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お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
75/94

七十五話/妹、襲来

 その日、公教会ティノーブル支部にて、ある会談が執り行われていた。

 公教会側が各国の大使や客人を迎えるための応接間。そこでは二人の女人が向かい合い、神妙な面持ちのまま言葉を交わす。


 一人は白金の長やかなる髪に眼鏡を着用した若い女――紅き衣の枢機卿。

 キリエ・カルディナ。


 対するもやはり若い女だった。

 艶めく長やかな黒髪にダークブラウンの鋭い瞳。幼さを残した相貌に化粧の彩りを乗せているが、大人らしく見せようとする工夫が子どもらしさをかえって強調するようにも見える。

 彼女はウェルシュ家からの使いという触れ込みで、今回の交渉に遣わされた人物だった。


「それでは、ファリナ様。……こちらの申し出に応じるつもりは無い、ということで構いませんね?」

「ええ、その通りです。大旦那様の仰せでは、『あのようなうつけがいかなる目に遭おうが知ったことではない』――とのことですわ」

「なれば、致し方ありません」


 キリエは内心ため息をつく。

 初回の条件を受け入れるはずもないか、と思っていたが――まさか現れもしないとは思いもしなかった。

 つまるところ、これは初めから成立することがないと決まっている茶番にも等しい。


 アルバート・ウェルシュの解放交渉。

 公教会とウェルシュ家の合意という名目で今回の会談を取り付けたが、結果はご覧の有様だ。

 ファリナを名乗る彼女は"大旦那様"――アルバーグの意向を口にしたが、まさかそれが本心というわけはないだろう。

 本当に捨て置くつもりなら、この会談自体がそもそも成立し得ないからだ。


『解放のために交渉をする意志はあるが、必要以上の譲歩をするつもりもない』


 相手の本心はそんなところだろう。

 妥当といえば妥当な結果。この件が長引くのは厄介だが、覚悟していたことであるから仕方がない。


 それより、問題は目の前の彼女である。

 夜色の装飾控えめなドレスを身に着けた若い娘、ファリナ。彼女は一体何者なのか。ウェルシュ家と主従の契約を交わしている貴族家といえばセレム家だが、そこの出自という可能性もまずありえない。


 キリエが可能性として思い当たる人物はただ一人。


「それで、アルフィーナ様。いつまでその格好でいらっしゃるおつもりです?」

「――――、」


 その瞬間、主人の意向を伝えることに徹していた"ファリナ"は、口元をくすりと笑みに歪めた。


「アルフィーナ様、ですか? なぜそのように思われたのです?」

「誤魔化さずとも結構です。他にあり得る可能性が存在しませんから。ただの消去法――それだけのことですよ」


 キリエは畳みかけるように淡々と言う。

 言わずもがな、はったりだ。彼女がアルフィーナであるという確信などありはしない。彼女は本来、ここにいてはならない人物なのだから。

 厳密に言うならば――ウェルシュ領から離れてはならない人物なのだから。


 だが。


「――――よくお分かりになられましたね。その通りです」


 ファリナは――否、アルフィーナはふわりと柔らかに微笑んだ。

 彼女が艶やかな黒髪を引っ張れば、その下から燃え立つ炎のような朱色の髪が覗く。――黒髪はよくできた鬘であったのだ。


「……アナグラムだとしたらあまりに安易過ぎますから、かえって迷ってしまいました」

「そうですか? だって、誰かには気づいてほしかったんだもの。私としては捻りがない方がずっとずっと良いと思いますわ?」


 にこやかに微笑するアルフィーナ――まるであらゆるしがらみから解き放たれたような朗らかさ。

 先程までの神妙な面差しなど欠片もなく、クッション性豊かな椅子の背に身をゆだねる。


「もちろん、先のお父さまの言葉もいつわりです。仰られたのはほんとうだし、家中ではそのように振る舞っておられるけど――ほんとうは、とても、とても悩んでおられますから」

「そのようですね。――私の耳には入れなかったことにしておきますので、また二回目の機会を持つよう打診させて頂きます。それだけは御父上に伝えるようお願いしてもよろしいですか」

