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お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
85/94

八十五話/災厄の

〈封印の迷宮〉最深部――


 イブリス教団司祭長サニエル。

 彼は一群の探索部隊を率い、一路、目標である地下百層に真っ直ぐ向かっていた。


「……道はこちらで間違いがないのだね?」

「はい。間違いなく」

「魔物の姿が見受けられないようだが……」

「経路上の大魔石はおおよそ破壊されているようです。魔物の襲撃に遭う心配はおそらくないでしょう。……が、異教徒どもの待ち伏せを受ける可能性はあります。お気をつけて」

「結構。……警戒を厳にして進めてくれたまえ」


 サニエルに言われるまでもなく、部隊は滞りなく進撃し続ける。

 彼らは魔薬漬けの信徒とはわけが違う。急ごしらえの兵ではなく、前々から戦士長リグの指導を受けて鍛錬を重ねた熟練の探索者だ。

 地下九十層近辺の魔物であろうとも、集団であれば互角以上に戦うことを可能とする。


 彼らは何者に邪魔をされること無く歩を進め、やがて地下九十九層――その最奥へとたどり着いた。

 拍子抜けするような呆気なさではあるが、この状況に落胆するものは一人もいなかった。常々は冷静な戦士さえ、昂揚を隠せないでいる。


 それも当然というもの。

 彼らが望んで止まなかった魔王イブリス封印の地――それは今、彼らの目前にあるのだ。


「さあ。行こうではあるまいか、皆よ」


 逸る気持ちを抑えつけていた探索部隊の面々。

 彼らは司祭長の号令に応じ、続々と地下百層に至る石階段を下っていく。


 ――その階段は、全員が想像していた以上に長かった。

 これまでの下り階段は全て等しい長さであったにも関わらず、である。


「やはり、この下が最深層に違いないということか」

「間違いはないかと。我々が前方を確認しながら進みますので、司祭長はその後からお越しください」

「結構。そのようにしてくれたまえ」


 薄暗く狭い階段が松明の火に照らし出される。

 四方は何の変哲もない石壁だった。見る限り不審な点は何もない。


 総員はやがて階段の切れ間に辿り着く。

 狭い通路の口から視界が開ける一室に出たところで、彼らは思わず息を呑んだ。


「――――これは」

「なんと……」


 まず彼らの視界に飛びこんでくるのは、魔石の光。

〈封印の迷宮〉地下百層――それはたった一つの部屋だけで構成されていた。

 だがその部屋は、上の階までの構造と決定的に異なるところがある。


「……まさか……この全てが魔石だとでも言うのか?」

「おそらくは……間違いないでしょう」


 そう。

 司祭長サニエルが口にしたように――その部屋を囲む四方の壁は、その全てが魔石で構成されていた。

 部屋全体が一個の大魔石になっている、といっても過言ではないだろう。


 部屋全体が魔力光に満たされており、この階層だけは灯りを用意する必要が全く無い。

 この魔石全てを持ち出せば、途方もない金銭が得られるか――あるいはあまりに膨大すぎ、魔石価格の下落を招くかもしれない。

 もっとも、持ち出すことがそもそも困難極まりないのだが。


「……なぜこのような部屋になっているのかね?」

「これはおそらく、ですが。……この迷宮内部の通路は、いわば血管のように例えられることがあります。ある程度の規則性を有しているのもそのためだと」

「迷宮内を闊歩する魔物共は、魔力……つまり、血管内に血液を循環させているということか」

「その通りです。……その例えに習うならば、この部屋は――〈封印の迷宮〉の心臓部の役割を果たしているのでしょう」


 探索部隊の一人が解説するのに、司祭長サニエルも合点がいった。

 一見、大魔石の壁は単なる塊のようにも見えるが……目に見えない裏側では、幾重にも脈を張り巡らせているのかもしれない。

 それは、心臓から伸びる無数の血管が枝分かれしているのと同じように。


 司祭長サニエルはぐるりと室内を見渡し、すぐそれに目を止める。

 魔石の光が眩い中、ひときわ目立つ鈍い輝きを発する魔石。

 それは壁面に見られる大魔石をも凌駕するほど。床から伸びるそれはゆうに天井まで達し、部屋の一角を丸ごと埋めつくす。

 そして、何よりその魔石は――他に類を見ないほど、さながら泥濘のような漆黒の色彩を宿していた。


「これは……これこそが……」


 サニエルは引き寄せられるようにその方へ歩み寄る。

「司祭長様」と探索部隊の面々が咎めるも、彼は「案ずるな」と掌を突き出して応じる。


「仔細はすでに総主教からうかがっている。これこそはイブリス卿をこの地に縛り付ける封印の依代であり……そして、我々こそがイブリス卿を封印から解き放てるのだと!!」


 サニエルの宣言に、周りの者たちも否応なく漆黒の大魔石に視線を引き寄せられる。

 彼らへ誇示するように、サニエルは掌を突き出す。少ししわがれたその指には、一つの指環がはめられている。


「これなるは封印を解く鍵に他ならぬ。皆のものよ、イブリス卿を迎えるに相応しい態勢を整えるのだ。――断じてイブリス卿への敬意を欠くようなことがあってはならない!!」

