八十一話/方針転換
三人は中央広場をやや離れ、テラス席のあるカフェへ。
一通り注文を済ませたところで、まず真っ先にアルフィーナが口火を切った。
「……お二人は二人だけで迷宮に?」
「いいや、あと二人いる。地上でまで付きっきりじゃあない、ってだけだね」
「なのにクラリスさんとは一緒におられるのですね」
「ああ。言うなれば運命共同体、って奴だよ。今さら降りるつもりもない。一時的な関係に過ぎないけど」
フィセルはカップをスプーンで掻き回しながら飄々という。
彼女はブラックの珈琲を。クラリスは珈琲にたっぷりのミルクを注いだもの。アルフィーナは遠慮なく紅茶を頼んだ――多少値は張るが、香りは中々どうして悪くない。
「……アルフィーナさん、私達のことは――」
「クラリスさんはお兄さまから乗り換えられたのです?」
「なんのことです!?」
人聞きが悪すぎる一言に目を白黒させるクラリス。
「……アルバートとは道こそ違えましたが、彼は必ずや立ち直るでしょう。私はそれを待つつもりです。……ですが、状況のほうは私達を待ってくれなかった、ということです。何としても迷宮探索は続けねばなりませんから」
「それは明後日のことと関係してるんですか」
アルフィーナはカップに口をつけながら問う。
なぜそのことを、と言わんばかりにクラリスはフィセルへ視線を向ける。
「……フィセル」
「私は警告しただけだよ。具体的なことは何にも言っちゃいない――だから、その娘がある程度は自力で調べたんだろうさ」
「ええ。大したことは調べていませんけども」
きっかけ――〈賢者〉クレラントは向こうから舞いこんできたのだから。
昨夜の出来事を話すと、クラリスは露骨に表情をしかめる。聖王家の名を聞けば、フィセルも決して例外足り得ない。
「……本当にそんな奴らがケツ持ちやってるってんなら面倒だね。今回の件を片付けたって、次は何をやらかすかも分からない……」
「――真偽定かならぬことは置いておきましょう。今重要なのはそのことではありませんから」
クラリスはあくまで平静を保ちながら言う。
その点についてはアルフィーナも全くの同意見だった。
「じゃあ、アルフィーナ。あんた、私に声かけたんだから、何か聞きたいことでもあったんだろう。何が目当てだ」
「ユエラ・テウメッサ。彼女の情報を求めたく思います」
「……な、なにをなさるつもりですか?」
「なんで怯えるんです」
「あ、あなたほどの危険人物がユエラさんのような危険人物と顔を合わせるんですよ! 警戒するのは当然でしょう!?」
「まぁ、落ち着きなって」
「は、はい」
胸を深く上下させて深呼吸するクラリス。
生真面目な彼女にしてはずいぶん懐が深くなったものである。これもあるいはユエラのせいかもしれない。
「具体的に何をすると決めているわけではありません。つまり、どうすべきかを決めるために情報を集めているのです。大人しくしていたほうがよい、と判断したなら私はそうしますわ」
「方針はあるのかい?」
「この街の存続です。街全体を脅かすような潜在的脅威があるならば、私はそれを排除すべきと考えますの。それが我が国、ひいては我が領の利益に繋がるでしょうから」
アルフィーナはよどみなく自らの意見を述べる。その言葉には一片の嘘もない。
フィセルとクラリスはにわかに顔を見合わせる――まるで同じことを考えたかのように。
「……本気かい?」
「私の力は風聞から御存知かと。そして私が力を尽くせる限り、出し惜しみはしないつもりです」
アルフィーナにはそれなりの自負がある。
キリエ枢機卿が『重大な災厄』と評するほどの事態であろうとも、手も足も出ないということはあるまい、と。
「……これからお話することは他言無用にて、どうかお願いできますか?」
「ええ。キリエ枢機卿のご意向ですの?」
「はい、まさに。……可能な限り、キリエ枢機卿にもどうか御内密にお願いいたします。私からあなたに情報を漏らしたと知れれば、あの方はきっと賛成しかねるでしょうから」
「もちろんです。なんなれば、私の疑問に答えてくださるのなら、無理にお話下さらずとも結構です」
「……どういうことだい?」
神妙に声を漏らすクラリス。フィセルはいぶかしむように小首を傾げる。
「先も言ったように、私の望みは迷宮街の存続です。つまり、存続に関わることでないならば無理に関わることはないとも考えています。――――では、この街に迫る危機とは……存続に関わるようなものでしょうか?」
アルフィーナはあくまで淡々と二人に問いかける。
答えは、言わずもがな――肯定だった。