「ええ。謹んで拝受させていただきます」

「では、後ほど書簡をご用意いたしましょう。――――それで、この街にあなたはいかなるご用件で?」


 この街――言葉を選ばずに言えば、こんな街、とも言えようか。

 迷宮街ティノーブルには争いが絶えない。商業的には活発で賑やかとも言えるが、治安は極めて物騒だ。魔薬などの非合法な物資が密かに流通している側面もあり、良家のお嬢様が出入りするのは全く勧められない街である。


 そんなキリエの意を汲んだようにアルフィーナは微笑する。


「この街はとても良いです。お兄さまが捕えられていることもありますけど、それはついでというもの。――――こんなに人が多くてごみごみしていてごちゃごちゃした街、私は今まで見たことがありませんから」

「褒めているのか貶しているのかいささか判断しかねるお言葉ですね……」

「私はそういうのが良いんです」


 アルフィーナは堂々と胸を張って主張する。

 キリエが記憶する限り、ウェルシュ領はおよそ豊かな穀倉地帯である。各国と隣接する辺境であるがために、たびたび戦火にも晒されてきたのだが。


 アルフィーナは原則的にウェルシュ領から離れられない。それはつまるところ、ウェルシュ領以外の土地をほとんど知らないということを意味していた。


「もし希望されるようでしたら、早馬を用意いたしましょう。――あまり長く領地を離れられては問題があるのではありませんか?」

「お構いなく。何日か逗留して、その後ゆっくり発たせていただくつもりです」

「よろしいので?」


 キリエはすぅっと目を細めてアルフィーナを見る。

 彼女の立場を鑑みれば、そもそもここにいるようなことがあってはならない――のだが。


「本当は私ではなく家中のものがここに来るはずだったの。そこで無理を言って代わってもらったんです――こっそりと。私、家中のものとは仲が良いんですよ? なにせずっと家の中に引きこもっておりますから」


 くすくすと明るく、自虐的に笑うアルフィーナ。


「なれば、その方々のためにも早く戻られるべきかと存じますが」

「家中のものに処罰をなされるのでしたら、、私は領地には決して戻りません。寛大にも許されるようでしたら、ほんの数日中にきちんと戻らせていただきます。……お父さまはどちらを選ばれるでしょうね?」

