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お狐さま、働かない。  作者: きー子
千年因果録
51/94

五十一話/交錯の時

「……なんだか、今日は静かですね。ユエラ先生」

「うむ。まあ、色々あってな」


 ユエラ邸、地下の大部屋。

 ユエラとアリアンナは二人っきりで魔術の訓練に勤しんでいた。

 これは本当に稀有なことである。ユエラの傍らにはほとんど常にテオが付き添っているからだ。


「テオさんまで出払ってるなんて……また、何かあったんですか?」

「ちょいと用を頼んだだけだ。おまえは気にせぬでも良かろう」

「それは――私が未熟だからですか」

「そうに決まっておろう」


 ユエラは堂々と言い切る。これにはアリアンナも鼻白むが、反論はできなかった。全くの事実に他ならないからだ。

 アリアンナは詠唱を紡ぎ上げながら眉をしかめる。会話と並行しながら魔術を扱えるようになったのはずいぶんな進歩であった。集中するあまり周囲に警戒も払えない魔術師は探索者としては三流だろう。

 ――もっとも、彼女自身は自らの成長に無自覚なようだったが。


「……なんだか、私だけ置いてけぼりにされそうな気分です」

「なわけあるかえ。おまえはまだ未熟だが、そのぶん成長速度も早い。ある程度の段階に達したら人の成長は緩やかになるものよ。それはクラリスのようなやつでも例外ではなかろうよ」


 ――――フィセルはその"例外"に含まれてしまうかもしれないが。

 彼女は正真正銘、天才と言って良い才覚の持ち主だ。今でもたまにフィセルと模擬訓練を行っているが、その成長振りはまさに目を見張るほど。〈封印の迷宮〉がどれほど危険かは寡聞にして知らないが、フィセルが命懸けの状況に身を投げていることは想像に難くない。


「……具体的に、どれくらいの腕前に達せば、足手まといにならずに済むのでしょう?」

「私が知るか」

「えっ……ええーっ!?」

「当たり前であろう。そもそも私は〈封印の迷宮〉なんぞ行ったこともない」


 ユエラはそう言いながら胸を張って恥じない。

 探索者をやるには許可証が必要、とテオから聞いた覚えがある。逆に言えば、ユエラが知っているのはそれだけだ。内部の様子などに関しては正直なところ、徹頭徹尾興味が無い。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! やっぱり具体的な目標がないと私のモチベーションが!」

「私が知るかそんなもん! 迷宮の中のことはフィセルに聞きぃ!」


 ――傍目に見ればまるで子どもの喧嘩のような有り様だった。

 アリアンナの直線上に立っていた木人が八つ当たりめいて氷漬けにされる。アリアンナはひゅんっと杖を振るい、石突きでトンと床を突いた。


 魔術の連続行使による感応力の増大。感知できる魔素量が増えれば、威力も正比例して増加する。その分だけ魔素を結合する手間は増えるし、〈魔術の器〉にもエネルギーを受け入れられる容量限界というものがある。こればかりは地道に試行回数を増やす他にない。


「……ふむ」


 ユエラはふと氷漬けの木人に歩み寄って確かめる。氷の分厚さは申し分なく、周囲の魔素を利用する形で氷点下の温度を保っている。効力は十分と言っていいだろう。


「……どうです? ユエラ先生」

「威力は申し分ない。発動速度にはちと難があるがな。そこは慣れだ。しかし……」


 もう一つ彼女には重要な課題がある。移動標的を狙う力だ。

 迷宮内部の敵には小型の魔物も多いだろう。それらを正確に狙い撃つ力は一朝一夕で身に付けられるものではない。


「……うむ、固定標的はもうよかろう。次からはいよいよ私の幻術を用いた訓練方法を――なんか露骨に嫌がっておるな?」

「……そ、そんなことはないです。リーネ先生にたいそう脅かされただけです」

「あやつめ……余計なことを……」


 幻術、と聞いた折から大部屋の隅っこに身を隠すアリアンナ。

 確かにユエラはリーネの精神的外傷を掘り起こしたが、趣味でやったわけではない。彼女の場合にはそれが効果的だと考えたからだ。


「じゃ、じゃあ、具体的にはどういうのをやるんです?」


 胸に杖を抱いたままアリアンナはおずおずと言う。


「小さく、素早いやつを的確に狙う訓練だ。そういう時に焦らず魔術を行使できるか、という訓練でもあるのう。仮想敵には、まあ、抵抗感が薄いものならなんでも良いのだが」

「小さく……素早い……」


 アリアンナは虚ろなつぶやきを漏らす。

 その様子でユエラは薄っすらと察した。彼女がいったい何を覚えてしまったか。


「羽蟲とか」

「いやです!! 絶対にいやです!!」

「だめかえ」

「台所でさんざん見てるのに! いやですからね!!」

「しゃあないのう……」


〈封印の迷宮〉にも気味が悪い魔物くらいはいると思うのだが。しかし、あまり余計な要素で精神的に消耗してしまっても仕方がない。


「ま、小人とかで良かろう。さて、残りの時間だが」

「今日はしないのですね。……何か別の予定でも?」

「うむ。まあ、ちょっと思いついた」


 何も前線に出るだけが魔術師の働きではない。

 つまり、後方支援としてなら今のアリアンナでも誰かの役に立つことは十分可能。これならば彼女のやる気も上がるというものだろう。


 ついてこい、と言ってユエラはアリアンナを先導する。

 案内するのはまた別の地下室。それは誰の部屋でもない、雑然と様々な物資が転がっている物置のような場所だった。


「う、うわあ。きったないですね……猛烈に掃除したくなります……」

「あまり無闇に触れるでないぞ。毒草とかあるのでな」

「えええ……」


 最も多いのは植物。次に鉱石。それを加工した金属類の他、蛇の皮や昆虫の卵といったものもしばしば見受けられる。――アリアンナはそれらに奇異の目を向けながら眉をしかめる。