「――――は!」


 探索部隊は黒い魔石を守るように取り囲みつつ、跪くような姿勢を取る。

 サニエルはその中心を歩み出て、指環を漆黒の大魔石にかざす。

 その指環にもまた、小さな黒い魔石が備わっていた。


 言わずもがな、その指環はクレラントが与えたもの。

 彼が指環に込めた術式に呼応して、魔王の封印は解かれるのだ。


 その時、サニエルの口から厳かに唱えられる魔王崇拝の祝詞。

 物悲しく呪わしい調べを響かせ、指環の放つ光が膨れ上がる。


 瞬間――――ピシ、と漆黒の大魔石の表面に致命的な罅割れが駆け抜けた。


「おお……!」


 部隊の者たちが慄きに声を上げる。

 サニエルは腕を伸ばし、指環の光をかざし続ける。刻一刻と罅割れが広がる。亀裂がまるで蜘蛛の巣のように拡大し――――


 そして、パキン、と破滅の音がした。


「おおお……ッ!」

「ついに……!」


 上擦る声。感嘆の吐息。

 魔石の欠片が次から次へと零れ落ち、裂け目からそれは顔を覗かせる。


 それは――魔王イブリスの全体像ではあり得ない。

 それは、巨大な顎だった。


「――――なんと、なんと雄大な……!!」


 サニエルも驚嘆を禁じ得ず、魔王の姿を凝視する。

 割れ砕けた漆黒の大魔石。その向こう側に垣間見えたのは、漆黒の顎だけで200suもあろうかという異形であった。


 顎の内側にはまるで白木の杭のような牙が立ち並ぶ。

 それだけで人間の視界が塞がれてしまうような巨大さ。果たしてその全貌はどれほどのものか――この場の誰もが想像もできなかった。


 全員が言葉を失う中。

 漆黒の鱗に鎧われた黒竜の頭――その瞼がゆっくりと、本当にゆっくりと開かれる。

 覗くは金色の虹彩。それだけで眩いと感じられるほどの眼光が、ひどく緩慢に部屋の中を凝視する。


「イブリス様」


 瞬間、サニエルは――否、その場の全員が跪いていた。


「我々は、貴女様の復活を永きに渡って待ち望んでおりました。そして、今日というこの日、ついに貴女様を縛り付ける封印を解くことを可能としたのです」


 司祭長サニエルは頭を垂れたまま言葉を紡ぐ。

 漆黒の魔竜――魔王イブリスは彼らを睥睨し、カッと瞳を勢いよく見開いた。


「卿の再誕は我らイブリス教団の大望にして悲願。どうかこの世界を混沌と災厄に満たすべく、我らは卿の進撃を御側で――――」

「――――Guluaaaaaa!!!!」

「……え?」


 部屋中を揺るがすような大音声。

 欠片ほどの知性もうかがえないような大咆哮。

 びりびりと部屋中が鳴動する最中、その場の全員が呆気にとられたように顔を上げる。


 そして彼らは見た。

 魔竜の顎が大きく開かれ、その奥でちろちろと青い炎の火種がくすぶっている様を。


 刹那、炎は瞬く間に燃え上がり――

 最深層の一室に津波のごとくぶち撒けられた。


 ◆


 地上がにわかに震動する――

 まさにその瞬間よりもわずかに早く、彼女らは行動を開始していた。


「巨大な魔力反応を感知しました。避難勧告を」

「了解した。――行くぞ、皆の者よ!!」

「はッ!!」


 アルフィーナは状況の変化を速やかに聖堂騎士団へ通達。

 レイリィは報告に応じ、即座に中央広場へ進行。


〈封印の大神殿〉近辺はいつもよりわずかに人が少なかった。

 すでに街中へ広がっている噂を利用し、あえて聖堂騎士団を人目につくところに散らしておいたのだ。――噂の信憑性を高めるために。


 噂を信じるものばかりではなく、幸い、これがパニックを引き起こすことはなかった。

 突如として現れた聖堂騎士団の姿に人々はどよめく。これは一体何事か――あるいは、もしかして、と。


「皆様、突然のことですが、地下深部より巨大な魔力反応が確認されました!! 探知源は〈封印の迷宮〉最深部とのこと!! 何らかの災害の予兆である可能性があるため、速やかにこの場から離れるようお願いします!!」