「――その御歳で駆け引きですか」


 伝え聞くところによれば、アルフィーナは今年で十四歳。

 彼女はすでにして自らの価値を理解しており、その価値の使い方もよくよく知っていた。

 武力のみならず、政治的な素養においても、彼女は辺境領主に相応しい人物と言えるだろう。


「畏まりました。では、念のためにこちらで書簡を出しておきましょう」

「ふふ、そのほうが我が家に恩を売れますものね。――でも、私を見逃して下さるのですから、それくらいは受け入れましょう」


 微笑するとともにアルフィーナは立ち上がる。

 キリエに彼女を引き止めるつもりは無かった。彼女がほんの数日間ウェルシュ領を空けたところで、隣国から攻め寄せられるということはまずあり得ないだろう。

 戦の準備というものには時間がかかるのだ。そして準備が済んだころ、アルフィーナはすでに領地へ戻っている。


「アルフィーナ様。最後に一つ、忠告を」

「お説教なら聞きませんよ?」

「この街には、今、重大な災厄が迫りつつあります」


 アルフィーナは背を向けながら視線をキリエに向ける。

 対するキリエは表情一つ変えず、大真面目にそう言った。


「怪しげな預言ですこと」

「預言ではなく、然るべき調査によって得た情報ですよ。最も、その災厄について、正確に明かすことは致しかねますが」

「具体的な時期は分かっておりますの?」

「……三日後。その日の危険性が最も高いでしょう。つまり、それまでには街を出てくださった方が賢明ということになります」


 三日後。魔王復活の兆し。

 キリエはそのことを把握している。把握した上で、彼女自身には状況を決定的に変革する手段がない。

 いざという時――本当にいざという事態になれば、アルバートやエルフィリアを動員することも考慮に入れている。それはキリエにとっては最も取りたくない手段の一つだが。


「あら、逆ではなくって?」

「……それは、どういう――」

「どうしたもこうしたも。……災厄なんて仰られますけど、私の力があれば、それくらいはどうにでもしますわよ?」


 くすくす、とアルフィーナはさざめくように笑む。

 キリエは一瞬眉をひそめる。


 確かに、この状況においてはそれが現実的な手段になり得る。

 若干十四歳の少女にそのような重責を負わせるのは、キリエとしては賛同しかねる選択肢だが――


「――当方からアルフィーナ様に依頼するようなことは致しかねます。ですが、いざという時にあなたをお守りすることも致しかねるでしょう。どうか御身がご無事のまま領地に戻られるよう、よろしくお願いいたします」

「堅物ですこと。でも、その様子なら――災厄、というのは本当のようですね」


 アルフィーナはどこか楽しげに瞑目する。

 計り知れないほどの力を持つ彼女は、果たして何を考えているのか。全く武力を持たないキリエには想像もつかなかった。


 アルフィーナ・ウェルシュ。

 アルベイン・ウェルシュの再来とも謳われる〈星に愛された娘〉。


「――滅多なことは考えられませぬように」

「ええ、もちろん。それより、お兄さまの独房に案内してくださるかしら。無事に生きているか、きちんと確認くらいはさせて頂けるでしょう?」

「……ええ、それでしたら、すでに外に手配しております。案内のものを向かわせましょう」

「ありがとうございます。助かりますわ」

 

 アルフィーナはまた微笑み、颯爽と部屋の外まで歩き出す。そのかたわらに衛兵たちが付き添う。


 部屋を出る彼女の背中を見送りながら、キリエは否応なくため息を吐く。

 魔王復活という災厄。もしそれを彼女が解決してくれたならば――それはどんなにもありがたいことだろう?


 一瞬そんな思いが頭を過ぎり、キリエは自己嫌悪を禁じ得ない。

 いくら〈勇者〉の血統に連なる子孫とて……魔王の討伐などという重大な責務を負わせるのは、あまりに非人道的ではないか、と。


 ◆


「お兄さま本当に捕まってるwwwwww」

「おまえ何しに来た」

「なんかめちゃくちゃ面白いですねこれ」

「帰れ」


 久方ぶりの兄妹の再会である。

 アルフィーナはアルバートを指差し大いに笑い、アルバートは静かに怒りを表明した。

 もし衛兵がこの光景を見ていれば腰を抜かすくらい間の抜けた一幕であろう。


「ひどいですね、お兄さま。せっかく私が遠路はるばる故郷からこちらに参りましたというのに」

「おまえはただ外に出たかっただけだろう?」

「ええ、そうです。その通りです。すぐにも離れたくて、すぐにも出て行きたくって仕方なかった。私はあの土地にずうっと縛られておりましたもの――――お兄さまとは違って」


 ――その言葉を聞き、アルバートは瞑目する。

 彼は今でこそ囚われの身だが、それまでは渡り鳥といっても差し支えない日々だった。アルバートは外交役やら調整役やらをもっぱら担っており、確かに外地の見聞には事欠かない。


 それに対して、アルフィーナが領地の外に出たのはそれこそ数えるほど。その経験にしても幼いころがほとんどで、物心付いたころからは"縛られていた"と言っても決して言い過ぎではないだろう。


「……さて、折角面会の機会を頂いたんですもの。何か伝えることがありましたら、お父さまにでもお伝えしますわよ。何かありまして?」

「俺からは特に…………いや、出過ぎた真似をした。私にはばかることなく交渉を進めてもらいたい、と伝えておいてくれ。少なくとも、生命に係るような扱いを受ける心配はまず無いだろう」


