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お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
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六十話/〈悪女〉の妬心

 先に動いたのは幻影のリグだった。

 彼女は声もなく、音もなくテオに突きかかる。


 それに対し、テオはごく自然に応じた。特別に速いわけでもなく、特別に遅いわけでもない。

 雨粒が天から地に落ちるような自然さで、テオは短剣を振り下ろして刃を弾く。


 その動きは、明らかに以前のテオとは異質であった。


 時計仕掛けのような正確さ、迅速さとはまた異なる。しかし、最大の結果をもたらすために最短の経路を辿るという目的だけは変わっていない。

 変わったのは、結果をもたらすためのその手段。ただ迅速なわけではない、"最適"な動作がリグの剣さばきをいなす。弾く。流して躱す。


「……ほぅ」


 ユエラは嘆息しながら理解する。

 テオの動きが何に由来するものかは一目瞭然。それは明らかにリグの体術の模倣であり――にも関わらず、どこか似ていないようにも見える。


 それも当然といえば当然。リグの体術を単純に模倣すれば、手足の長さが圧倒的に足りないのだ。

 必然、テオの体術は彼女固有の動きにならざるをえない。


「――――、」


 テオは声もなく、息も立てずに短剣を振るう。

 ひどく、静かな剣戟だった。

 鋼鉄の刃が打ち合い、火花の散る音だけが響く。


 突き、切り上げ、振り下ろし。

 流れるように乱れるリグの剣光。それをテオは完璧に凌ぎ切り、滑るような足捌きで間合いを詰める。

 腕の長さ(リーチ)という覆しがたい不利はあれど、両者の技量に決して大きな違いはない。


「どうかえ、テオ。……実際に打ち合ってみた感想は」

「十二分に手強い、というのが正直なところです」

「素直に降参すればしっぽの間でもふらせる権利をくれてやっても構わぬぞ?」

「非常に魅力的な提案やめてください」


 軽口を返す余裕があるのは実に重畳。


 テオの小柄な身体が災いする一方、決して益がないというわけではない。

 小回りがきく足運び、最小限にまとまった腕の振り、相手の懐に忍び込むような踏み込み。それらはリグが持っていない、そしてテオだけが持っている武器である。


「確かに手強いことには違いありません――が、付け入る隙が無いというわけではありません」


 まるで鏡合わせのように刃金を打ち合わせる二人。


 しかしその間隙を縫うがごとく、リグの間合いを活かした突きが飛ぶ。

 あるいは、テオが刺突を弾き返すとともに彼我の間合いを詰めていく。

 一進一退の攻防の行く末は、つまるところ、お互いの長所がいかに相手の生命を刈り取るかという点にあった。


 お互いの得意とする間合いが異なる以上、焦点は間合いの奪い合いに当てられた。

 リグが下がればテオが進み、彼女の歩みを遮るかのようにリグの短剣が飛ぶ。テオはそれを横に捌き、足を止めることを余儀なくされる。

 リグは返す刀で短剣を振るうも、それは彼女にとって最適な間合いとは言えない。十二分に鋭い一撃も、半端な距離であればテオの小回りの良さが奏功した――彼女はそれを難なく凌ぐ。


「……千日手、と言ったところかのう」


 少なくとも、ユエラからはそう見える。

 眼前の戦いを眺めるにつけ、確かにテオは飛躍的に技術を向上させた。鋭さ一辺倒の硬質な動作ばかりではない、硬軟織り交ぜた挙動がそのことを証明している。


 しかし、模倣によって至らしめる所はあくまで対等に過ぎないか。

 幻影のリグに並びはしても、模倣演習だけで彼女を超えることは難しい。そして言わずもがな、引き分けと打ち克つことには天と地ほどの違いがある。


 無論、たったの二日間でその領域まで昇り詰めたことは賞賛に値する。いつものユエラならば大手を振って掌を叩きながらめちゃくちゃに褒めてやったことだろう。

 否。よくぞここまで、と思っていることは今であっても変わらない。


 しかし、しかしである。それではテオの気は済むまい。彼女は自ら師を討ち果たすことを望み、脇目も振らず修練に明け暮れていたのだから。

 テオの瞳に熱はない。透徹とした眼差しで淡々とリグを見る。まるで見るともなく見るような目付きは、すなわち、目で追うよりも肌で感じているのだろう。風の流れ、筋骨の軋み、そしてリグの一挙一投足を。


 ――――嗚呼、とユエラは不意に気づいた。

 自分が本当に不満だったのは、テオが自分を放って修行に明け暮れていたからではない。

 彼女が、自分以外の誰かに心を傾けていることが、ただただ気に食わなかったのだ。


 その時、幻影のリグはテオの短剣を捌きながら滑るように一歩退いた。

 それはリグが得意とする間合い。テオの短剣は届かず、しかしリグからは一方的に攻撃を仕掛けられる距離。

 刹那、リグの短剣がテオの喉元に突き出される――声もなく、音もなく。


「――――ここです」


 テオは無感情な声で言い捨てる。突き出されたリグの腕――手首を咄嗟に掴み、下方へ引いた。

 突然の組技でリグの姿勢がわずかに崩れる。その時テオはすでに、流れるようにリグの懐へと忍びこんでいる。


 ――――ズッ。


 刃はごくごく自然に、流れるようにリグの胸元へ埋められる。

 確実に心臓へと達する距離。リグはたちどころに脱力し、テオはぐったりともたれかかりながら手の中の短剣を取り落とす――手足の先がぶるぶると引っ切り無しに痙攣している。