そのまま二人からの説明を受け、アルフィーナは瞑目する。
「……状況は理解いたしました」
魔王崇拝主義のカルト教団――イブリス教団普遍主義派の台頭。
教団に対する〈賢者〉クレラントの関与。
そして彼らの目的はただひとつ。
魔王イブリスを、現世に蘇らせること。
「つまり現状、復活を阻止することは難しい、ということですね」
「……ええ。どうしても攻略速度で劣っている、というのが現状です。そして残された期間はあと二日。……ここから追従するにはかなりの無理を必要とします。ですが――――」
「そこに、私ですのね」
得心がいった、と紅茶のカップに口をつけるアルフィーナ。
クラリスは是非もなく頷く。
年端もいかない娘を迷宮攻略に駆り出そうというのだ。決して褒められたことではない。
だが、クラリスにしても形振り構ってはいられないのだろう。今からでも街中に危機を広報する、という選択肢はどうやらなさそうだ。
そしてアルフィーナは、確かにほんの十四歳の少女ではあるが――その戦闘能力は申し分がない。
控えめに言っても単体戦力では大陸最強だろう。一個人で戦略級の役割を果たす人間など彼女を置いて他にはいまい。
――――ユエラやクレラントは人間の外側として。
「いささか心苦しくはありますが……アルフィーナさんが加わって下さるならば、あるいは。彼らに先んじて最深層に辿り着くのも不可能ではない、と考えます」
「それは……どうでしょう」
「……どういうことです?」
クラリスはにわかに首をかしげる。
と、フィセルも何かに勘付いたように目を細めた。
「ああ、そうか。奴らは情報を蓄積してる……九十層までの道も開いてる。今回退けたところで危険は無くならない、ってわけだ」
「はい。魔王復活の可能性は潜在的な危険として残り続けるように思われますわ」
「それは――真っ先に最深層を占領し、公教会の管理下に置くべきかと……」
「迷宮内に人を配備し続けるには並々ならぬ努力が必要でしょう? 私に経験はありませんが、迷宮内部の過酷さは人並み以上に知っています」
兄であるアルバートはエルフィリア、そしてクラリスとともに調査部隊を組織していたのだ。報告書の類はアルフィーナも目を通している。
そして、迷宮内部の施設管理を何年にも渡って続けるというのは――あまりに無理がある条件だった。
「……確かにその通りですね。眼前の危険に捕われすぎていたかもしれません……ですが、当座を凌ぐこともやはり急務なのです」
「私が加われば最深層に先んじることは可能かもしれません。ですが、それを継続し続けるというのはあまりに難しい。ところが相手は最深層に到達しさえすればいい。……とても、とても困った条件ですね。今更ですが」
くす、とアルフィーナは少しおかしげに笑う。
クラリスはいぶかしむように眉を垂らす。その表情がとても困っているようには見えなかったから。
「……何か腹案でもあるのですか?」
「粗いですけども、ありますよ。少なくとも、まともに迷宮を攻略するよりはずいぶん現実的です」
「へえ。……いや、なんか、筋が読めてきたよ。あんたみたいな女が考えそうなことだ。……それこそ、まさかだけどさ」
その時、フィセルはほとんど呆れたように笑っていた。
くすくす、とアルフィーナはなおも笑みを漏らす。クラリスは笑みの理由を計りかねるようにきょろきょろと視線を左右する。
「ど、どういうことです……!?」
「どうしたって超越者ってのは考えることが似るのかね――ユエラによく似てるよ、あんた。猫かぶってた時とはえらい違いだ」
「そうまで仰られるのでしたら……フィセルさん、あなたがクラリスさんに説明してくださいますか? 私がどうするつもりなのか」
「勘だけどね」
微笑しながら吹っかけるアルフィーナ。フィセルは苦笑交じりに頷き、そして――
アルフィーナが考えていたことそのままを言い当てた。
「魔王を"あえて"蘇らせるつもりだよ、こいつ」
◆
「ばっ……馬鹿げています! 冗談でしょう!?」
「本気ですよ。この上なく、本気です」
アルフィーナは朱色の髪先をちょんと摘み上げながら微笑する。
だん、と机に両手を叩きつけるクラリスの剣幕を意にも介さない。
「明日いっぱいを使い、あらかじめ街中に私の結界を敷いておきましょう。完全な隠蔽は難しいでしょうが、街の人々への被害はある程度防げます」
「……聖堂騎士団に動いてもらえばどうにかなるかもしれないね。街中に散らしておけばそれほど大きな騒ぎにもならない。事が起きれば迅速に動き出せる」
「……ほ、本気ですか。魔王の復活を、本気で止めないつもりなのですか」