 聖騎士長レイリィを筆頭に、騎士団員が声を張り上げて喧伝して回る。

 半数近い人々はその一声で腰を上げる。公教会の使い走りが直々に動いているのだ――これはただごとではないぞ、と。


「おいおい、そんなにすぐに離れられるかよ」

「ただの噂だろ? 何が起こるってんだよ」


 言わずもがな、迷宮街には聞き分けが良くないものも少なくない。

 だが次の瞬間、彼らさえ旗色を変えざるをえないほどの異変が起きた。


 ――――大地、鳴動。


「なぁっ……!?」

「げっ……!!」


 地面が、揺れる。

 否、まさに揺さぶられる、という感覚が相応しかろう。

 地上に存在する遍くは立っていることもままならず、強制的に跪く。

 構えていた騎士団員は咄嗟に身を伏せるが、受け身も取れず倒れこんだものは少なくない。


「や、やべぇっ……!!」

「う、動けねえッ」

「――――這ってでも進んで下さい! 少しでも〈封印の大神殿〉から離れるのです!!」


 事実として、その揺れは〈封印の大神殿〉直下を震源地として発生したものだった。

 わずかに揺れが収まる瞬間。

 悪態を吐いていた者たちもいよいよ死に物狂いで逃げ始める。

 何かがまずい、ということを感じ取ったのだろう。


 状況の進展に応じて聖堂騎士団員も誘導を再開する。人波がおよそ滞りなく流れていく。


「私も手伝います。結界、を――……ッ!?」

「……どうかしたかい?」


 十字通りの外側で待機するはフィセル、クラリス、リーネ、そしてアルフィーナの四人である。

 魔王を待ち構えるにはあまりに心もとない戦力であり、アルフィーナとフィセルが二本柱となろう部隊――その出掛かりであった、が。


「発現した瞬間、無力化されて――――ッ」

「落ち着きなよ、アルフィーナ。そいつはつまり、策が読まれてたってこったろう?」

「……ッ、はい、おそらくは」


 フィセルに淡々と指摘され、アルフィーナは逸りかけた精神の均衡を取り戻す。

 すぐ隣りにいるリーネは渋い顔をしながらも目をつむる。


「……結界の発現に応じて発現するタイプの反結界、かな。凄いよ、全然気づかなかった……」

「か、感心してる場合じゃないでしょう!? どうしてそんなものが――」

「……クレラントの仕業かと。間違いないです。他に結界の存在を感知できるほどの魔術師がいるとも考えかねます」


 アルフィーナは平静を繕いながら言う。クラリスが思わず歯噛みする。

 リーネはそっと決断的に眼帯を手で押さえ、言った。


「でも、あると分かったなら対処できる。私がそっちに集中するよ。だからアルフィーナは敵に集中して。私が戦力になるとは限らないだろうから」

「――恩に着ます、リーネさん」

「きみほどの人にそう言われるなら、捨てたものじゃないかな」


 リーネは苦笑いともつかない複雑な笑みを浮かべながら頷き、結界の再構築にかかった。


 改めて広場に集中する三人。

 フィセルを前衛、アルフィーナとクラリスは後衛とする。

 今のうちにもクラリスは祝詞を唱え、部隊全員を祝福する。神への祈りが力をもたらす、教典由来の詠唱魔術である。


 聖堂騎士団による避難誘導は今も続いている。

 公教会の賢明な努力により、避難民の生活はなんとか保証できるという。

 キリエ枢機卿への情報は明確ではなかったが、事の成り行きを薄々悟っていたのだろう。そして彼女は、自らのやるべきことをやったというわけだ。


 果たして、その時は来た。


「――――来ます」


 ぽつり、とアルフィーナがつぶやき声を漏らす。

 彼女が歩み出しながら空を見上げるのに合わせ、フィセルも前方へ踏み出した。


 瞬間――大気が震える。

〈封印の大神殿〉の天蓋がぶち抜かれ、白亜の壁が無残に倒壊する。


 地上に落ちる巨大な影。

 太陽の日差しが遮られ、街の中心に暗闇の帳が横たわる。


