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お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
65/94

六十五話/絡み合う因果の糸

「ユエラ様」

「うむ。どうした」

「私は……ユエラ様の御子は身籠れないのですね」

「なにをいまさら言うておる」


 ある晴れた日の午後。

 ユエラはソファ上で尻尾をくしけずられながら、ぽつりと呆れたように言う。


 先日、ユエラはベッドの上でこんこんとテオに語り聞かせた。

 遅まきながらの性教育というやつだが、どの程度の仔細に至ったかはここでは控える。


 果たして、テオは致命的な勘違いを犯していた。

 それがどれほどかというと、「愛し合う二人が閨で抱き合えば子どもがどこからか運ばれてくる」といった内容とほぼ同意義だった。


 道理で同衾するだけでもずいぶん恥じ入っていたわけである。


「……だいたい、それで子どもができるならとっくにできていても不思議ではなかろうが」

「それは――私がまだ、一人前の大人ではないせいのように思っておりました……」

「それを言うたら私なんぞどうなる。このちまっこい身体で子どもなど到底産めまいよ」

「ユエラ様の魂は永きに亘り存続しておりますから全く問題はありません」

「魂は孕まぬぞ」


 ユエラのあけすけな物言い。テオはかすかに薄褐色の肌を赤らめる。


「――しかもその条件なら私も身ごもってしまうであろうが」

「……ッ、わ――――私の子をユエラ様に身籠っていただくなど、私にはあまりにも恐れ多く……!」

「身ごもらぬと言うておろうが」


 テオの顔はますます赤みを増す。興奮のあまりに視線が合っていない。

 そのくせ尻尾の毛並みに櫛を通す手つきは完璧としか言いようがなかった。面白いように灰色の毛が抜けていってしまう。

 軽い質感の夏毛にすっかり生え替わる時期もそう遠くはないだろう。


「ともかく、これで私の存在の証を遺すすべが無くなってしまいました」

「どこぞで良い男を捕まえてくれば良かろうに」

「そんなことはとても考えられません。――そもそもですがユエラ様、ユエラ様の周りに真っ当な殿方がいらっしゃられますか?」

「……ふむ」


 もっともな指摘と思い、ユエラは考える。

 そもそもユエラの周囲にはこれでもかと言わんばかりに女性ばかりが集まっていた。見目麗しい娘も少なくないのだが、どうにも色恋沙汰は縁遠いように思われる。


「……スヴェンくらいかのう」

「フランさんがおられるのでは?」

「……うむ……」


 経済力については申し分ないが、彼が複数の女性を囲いたがる性分とも思えない。

 結論から言えば、少なくともテオに紹介できるような良縁は無いということである。


「やはりここはユエラ様に責任を取っていただくほかないように思われます」

「人の一生くらい、共にしてやっても一向に構わんがな――」


 死に水は取ってやる、と言ったろうに。

 ユエラがいたずらげにそう言うと、テオは思わず言葉を失う始末だった。


 もっとも――ユエラ自身、テオを早々手放せるとも思いがたい。

 付き合いは未だほんの数ヶ月でしかないが、今や彼女は無くてはならない存在だった。


 もしも、そう、もしも可能であるならば――彼女に、自らの子を身籠ってもらうことすら考えたかもしれない。

 それは気の迷いのようなものだったが。ユエラの永すぎる生に、彼女の子孫までも付き合わせるわけにはいかない。


 ユエラは思う。

 もし彼女とともに死ねるのならば――自らは死を選ぶだろうか。


「申し訳もありません。私がユエラ様を遺して逝く方であることを失念してしまっては……」

「構わぬよ。私の生に付き合わせるというのは、おまえ一人だけでもずいぶん罪深かろうさ。……テオ、もしおまえがそれを望むのならば、私のもとを離れるという選択肢もあることを、忘れるでないぞ?」

「―――以前のユエラ様はそのようなことを仰せられなかったように思います」

「心境の変化というやつであろうな。……当然、おまえがいらなくなったということでは全く無く、のぅ」


 奇妙なものだ。

 馴れ初めのころは無理にでも傍にいさせたというのに――

 今は、彼女の好きにさせてやりたい。望むようにしてやりたい。彼女の望むことがあれば叶えてやりたい。

 ユエラは、そのようにさえ思うようになっていた。


「私の望みはこれまで通りです。少なくとも、私の心が変わることはありません。ユエラ様のお傍にあることこそ私の望み。――愚昧な我が師を始末することも、つまるところ、そのための通過点に過ぎないのです」