「終いです」


 かつての師――あくまでも、幻だが――を突き殺し、テオの声には一片の感慨すら伺えない。

 ずるりと血濡れた切っ先を引き抜くやいなや、彼女はまるでゴミのようにリグの死体を打ち捨てた。


「……テオ、おまえ、待っておったのか?」

「はい。私がより優位でしたら安全に勝つことができましたが、流石にそれほどの差はないようです。しかるに相手が仕掛ける機を計らえば、対応することはそれほど難しくもありません。――多少、賭けではありましたが」


 テオは床に転がった幻影を一瞥し、淡々と私見を述べる。

 最初に十数合と打ち合ったのは、自分がどの程度の実力かを図ったわけだ。


 確かに、大きく差を付けておきたいという気持ちはわからないでもない。テオが相手をしなければならないのは、幻影ではなく、リグ本人なのだから。


「……にしても、なかなか躊躇なく行きおったな。姿形だけではあるが、師であったのだろう?」

「はい。姿形だけではありますが、それを刺し殺すというのはなかなか爽快な気分でした」

「色々と溜まっておったのだな……」

「十年とあれば積もるものもある、ということです。ユエラ様の経た年月にはおよそ及びもつかない程度ではありますが」


 幻影のリグを再現するにあたって、ユエラはテオの記憶を一部だけ読み取った。全てを覗くのはかえって信義にもとるであろうから。

 しかし、その範疇だけでもユエラは頷かざるを得ないものがあった。


「左様なことはなかろうよ。人の子の生きる年月は、どれだけ長かろうがせいぜい百年。そう考えれば、十年という歳月は決して短くはなかろうさ」

「――ユエラ様」

「苦しかったのならそうと言えば良い。余計な世話をかけまいとしておるのは分かっておるが、心を秘める奥ゆかしさも過ぎれば不忠であろうぞ?」


 テオはにわかに俯き、そしてちいさく頷く。

 彼女が"魔王様"と言わなくなったのはいつからであったか。少しは心を開いてくれるようになったのはいつからか。いずれにせよ――テオの過去が無かったことになったわけではない。


「ほれ、来やれ。なんなら抱っこでもおんぶでもしてやろうぞ?」

「しっぽをください」

「現金なやつめ……」


 テオは少し鼻声になっていたが、なるほど冗談を言える程度には大丈夫そうだった。

 ユエラは指先をぱちんと弾いて幻術を解除する。立ちどころに幻影の遺体も、刃先にこびりついた血雫も視界から消滅した。


 ユエラはテオを自室に引き入れ、ベッドに腰掛けて尻を向ける。

 正確には、尻からてろんと垂れた毛玉のようなしっぽを差し出す。


「正直言って、私はおまえをリグと戦わせることにあまり気が進まなんだが」

「ユエラ様にしては無理のある――とまでは申し上げませんが、いささか厳しい条件のようには思われました」

「それは……状況のせいもあるが、のぅ」


 テオはどこからか櫛を取り出し、いそいそとユエラのしっぽを毛づくろいし始める。

 自由にして良いと言ったのだが。まずやることがそれなのは従者としての性分か。


「……だが、まぁ、この二日間でおまえの気持ちはようわかった。あやつを叩ッ殺すのに抵抗がないことにもな」

「ユエラ様」

「なんだ」

「抜け毛が凄いです」

「話聞いておったか?」

「この毛を何かに使えませんでしょうか。とても綺麗でいらっしゃいますから」

「そんなことを真剣に聞くでない」


 生え変わりの時期なのですね、などと嬉しそうにくしけずるテオ。先ほどまでの凄まじい戦いぶりは何だったのか、と思ってしまう能天気振りである。


「取りあえず、私はもうおまえがあやつと戦うことに反対せん。まだやつらは準備を進めておるようだからな――私が思ったより時間はありそうだ」


 クレラントは数日中にも襲撃を仕掛けてくる。そう思っていたが、現実にはアルバートと接触するなど、念入りに準備を進めているようだ。

 こちらから攻め込むのも一つの手だが、イブリス教団を壊滅させたとして、クレラントには十中八九逃げられてしまう。それでは襲撃する意味がない。


「心配してくださっていたのですね」

「それもある」

「それも、ですか」

「……うむ」


 ユエラは幾ばくか言いづらそうに頬を染める。

 テオはそれを物珍しそうに見て、思わずくしけずる手を止めた。


「――ユエラ様?」

「……私がリグを片付けてしもうたら、おまえの心の中にはあやつの存在がこびりついてしまう。清算されないまま残ってしまう。それが私には我慢ならぬ。だから、あやつは、おまえの手で仕留めろ。必ずやおまえの手で殺せ。そして、綺麗さっぱり忘れてしまえ。――――良いな?」


 幻影でも刺し殺せば、多少は爽快な気分になる。それはすなわち、余程の積もり積もったものがあるということだ。

 それはユエラの手で晴らすことはできない。頭の中をいじくり回して忘れさせることはできようが、それは個人の意志の冒涜だ。どうでもいい相手にはいくらでもやるが、大切な従者にそんなことができるわけがない。


 だから――――リグは、テオ自身の手で、完膚なきまでに殺められるべきだ。

 ユエラはこの二日間を経て、そう確信するに至った。


 対するテオは瞑目し、目を眇め、くしけずる手を再び動かしながら言う。


「是非もなく。前言通り、ユエラ様の障害足るものはことごとく排除いたします。――かつての師であろうとも、すでに我が身はユエラ様の従者に他なりませんゆえ」


 それはまるで誓いの言葉にも似る。

 淡々と、しかし堂々とした宣言に、ユエラは面映そうに笑った――したん、したん、と隠しきれない喜色にしっぽを二尾とも上下させながら。


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