「……ははっ。なんだい、ありゃあ……?」


 フィセルはふっと視線をかかげ、もはや笑うしか無かった。

 それは空にいた。

 巨大な翼と、巨大な顎と、巨大な胴体と――巨大なしっぽを備えていた。


 竜。

 否、竜という言葉さえもはや生温い。

 大魔竜とでも呼ぶべき巨大な漆黒の魔竜が、人々の空に君臨していた。


「――――天の主よ」


 どうか我々をお救いください、と。

 クラリスがそう唱えたのも無理からぬ。


 人間と、大魔竜。

 彼我の体格差はいったいどれほどのものか。

 成人男性の数十倍、などでは済まされない。ゆうに百倍以上を超える巨躯であろう。


 それはもはや――人間が戦える域にある存在とはいえない。

 災害、災厄。一個の巨大な自然災害に立ち向かうようなもの。

 どれだけ強かろうとも、嵐を跳ね返せる人間がいるわけがない。


 あれは、そのような存在だった。


「リーネ。あれは見ないほうがいいよ。特にあんたは」

「御心配なく。私は見ないよ。――もし見たら、私のやらなきゃいけないこと、全部できなくなるだろうから」


 後方のクラリスはきゅっと瞑目したまま笑む。必死に集中を絶やすまいとする。

 フィセルは咄嗟にアルフィーナを一瞥し、腰の長剣を抜き払った。


「どうだい、アルフィーナ。……まだやる気はあるかい?」

「ええ。やると申し上げたのは私ですから」

「そいつは重畳。で、物は試しなんだけどさ……私をあいつのところまで届かせられるか?」

「あなたも大概狂っていますね」

「お互い様さ」

「できますよ」

「よし。――で、あれが本当に魔王イブリスで間違いないんだろうね?」


 フィセルは改めて確認するように問い、中央広場に躍り出る。


「断定はできませんが、おそらく間違いはないかと」

「魔王っていうより、あれじゃ単なる化け物にしか見えないけどね……」

「追い詰められた魔王は醜悪な本性と正体を現した、と文献には残されています。――それをそのまま封印した、ということでしょう」

「そいつはまたはた迷惑な話だねえ……!」

「同感です。三百年前の彼らはもう少し情報を残しておくべきでした」


 アルフィーナはそう言いながら、手の中に紅の大剣を具現化する。

 その切っ先を空の竜に向け、ぽつりとつぶやいた。


「きざめ」


 ――――精霊術・裂空――――


 瞬間、漆黒の大魔竜――魔王イブリスは低く呻き、金色の双眸を眼下に向ける。


「そいつは?」

「真空の空間を周囲に形成しました。効果は薄いかと思われますが、多少はこちらに注意を惹きつけられるでしょう」

 

 避難誘導はあらかた済んでいたが、それは人々が大魔竜の攻撃範囲から逃れられたことを意味しない。

 彼らを狙わせないためには、つまるところ――フィセルやアルフィーナが囮になる必要があったのだ。


 そしておそらく、アルフィーナの目論見はこれ以上となく成功していた。

 イブリスは地上――中央広場を睥睨する。その視線は明らかにアルフィーナの方を向いている。


 瞬間。漆黒の大顎がぐわっと開き、青い炎をちろちろと瞬かせた。


「クラリスさん。合わせられますか」

「う、うう、合わせます、通じるとは思えませんけど合わせますッ!!」

「その意気です。では――――」

「『神よ、我らを汝の盾とすることを欲したもう』ッ!!」

「――――さまたげよ」


 ――――神魔術・ライラ記二章第六節――――

 ――――精霊術・六晶防殻――――


 二者の詠唱が三人の前方に障壁を展開する。


「――――Guuuluaaaaaaa!!!!!!」


 その直後、上空から嵐のごとき焔の津波が降りそそぎ、地上一帯を薙ぎ払った。

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