八十話/イレギュラー
「――もう出られたんですの?」
「はい。最近は朝早く迷宮に行かれるんです」
時は少し遡る――
アルフィーナがクレラントを退けた翌朝のこと。
のんびり起き出した彼女は朝食にトーストをかじりつつ、フィセルの姿を探していた。
こうなれば物は試し、直接問いただそうと思ったのだが――あいにくのすれ違い、ということらしい。
「迷宮の……どこ、かはわかりませんわよね」
「だいぶん深いところ、とは聞いてますけど……」
店主の娘アリアンナは申し訳なさそうに頭を下げる。
アルフィーナは軽く会釈し、どうしたものかと考える。
いっそ迷宮まで追いかけるか。
否である。〈封印の迷宮〉に入るには手続きが必要で、おまけに探すあてもない。無駄足を踏むだけだろう。
だが、これで諦めるほどアルフィーナは軟弱ではない。
彼女は今や自由なのだ。これまで家の中に軟禁されていた分、容赦なく羽根を伸ばして暴れまわる用意ができている。
「まずは居所が分かるものから――ですね」
アルフィーナには非常に役に立つ情報源がある。
それは勝手にどこかへ動くこともないし、おそらく自分に逆らうこともないだろう。
会えるかどうかはやや微妙だが、拒む理由もないはずだ。
思い立ったが吉日。
アルフィーナはトーストしたパンをかじりつくし、どろりとした感触が残る果実のジュースで流し込み、立ち上がる。
「ご馳走様。美味でした」
「あぁ。腹が受け付けるもんだったなら幸いだ」
店主の軽口に微笑し、アルフィーナは外へ歩み出す。今夜の宿も変えるつもりはない。
行き先はとうに決まっていた。
◆
「……それで、なんだ。まさかまた俺を笑いに来たわけではないだろう?」
「私、そんなに暇じゃありません」
「だろうな」
公教会地下独房。
アルフィーナは再び面会の許可を得、兄の元を訪れていた。
キリエ枢機卿は多少いぶかったが、断る理由も見つからなかったのだろう。止むなく――もとい、快く許可を出してくれた。
「なら、やはり用ありなのだろう」
「そう、それです」
「……何?」
アルフィーナに指さされ、囚人衣のアルバートはにわかに顔をしかめる。
「お兄さまの元に〈賢者〉がいらっしゃったと聞きました」
「確かにそう言った」
「〈賢者〉にもお兄さまの元を訪れた用があったはずです。まさか子孫代々のよしみで挨拶に来たというわけでもないでしょう。ましてや、捕虜になっているお兄さまにわざわざ会いに来たのですからなおさら。なぜです?」
「そのことか」
アルバートは一瞬表情を暗くし、ため息をついたあと、物憂げに話し始める。
そもそもアルバートが地下独房に入ったのは、彼――〈賢者〉クレラントの来訪がきっかけであること。
そして彼は、〈災厄の神狐〉テウメシア――もといユエラ・テウメッサ討伐の協力を要請したこと。
彼の目的もおそらく同様であること。
「なるほど。話が繋がってきました」
〈賢者〉クレラントが三日後と言ったのは、それが本格的な行動に移るための期間なのだろう。
彼がアルフィーナに接触したのは、アルバートにそうしたように協力を求めるためか――あるいは干渉を防ぐためか。
そしてもう一つ引っかかることがある。
アルバートが反乱騒ぎを起こして捕虜にされたことは知っているが――
ユエラ。その名は昨日も小耳に挟んだ覚えがある。
「しかし、迷宮とはあまり関係がなさそうですね」
「……迷宮?」
「はい。探索者の方々が噂をしていました」
アルフィーナは宿屋で耳にしたことを話す。
と、アルバートは神妙そうにおとがいへ手を当てる。
「……ぞっとしない話だな。迷宮の奥底には魔王が封じられているとされている。そして、三百年前に魔王を封じたのは……」
「……そこまでです、お兄さま」
どこかで聞かれていないとも限らない。
アルフィーナは唇に指先を当ててしぃっと言う。
ともあれ、事の深刻さはアルフィーナも理解せざるを得ない。
彼女は面会もそこそこにアルバートへ背を向ける。今すぐ動かなければ、という意志が彼女を急き立てていた。
「……アルフィーナ!」
「なんです」
その背をアルバートが咄嗟に呼び止める。
アルフィーナは首だけひねって彼のほうに視線を向けた。
「頼む。無茶はするな」
「お兄さまが私を心配するんです?」
アルフィーナはくすくすとおかしそうに笑う。
私がどうにかなれば、お兄さまが次期当主なのに――とでも言うような。
アルバートは困ったような苦笑顔で、ひどく微妙そうに言った。