 アルバートがそれだけを言うと、アルフィーナは少し意外そうに目を丸くした。


「それだけ?」

「それだけだ。……まぁ、今は俺が動けない身の上だからな。おまえとは今限りで立場逆転というわけだ」


 地下独房の硬い椅子に腰掛けたまま、皮肉げに笑うアルバート。

 もっとも、アルフィーナもまたすぐ元の生活に戻ることになるのだが。


「てっきり早く戻れとでも仰られるものかと」

「本音はそうなるがな。……出てくるにはそれなりに無茶をやったんだろう? 捕虜なんかになってる俺がどうこう出来るはずもない」

「――少し、落ち着かれたようです、お兄さま」


 アルフィーナの言葉はどこか悪戯げだった。

 

「どうだろうな。最近もおまえの力を羨むことは少なくない――おまえのような力が俺にもあれば、とな」

「そうだったら……少しは良かったかもしれません。――それとも、お兄さまが当主の座を厭うようになるかもしれませんね?」

「ありそうな話だ。なんとも」


 アルバートは肩をすくめる。所詮は無いものねだりに過ぎないのかもしれない。


「……ともかく、俺から言えることはそれだけだ。領地のほうはどうだ。おまえの話を聞かせてくれないか」

「領地の様子でしたら、変わりありません。どこかから攻められるような兆しもありませんし、もしそうだったら私はここにおりませんから」


 と、アルフィーナがそこまで言ったところで、ふと思い出したように掌を打った。


「……どうした?」

「そういえば、変わった方がいらっしゃいました――〈賢者〉を名乗る方が、お父さまに会いに来られましたの」

「……父上に?」


 アルバートは眉をひそめる。

〈賢者〉とはつい先日に顔合わせを済ませたばかり。


 アルバートは信じかねたのだが、どうやら彼は三百年前の〈賢者〉クレラント本人――らしい。

 少なくとも、キリエ枢機卿がそう判断しているのは確かであろう。


「ええ。本人か、子孫の方かはわかりませんが。私とそう変わらない年に見えましたから……」


 そう変わらない年。つまりは十四、五――あるいはそれより下。

 となれば、ウェルシュ家を訪れたその〈賢者〉は、アルバートが目にしたのと同じ人物だろう。


 彼の目的はテウメシアの討伐。それはどうやら〈賢者〉クレラントの個人的な動機に端を発しているというが――

 その賢者が、どうしてウェルシュ家に? アルバートは思わずいぶかしむ。


「その賢者殿とやらが、父上と話をなさったと?」

「ええ。何を話していたかまでは聞けませんでしたけれど」

「そんなのを聞こうとするもんじゃない」

「だって、いずれは私の責務になるでしょう?」

「それはそうだが」


 アルバートは思わず複雑な表情を浮かべる。

 どこまで行っても――領地を離れていようと、アルフィーナはウェルシュ家の次期当主であった。


「最近あったこと、といえばそれくらいです。実に平和なもの。お兄さまはずいぶんな騒ぎを起こされたのでしょう? 実に楽しそうでいけません。そのことのお話を聞かせて下さいませんこと?」

「俺の恥を話すようなものなのだが」

「それを聞いてなおさらお伺いしたくなりました」

「やめてくれ」


 などと言うが、アルフィーナはすっかり話を聞くつもりの様子であった。

 やむを得ない。面会時間が許す限りは自らの恥をさらけ出すとしよう。


 アルバートはそう考えながら、思う――現在の〈賢者〉クレラントとウェルシュ家にどのような関係があるのか。

 かつては魔王討伐という旗のもとに協力した間柄。そのよしみで挨拶をしに寄っただけ、と判断できなくもないのだが――

 賢者ともあろうものが、そんなことを今さら気にするだろうか?


「あ、そうです、お兄さま。ひとつ忘れていました」

「他に何かあったのか」

「はい。その賢者さんが言われるには、『運が悪かったらお兄さんが死んじゃうかもしれない』って――――何か危ないこと、ありました?」

「……少なくとも、ここに入ってからは、無い。その点については間違いがない」

「そうですか。では、ただ私を脅かしただけなのかもしれません」


 アルフィーナはそういって言葉を切り、続きを促す。

 だが、アルバートはさらに疑惑を深める。本当にそれだけで済ませてしまっても良いのか。


 それはアルバート個人のことではなく、この街全体を巻きこむような災厄を意味するのではないか――と。



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