「……面映いことを言うてくれおるわえ」


 ユエラははにかむように笑みを浮かべる。

 心は変わらない、なんて言葉は嘘っぱちだ。なぜなら、心とは移ろうものだからだ。

 心を弄ぶ力を有し、言葉で心を弄ぶがゆえに――ユエラは、誰よりも人の心の儚さを知っている。


 だが、それでも。

 その上でも、信じたく思う。縋りたいような気持ちになる。


 人を信じるか、信じないか。

 まさにそこが、永い年月を生きたユエラとクレラントの決定的に異なる点だった。


「……む?」


 と、その時。

 ユエラは不意にがばっと頭を上げ、獣のような四つ脚で立ち上がった。


「いかがなさいましたか?」

「警戒線に引っ掛かったやつがおる。敵襲かもしれん」

「――参りましょうか」


 テオの目がにわかに鋭さを増す。自らの獲物を捉えんとする狩猟者の目。

 しかしユエラはちいさく頭を振る。灰毛の狐耳をぴくぴくとかすかに震わせる。


「相手は一人。狙いは……スヴェンか。おおかた私を誘っておるのであろう――ちょいと行ってくる」

「――かしこまりました」


 相手がテオの師ならば話は別だが。

 敵手はおそらく、クレラント。でなければ単身で騒ぎを起こすなどまずあり得ない。

 ユエラはソファから飛び起き、すっくと立ち上がる。そしてテオを一度振り返った。


「テオ、おまえは私の留守居を守っとくれ。お夕飯(ゆはん)の時間までには是非もなく帰るでな」

「是非もなく。腕によりをかけてお待ちしております」


 テオは淡々としながらもどこか弾んだ調子。その頼もしい従者振りに背を押され、「うむ、頼んだぞ」とユエラは満足気に頷いた。


 程なくして、ユエラはほとんど飛び出すように家を出る――そして守護霊〈グラーム〉が反応を示した地点、ランドルート邸へ一直線に走り出した。


 ◆


 スヴェン・ランドルート邸――――


「貴様、何者だ!!」

「控えよ!!」


 事態はすでに激的な速さで進行していた。

 午後の昼下がり、ランドルート邸の一帯を急激な地響きが襲ったのだ。

 同時に一体の人影が上空からランドルート邸を強襲。玄関口周りを半ば崩壊に追いやり、侵入経路を拡張する。


 しかし予想に反し、後続の戦力がなだれ込んでくることは無かった。

 瞬間、スヴェン・ランドルート子飼いの兵たちが駆けつけるようにして軒先へ現れる。スヴェンが迷宮街で名を挙げた甲斐あって、一部の中堅探索者が彼に与するようになったのだ。


 一個小隊程度の中堅探索者に加え、防衛側には以前リーネが指揮した魔術師部隊の姿もある。

 総勢にして十二人。奇襲への対応としては十分すぎる数だろう。


「今すぐ退きたまえ! たった一人でこの数を抜けると思っているのか!?」


 防衛側の兵が襲撃者に向かって吼える。

 そして兵たちは、土煙の向こう側から現れる姿を目にして愕然とする。


 一瞬にしてこれほどの破壊をなした襲撃者。

 その姿は、たった一人の少年にしか見えなかったのだ。


「退いたほうが身のためなのは君たちのほうなんだけどねぇ」


 白衣を身に着けた水色の髪の少年――クレラント。

 彼は防衛側の戦力を目にしても、それを意にも介さなかった。

 まるで存在していないように無視し、平然と屋敷内へ入っていこうとする。


「止まれ! それ以上踏み込めば――」

「どうするんだい? そんな悠長なやり方で僕を止められるとでも思ったかい?」


 そう。

 彼らとて、その少年からは不気味なものを感じていたのだ。

 屋敷の一部を一瞬で吹き飛ばした圧倒的な破壊力。彼が魔術師であることは疑いようもない。


 防衛側には五人の魔術師がいたが――果たして彼らの中に、少年に匹敵する力の持ち主がいるだろうか。

 答えは、明確な否である。


「くっ……やむを得ん! かかれ!!」


 とはいえ、彼らもまさか退くわけにはいかない。

 たった一人の少年が相手なのだ。これで退いたとなれば探索者として名が廃る。契約主の信用を損ねることにもなりかねない。


 それぞれ武器を携えた中堅の探索者達。彼らはクレラントを囲うように展開し、行く手を塞ぎながら突きかかる。


「――――ぐッ!?」


 だが、その試みはあえなく失敗に終わった。

 剣、槍、斧。

 あらゆる白兵武器は、少年に届きすらしなかった。

 彼の肉体に達する直前、透明な壁のようなものが刃を食い止めてしまったのだ。


「な……なんだ!?」

「何かに遮られて……クソッ!」


 彼らが悪態を吐きながら飛び退く最中。後方で魔術師部隊が詠唱を完了する。

 魔術師たちはそれぞれに掌をかざし、少年目掛けて炎熱の魔術を解き放った。


「―――『灼き尽くせ』ッ!!」

「だーかーらぁ、無駄だってのに」


 四方からクレラントを包むように迫る壁の炎。

 だが、それが少年の肉体に届きかけた瞬間――炎は急速に小さくなり、そのままどこへともなく消えてしまった。

 まるで瞬時に鎮火させられてしまったように。


「なッ……!?」

「僕に炎は届かないよ、絶対にね。熱線ならまだしも希望があったかもしれないけどさ。まぁ、それも同じことだね」


 炎が燃えるには酸素が必要だ。

 クレラントは燃え盛る炎の周辺を封殺し、燃料となる酸素を消滅させたのだ。

 彼の言葉通り、炎はクレラントに一切通用しない。


 もっとも、光学系の術式であろうとも同じこと。束ねられた光を拡散させられれば術の威力は無化される。

 クレラントは何気なく周囲を見回し、ひゅんと軽く掌を振った。


 ――その瞬間だった。


「ぐあッ……!?」


 中堅の探索者部隊が突然、喉元を押さえて地面に膝をつく。

 手に持った武器を取り落とし、力なく崩折れる。


「な、なんだ!? 何が……があああ……ッ!?」


 災禍は遅れて魔術師たちにも襲いかかった。

 彼らは一人の例外もなく、口をぱくぱくと震わせる――呼吸を求めるかのように。


 それは先日、クレラントがリグにやってみせた術式と全く同じもの。

 しかしながらその効果は、彼女に放った時とは比べものにならないほど絶大だった。


「う……ぐ、うぅぅッ……!」


 特に魔術師にとっては致命傷。

 詠唱を封じられた彼らはその場でうずくまり、死を覚悟する他はない。

 果たして、十二人の防衛部隊は瞬く間に制圧された。


「じゃあ、ここは通らせてもらうから」


 少年はその間を抜けるように悠然と歩いて行く。倒れた彼らを一瞥もせず、とどめを刺すこともしない――その必要すら無いと言うように。


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