「……おまえはウェルシュ家の中でも替えの効かない人間だ。自分でもわかっているだろう」
「それはお兄さまも同じですよ」
「心にもないことを言うんじゃない」
「無理に良いお兄さまぶらなくても構いません。知っていますので」
「……これだから、おまえは……」
アルバートは顔を掌で覆い、うつむき、そして全てを諦めたようにため息を吐いた。
もはや引き止める気もなかろう。
「いざという時は迎えに来ますので」
「……なに?」
「では」
「おい、ちょっと、待っ――」
今度こそアルフィーナは待たず、アルバートの独房を颯爽と歩み去った。
◆
「……さて……」
アルフィーナは街中を歩きながら思索する。
この勢いでユエラの元へ直接向かうことも考えた。先日の口振りからして、アリアンナはおそらく彼女の居所を知っているだろう。
だが現時点では保留とする。
ユエラはアルバート・ウェルシュと一度は敵対したのだ。その妹であるアルフィーナが彼女を訪問すれば、敵と認識される可能性は低くない。
話し合うにしても信じてもらえるとは思えないのが現状だ。
――まずは落ち着いてまとめましょう
アルフィーナは町の中心を貫く大通り――十字通りを拝めるベンチに腰掛け、情報を整理する。
クレラントの目的はユエラの討伐。
そして、これはおそらく聖王家からの依頼らしい。――クレラント本人の自己申告ではあるが。
クレラント本人も乗り気ではあるのだろう。アルバートやアルフィーナに働きかけた事実からすでに前向きな姿勢がうかがえる。
――この状況で私はどうすべきか?
放置する。
それもひとつの選択だろう。
ただ、クレラントがどうやってユエラを討伐するつもりかが問題だ。
少なくともアルバートはそれに失敗した。
アルフィーナほどではないが、アルバートも十分な強者には違いない。それを軽々破ったというから並大抵の人物ではないだろう。
クレラントが大掛かりな仕掛けを用いる可能性はある。例えば、そう、アルバートが口走りかけたものを利用するとか。
――確証には程遠いですけど。
仮に聖王家からの要請として、なぜ聖王家がそんなことを依頼したのかも疑問である。
ユエラ・テウメッサ――テウメシアという個が国難に値する脅威とはとても思いがたい。
もちろん、アルフィーナ自身、テウメシアの名を知らぬわけではない。
傾国の美姫として知られる彼女の神話、あるいは寓話はあまりに有名だ。
しかし、神話の全てが真実とは思いがたい。危険が過剰に誇張されている面もあるだろう。
彼女がこの土地に留まり続けていることも、ある程度の安全性を保証するのではないか。
――このことは良いでしょう。
聖王家の関与を立証できないのだからどこまで行っても推論だ。
つまり、この点は考えないものとする。
現時点で確実に言えるのは、迷宮街ティノーブルの存続が聖王国の利益に繋がること。
そしてアルフィーナ・ウェルシュ個人の感情にも適う、ということだ。
つまり、次に必要な行動は――――
「突き止めましょう」
三日後――正確にはすでに二日後。
不穏な噂が単なる噂でしかないのなら、アルフィーナが関与する必要は全く無い。
だが、噂でないのならアルフィーナはそれを食い止めるべきだ。この街にはまだまだ存在する価値がある。意味がある。
そしてこれはアルフィーナの直感に過ぎないが――単なる噂のようには思えなかったのだ。
特に、昨日のフィセルの語り口を省みれば。
「迷宮、ですね」
アルフィーナはすぐに立ち上がる。艶やかな紅髪が風に揺られる炎のようにたなびく。
〈封印の迷宮〉への入場はできないが、〈封印の大神殿〉で生還者を待つくらいは許されるだろう。
フィセル・バーンスタイン。あるいは他の探索者たちでもいい。
とにかく有力な情報源を求め、アルフィーナはまた歩き出す。
十字通りを北上し、中央広場へ。巨大な白亜の組積造――〈封印の大神殿〉はすぐそこにあった。
時刻は昼過ぎ。
早朝から迷宮に潜っているとすると、もう四半日以上は探索を続けていることになる。
そろそろ出てきても良い頃合いと言えるが、あるいは。
「……気長に参りましょう」
アルフィーナはそう心に決め、ついでに肉と野菜を挟んだバンズを買う。
塊の肉を回しながらじっくりと加熱した焼肉にキャベツ、トマトなどの新鮮な生野菜である。そういえば街の近くにちらほら農園や農場が見えていたことを思い出す。
昼食代わりにバンズをパクつきながら、アルフィーナは広場をぐるりと見渡す。
事情を知っていそうな人がもしいたら、そう思ったのだが――――
