総てで九本にも及ぶ灰毛のしっぽ。それはやがて全身へと広がり、ユエラの身体を覆い尽くしていく。ちいさかったユエラの身体は二回りも大きく見え、やがてその肉体は明らかに肥大化し始める。


 否、それは肥大化にあらず。

 これこそが千年を生きる妖狐――ユエラ・テウメッサの本来の姿であった。


「クッ、ハハッ! 懐かしいねえ、テウメシアッ! 本当に、本当に――その姿の君を、本当にぶち殺してやりたいと思っていたんだよッ!!」


 丘上に風が吹き荒ぶ。クレラントは白衣をなびかせ、变化するユエラを前にして哄笑する。


 ――その身の丈はおよそ200suにも及ぼうか。

 白色に近い灰色が描く輪郭はまさに狐そのもの。巨躯から伸びるしっぽは数えて九本。瞳だけは海のように深い青。

 彼女はクレラントを睥睨し、しっぽの先をぴんと空に向けて逆立てた。


「――――やってみよ。できるものならば」


 発する声もまた、明らかに幼い少女のそれではない。

 熟れた妙齢の女が発するかすれ声とでも言おうか。重ねた年月を思わせる声音が喉を突き、人の言葉として発せられる。


「ああやってやるさ。やってやるとも」


 クレラントの肉体がふわりと地面から浮かび上がる。

 ユエラはにわかに身を低く沈め、逆立てたしっぽをあらわにする。

 対するクレラントは空を滑るように疾駆し、


「殺してやる。僕が殺してやるよ。君も死にたかったんだろう、なぁ、テウメシ――――あがァッ!?」

「逝ね」


 ユエラのしっぽに叩き落される。

 瞬間、そこへ別のしっぽが矢継ぎ早に殺到した。


 ◆


「――――挨拶も無し、ですか」


 黒衣の外套に身を包んだ敵手――リグからの(いら)えはない。

 テオはユエラの邪魔にならない場所まで誘導しつつ、飛来する短剣を弾き落とす。


 森林にまで入りこむつもりはない。

 テオは森の口で足を止め、構えを取るでもなく彼女を迎え撃つ。


 一瞬後、リグは音もなく仕掛けた。

 硬い土を踏みつけ、流れるような踏み込みとともに振られる刃。

 テオはリグに合わせてそれを受け、流れに任せて外側へ流す。


 リグの長身から繰り出される迅速な連撃。

 テオは小回りを利かせた最小の振りでそれを的確に捌き、弾く。甲高い金属音が幾重にも響き、それが絶え間なく続く。


 言葉もない。声もない。吐く息の音すら聞こえない。

 テオはその事実をして理解する。

 リグはテオを、殺傷に値する対等な敵と認識したのだと。


 かつての弟子でもなければ、雑にあしらう木っ端でもなく、あるいは情報を搾り取る対象でもない。

 殺傷することのみを目標として狙う、純然たる、敵。


 彼女に刻んだ傷ゆえに、テオは彼女と対等な敵に成り得たのだ。


 一対の銀の刃が激突する。

 街の惨状にも関わらず、今は眼前に迫る死しか見えない。


 テオは振り抜かれる一閃の鋭さに合わせ、意識的に魔素を偏らせる。その業前は周辺の魔素の力をまとうに十分なもの。

 自然と引き寄せた魔素に加え、感応力をもって意図的に引き寄せた魔素がテオを後押しする。

 そうして放たれた一撃は、テオ一人だけでもリグと拮抗し得る代物だった。


 ――大方、傷が完全には癒えていないのでしょうが。