「ええ。あえて復活させて、改めて討伐するべきです。封印などという生温い手段に留めてあるのが諸悪の根源なのですから。徹底的に――根切りいたしましょう」
私もこの街にいられるのは少しだけですし――と、アルフィーナは言う。
言うなれば、彼女が自由に全力で暴れ回れる機会は、今しかないのだ。
「迷宮をせっせと攻略してきた意味は薄れちまうけどね。まぁ……この際は、仕方ないかね」
フィセルの表情はいささか複雑そうだった。
そもそも彼女の家名――バーンスタイン家は聖王によって排斥された身の上だ。
迷宮を攻略し、名を挙げる。その志は今も変わっていないが……アズラ聖王国の貴族であるウェルシュ家の次期当主に協力するというのは、相当複雑ではあろう。
しかしこれが成功すれば、聖王の鼻っ柱を挫いてやることにもなる。
「無意味とも言えませんわ。内部の探索が済んでいればこそ、事が起きるおおよその時間も推定できる。当日は教団の動向を追い続け、即時の対応を徹底。……これを可能とするのは迷宮調査の成果あってこそ、でしょう?」
「どうも。あんたに慰められるってのも複雑だね」
「本気ですのに」
アルフィーナは本気とも冗談ともつかない口調で唇を尖らせる。
二人のやり取りを眺め、クラリスは深いため息を吐いた。
「……まだそうすると決定したわけではありません。順序通りに参りましょう」
「そうは言うけどね。あんたのトップがこんな話を了承すると思うかい?」
「――合理性、という面で賛同する可能性はありえます、が」
公教会は基本的に無為な犠牲を良しとしない。だがどうしてもという場合は、必要悪の存在を認めてきた。
現状、魔王復活の阻止は極めて難しく――潜在的に魔王の脅威を取り除くには、アルフィーナの腹案は実際効果的だ。
問題があるとすればただ一点。
アルフィーナ・ウェルシュという例外的な存在の力を借りること。
「魔王の復活なのでしょう。くだらない面子にこだわるより、やるべきことをなすべきかと。それも、可及的速やかに」
「そもそも、他にも懸念はあるのです――魔王を討伐できる保証がどこにあるのですか?」
「私に倒せないなら誰にも倒せませんよ」
「言うねぇ」
アルフィーナは事実を告げるように淡々と言う。フィセルはヒュウと口笛を吹き、クラリスは愕然と肩をすくめた。
「フィセルさんは……剣士、ですか?」
「ああ。それなり程度には使えるよ」
フィセルは腰に帯びた長剣の柄に掌を当てる。
「……あなたのお兄さんを一人で破ったのが彼女です。剣の腕前でしたらこの街でも一二を争うでしょう」
「それは……なるほど」
その言葉にはアルフィーナも感嘆を禁じ得ない。
アルフィーナの戦闘能力が最も発揮されるのは後衛だ。前衛を彼女たちに任せ、アルフィーナは後衛から火力支援に徹するべきだろう。
「クラリスさんは……聖堂騎士団、でしたか。そちらに働きかけて下さい。私は明日中に結界の敷設を完了させますので」
「……観念するしかなさそうですね」
クラリスは諦め半分、頭痛を堪えるように頭を押さえながら頷く。
いくら必要とは言え、これはキリエ枢機卿に対する背信行為だった。だが、アルフィーナの力を借りないという選択肢はもはや彼女に残されていない。
「そうだ、アルフィーナ」
「なんですの?」
「私とクラリスとあと二人、部隊にいるって言ったろ」
「ええ」
「その一人が聖堂騎士団長なんだが……もう一人のほうが、そこそこできる魔術師でね。話付けとくかい?」
「ええ。いずれにせよ魔王対策の方針転換は伝える必要があるでしょう? ――それに、街中の結界を一人では骨が折れますし」
「オーケー。わかった」
フィセルは頷いて珈琲を一気に飲む。
クラリスは名残惜しそうにミルク珈琲を干したあと、ゆっくりと立ち上がった。
「では、私はレイリィさんに話をつけて参りますので」
「私も行くよ。一人でさっさと決めた話でもないからね」
そういって二人が背を向ける。
と、その時、アルフィーナは咄嗟に彼女らを呼び止めた。
「待って下さい。もうひとつ、お伺いしたいことがあります」
「……もうひとつ、かい?」
「はい。直接に関わることはないかもしれませんが――」
もはや無関係でもいられまい、とアルフィーナは判断。
面通しくらいはしておいた方が好都合だろう。
魔王イブリスが彼女を滅ぼすための道具として使われるのなら――アルフィーナは彼女の背中を守ることにもなるのだから。
顔も名前も知らない相手に背中を預けたくはあるまい。
「教えてください。彼女――ユエラ・テウメッサについて。一緒にご挨拶も済ませておきたいと思いますので」