「……全くもって期待薄ですね……」
二日後には街が大変なことになる、などという危機感は全く見られない。
屋台や露店が散見されるのは言わずもがな、広場には多くの人、人、人。
武器を持った探索者たちは吸いこまれるように〈封印の大神殿〉へ入っていく。彼らの何人かが富を得て帰り、あるいは何人かが迷宮内で骸を晒すのだろう。
街の様子を見ているとなんだか疑わしく思えてくる
本当に『重大な災厄』などあり得るのか、と。
「全くの与太話……では、ないでしょうけど」
あのキリエ枢機卿の警句なのだ。
彼女が全くの嘘で人を騙すというのは少々考えにくいことである。
しかも、『預言ではなく、然るべき調査によって得た情報』とまで公言している。相手を"ファリナ"ではなく、"アルフィーナ・ウェルシュ"と理解した上で。
――気を引き締めましょう。
濃い味付けのソースをぺろりと舐め取りつつ腹ごしらえは完了。
街の様子に異変がないのは、つまるところ、キリエ枢機卿の情報秘匿が功を奏している証拠だろう。
秘匿することの是非はさておく。
街の人々の安全を最優先するならば今すぐ情報を公開するべきだろうが――果たして事態を収拾する算段は付けているのだろうか。
キリエ枢機卿が言うところの災厄と、フィセルが言った危険とは同じものなのか。
疑問は尽きない。だからこそ、フィセルを問いただす必要がはっきりとアルフィーナにはある。
その場で待ち続けて半刻ほど。
アルフィーナはようやく探し求めていた人物を視界に捉えた。
彼女は迷わず歩き出して、その後で気づく――フィセルが複数人の集団で迷宮に潜っていたことに。
当然といえば当然。アルバートも二人の仲間を伴って迷宮探索に務めていたのである。
アルフィーナは集団相手でも物怖じするようなたちではない。特に気にすることはないはずだった。――が。
「いました、フィセルさ――――あ」
「おや、ファリナ」
「あれ、アルフィーナさ――――え?」
アルフィーナの呼びかけに対して反応したのは二人の女性。
一人は言わずもがな、フィセル・バーンスタイン。
そしてもう一人は――まさか出くわすなど考えもしなかった顔見知り――クラリス・ガルヴァリンであった。
「……どうしてアルフィーナさんがここにいらっしゃるんです!?」
「おいおい、待ちなよ、クラリス。人違いじゃないか?」
「あり得ません。いえ、アルフィーナさんがここにおられることもありえませんが、一度はお目にかかっておりますから――アルフィーナさん。でしょう?」
「人違いです」
「やっぱりアルフィーナさんの声じゃないですか!!」
「う」
完全に墓穴を掘ってしまった格好だった。
アルフィーナは取り繕う言葉を一瞬考え、そしてさっさと諦めた。どう考えてもとっくのとうに手遅れである。
「あー……なんだ。お忍びだったってことかい?」
「…………そういうことです」
「お忍びでも出歩けるような御仁じゃないだろうに」
フィセルとて元は聖王国の出身だ。アルフィーナ・ウェルシュの名を知らないはずがない。
アルフィーナの嘘にすっかり気づいたわけだが、フィセルはどちらかといえば楽しそうだった。――珍しい人の弱みを見つけたかのような笑み。
「ちょうどいい。お茶でも付き合いなよ」
「そういう話だったんですか」
「クラリスが色々聞きたそうにしてるからね」
「というより、フィセルの反応が淡白すぎるのです」
クラリスは神妙に声を潜めながらも頷く。
客観的に言うならば、アルフィーナがウェルシュ領を空けるというのは確かに大事だった。厳密には、アルバーグがそれを認めるはずもないということなのだが。
「――かしこまりました」
アルフィーナは観念したように頷く。嘘がバレてしまったのだから仕方ない。
というより、この状況は渡りに船だった。あまり心象は良くなかろうが、相手もアルフィーナの事情は理解しているだろう。
その上で彼女らから情報を得られる――まさに願ったり叶ったりであった。
「……どうして、よりにもよってこの時機なのでしょうか、天の主よ」
クラリスは諦観に満ちた息を吐いて瞑目する。
世の中そんなもんだよ、と笑って歩き出すフィセル。店までの案内は彼女が努めるつもりらしい。
アルフィーナは肩をすくめ、皮肉げに笑う。
「そういう"星"のもとに生まれているそうですから。私」
魔王がいた時代に〈勇者〉アルベイン・ウェルシュが生まれたように――
あるいはアルフィーナも、この街に導かれたのかもしれない。