 テオはそれでも全く構わなかった。むしろ不調ならば好都合とすら言おう。

 もっとも、それでようやく五分五分というのでは世話がない。それも、ふとした拍子に崩れかねない均衡なのだ。


 静寂すら感じられる交錯。

 刃が重なり、弾かれ、捌き合う。

 火花が散り、骨肉が軋み、数知れぬ刃風が吹き抜ける。


「――腕を、上げたか」


 その時。

 ぽつり、とリグがつぶやきを漏らす。


「あなたを殺すためにはそれが必要でした」

「予想以上だった。――あの短期間で、これほどとは」

「あなたに褒められたいとは思いません」

「褒める?」


 ひゅんっ。


 声とともに短剣が突き出される。刃はテオの頬を掠め、一筋の傷を刻んでいた。

 テオはそれをすんでのところで躱していた――少しでも回避動作が遅れれば終わっていただろう。


「褒めたのではない――惜しい、というだけだ」

「……そうですか」

「その才、私のもとに置いておきたいものだが――ままならないものだ」


 ひゅん、とリグの刃が鮮やかな円を描く。

 あまりにも鋭い一撃。

 テオはそれを峰で受け、押し切られるところを危うく弾く。


「おまえは私の敵だ」

「端からそうでしょう」

「いいや。――おまえはようよう私の敵足りえる」


 やはり、というわけでもないが。

 先ほどのテオの直感は正しかったらしい。


「敵は殺さねばならない」

「同感です」


 端的な言葉の応酬。

 答えとともに死をもたらす刃が返ってくる。

 リグに合わせて切り返しているにも関わらず、リグの剣捌きは加速度的に重さを増していく。


 速さ、鋭さはさして変わらない。

 刃を受けるたびに感じる重さ、威力、圧力。それが明らかに増し続けているのである。


 ――私が消耗しているだけ、にしては……。


 テオが感応力を駆使するのに合わせ、リグも自らの力を調節しているとでも言うのか。

 ありえない、などとはとても言えない。でなければ――均衡が緩やかに崩されていることに説明がつかないではないか。


「――――くッ」


 追いすがる。

 追いつかない。

 刃の応酬がリグに一手遅れる。すんでのところで短剣を受け止め捌いた瞬間、歩くような何気なさで蹴りが飛ぶ。


「ッ、は……!」


 テオは咄嗟に飛び退き、前方に短剣を投射。

 間合いを取りつつ新たに短剣を抜き放ち、態勢を立て直そうとする。

 しかしリグはあっさり短剣を叩き落とし、そのまま流れるように踏み込む。


 離した分の距離を埋め尽くされる――瞬く間に間合いを詰められる。


「何度やっても同じことだ」


 ひゅん、と突き出される短剣。

 切っ先がテオの喉仏を狙い撃つ。


 テオは足捌きのみで上体を反らし、剣先をすれすれのところで躱す。


「同じでは、ありませんでしたね……ッ!」


 以前のままならば首を獲られていただろう。

 しかしより多くの魔素を得られる今、テオの反応速度は明らかに向上しているのだ。

 テオは回避と同時に身をひねりながら切り返す――円を描く軌跡で短剣を振り放つ。


「――――ハ」


 リグはそれを真っ向から受け止め、刃の根と根を噛み合わせた。

 お互いに刃を突きつけて鬩ぎ合う絶死の間合い――鍔迫り合い(バインド)


「ッ、は……!」


 この状況下で退くことは許されない。

 さすれば不可避の死あるのみ。

 噛み合わせた刃を挟んで二者の視線が絡み合う――焦燥が滲むテオのそれと、人形のように透徹としたリグのそれ。


 退かずとも、テオが押し切ることは困難を極める。

 感応力を向上させ、それを最大限に活用してもなおリグの域には届かないのだ。


「――――ッ!」


 テオは全意識をリグに傾ける。感応力の限りを尽くし、知覚し得る総ての魔素を注ぎ込む。

 ガキン、と刃金が擦れ合う音色が響く。


 瞬間――お互いの刃を押しとどめる拮抗状態が崩れ去った。


「くッ、ぅ……!」


 テオの刃をすり抜けるようにして走る短剣。

 狙いは先刻と同じ首筋。

 テオはリグと軸をずらすように、ぎりぎりのところで身を躱し――


「獲った」


 瞬間。

 突き刺す一閃が突如転じ、テオの肩から胴にかけてを切り下ろす。

 最小限の回避行動ではそれを避けきれず、リグの刃はテオの肌身に食い込んだ。


「――――ッ、ぐ、う……ッ!!」


 テオは激痛を噛み殺し、それでも足を止めなかった。

 身を刻まれながらもリグの間合いから逃れる。致命傷には至らない。


 肌身にぶわっと滲む汗。

 痛みと流血の不快感がテオを苛む。その上で、傷の悪影響は微塵も動作に表さない。

 少しでも痛みによる隙が生じれば、それは即座に死に直結する。


 リグは間合いを計りながら血を払うように刃を振り、言う。


「もはや終わりだ。諦めろ」

「なぜです?」

「分からぬか」

「ええわかりません。分かってやるつもりなどありません」


 口を動かしながらも二人はじりじりと動き続ける。

 胸元から血雫がぽたぽたと流れ落ちる。土くれを赤く濡らしていく。


「その傷で何ができる。先程以上の動きはもはやできまい」

「だからなんです」

「無傷のおまえが勝てない私に、手負いのおまえがどうして勝てる?」

「だから、なんだというのです?」

「――――あの雌狐がそれほど大事か」


 リグは表情も変えないままぽつりと言う。

 それを聞いたテオもまた、表情一つ変えなかった。


「それとこれとは別の話です」

「そうだ。気持ち一つで勝てるほど戦いは甘くはない」

「確かに、私だけではあなたには勝てないようです」

「二人がかりで引き分けが関の山、というわけだ」

「あいにく、そのようですね」


 テオはいっそ素直に頷く。

 認めざるをえない。

 自分一人では、どう足掻いてもリグには敵わない、と。


 だから、テオは――その"感覚"を思い出す。

 二日間ずっと知覚し続け、存在するのが当たり前のように感じていた不在の器官。


「ならば、大人しく――」

「ええ。大人しく――二人で挑もうかと思います」

「……なに?」


 その時、リグの表情が初めて歪む。

 驚愕というよりは、むしろ憐れみに近い感情によって。


「いよいよ狂を発したか」

「確信しているだけです。一人ではない、と」

「それは狂信だ――――結局おまえは、縋る縁を乗り換えただけに過ぎなかったというわけだ」


 憐憫すら浮かばせ、リグは一歩踏み込む。

 流れるような鮮やかさで突き出される短剣。

 それはテオの首をまともに貫き、引き裂いた――はずだった。


「――ッ!?」


 リグは違和感にうろたえる。

 確かに刃はテオの首筋へ突き立っているように見える――にも関わらず、手の中にはその感触が全く無かったのだ。


 瞬間。

 ひゅん、と鋭く風を切る音がした。


「そこです」

「――――なッ」


 誰もいない場所から刃が飛んでくる――否。

 リグが刃を突き立てていた"テオの虚像"が掻き消え、そのすぐ隣にテオの姿が出現していた。


 リグは咄嗟に身をかわし、テオの間合いから逃れる。

 自らテオとの距離を取る。


「――――なにを、した」

「あいにく今の私では、感覚にまでは干渉しかねるようですね」

「なにをしたと言っているッ!!」

「先ほど申し上げたでしょう」


 テオは痛みに堪えかねて息を吐く。

 彼女自身、なぜそれができたのかはわかっていない。

 ただ、できるという確信だけがあった。


「私だけではあなたに勝てないようです、リグ。ですから――――ユエラ様の力をお借りすることに致しました」


 そう呟くと同時、テオの姿が二つ重なる。

 短剣も、影も、テオの全てが二重に重なって見える。


 それはリグも一度は体験した感覚――幻覚、であった。


「――――、」


 リグはテオを一瞥して言葉を失う。

 彼女の姿にはある一点、先ほどまでとは決定的な異変が存在する。


 少女のエプロンスカートを押し上げるように垂れた灰色の毛並み。

 幻覚の産物などでは断じて無い――テオの臀部から、本物の狐のしっぽがてろんと伸びていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