「……あまりぞっとしないですね。この部屋、なんなんですか?」

「魔術師の工房、というやつだ。材料はテオの買い物ついでに買い集めてもらった」

「苦労がたいへん忍ばれますね……」


 しみじみとつぶやきを漏らすアリアンナ。

 ユエラは適当に空いた椅子を引っ張りだし、座りや、と彼女に言う。背もたれもない椅子は思いっきり埃をかぶっていたが、アリアンナは神妙に埃を払って腰を下ろした。

 続けてユエラは机の上にごちゃごちゃとした器具を並べていく。古びているが綺麗に洗われており、使うにあたっての問題はない。


「とまあ、魔術師の端くれであるからには調剤くらい覚えておけ。魔術師製の薬の効力は一般的な薬師の三倍、とも言うでな」

「……それ、副作用とかも三倍になるんじゃないです?」

「物の例えと言うものよ。エネルギーがどう発露するかという話でな……」


 あまりに高濃度の魔素を含む薬は危険だが、適度な魔素量は害がない程度に薬効を増幅させる。劇的な効果は望めないが、確実にお守り以上の効き目はある。


「……超高濃度の薬を飲んだらどうなるんです?」

「三日三晩不眠不休で全力で動けたりする――が、反動でぶっ壊れたりもする。やるなよ。信頼が一発で吹き飛ぶからのう」

「は、はい」


 適度に効力を向上させた特効薬、というものはあまり市場に出回らない。感応力が薄い人間には、それが魔薬であるか否かを判断できないからだ。

 見ず知らずの人間に命を預けるようなもの。売っている商人にそのつもりは無くとも、どこかで掴まされたという可能性もある。


 つまるところ――信頼の置ける魔術師が作った特効薬、というものはそれなりに貴重なのである。


「ま、おまえはまだ腕に難があるから信頼の置ける魔術師とは言えんのだが」

「……技術と人間性の両面が揃ってこそ、ですね」

「うむ、わかってきたではないか。……それじゃあ、一から説明していくぞ? 別に何回でも説明するがよーく聞いておけよ?」

「存外に親切ですね……!」

「試し飲みするのはおまえだからな」

「あっ……はい……」


 一気に真剣な面持ちになるアリアンナ。見上げた心構えである。


 ――自分でわざわざ薬を作ることなど考えもしなかったが、こういう形ならば悪くない。あやつらにおすそ分けするのも悪くはなかろう。さて、テオは上手くやっておるかの――


 普遍主義派の拠点近郊へ偵察に向かったテオ。彼女に思いを巡らせながら、ユエラは自らもお手本の製薬を開始した。


 ◆


 イブリス教団普遍主義派拠点。

 テオはティノーブル近郊に築かれた要塞線を一瞥し、それだけでも教団の異変を見て取った。


 誰にでも分かるような騒ぎが起こっているわけではない。むしろ敷地内には静寂が満ちていた。あくまでも表面上はいつも通りの平穏を保ち続けている。


 だが、その内部で起きている異変は明らかだ。


 第一に、施設群の出入り口を往来する人影が多すぎる。

 一時間に数人というペースではあるが、それでも多すぎることに変わりはない。あの組織がどれほど閉鎖的なことか、テオは身を持って知っている。

 常日頃から〈封印の迷宮〉に探索者を送りこんでいることは確かだが、これほど大規模な動員は今までに一度もなかった。

 この状況が意味することは一つ。


 イブリス教団普遍主義派。彼らは魔王復活の予兆を知っている。知っていて、その上で魔王の復活を早めようとしている。

 それは彼らの宗教理念とも一致する行動だ。疑いの余地はほとんど無いと言っていいだろう。


 ――――このことはお伝えする必要があるでしょう。


 テオは要塞線から一旦引き上げ、迷宮街との境へと帰投する。そこに派遣されていた守護霊〈グラーム〉に報告を行い、彼女は再び監視に戻る。

 数時間の待機など問題にもならない。否、数日間飲まず食わずであろうとも十全に作戦を遂行できる。テオはそのように育て上げられた。過日の教団のもとで。師と崇めることを強いた女性によって。


「……ッ」


 テオは教団施設群の物陰に身を潜めつつ歯噛みする。

 ユエラからもたらされた影響により、彼女に施された洗脳はほぼ失われた。だが、それはテオが完全にかの教団から解き放たれたというわけではない。

 思想的にテオを縛るものはもはや無い。しかしながら、テオの身体に刻みこまれた技術の粋は――その過程で刻まれた苦痛は――絶えることなく彼女の内側にある。


 魔王が復活しようというのだ。十中八九、彼女も動くことだろう。

 もし彼女とぶつかることになれば……勝てるだろうか。


 ユエラが彼女に膝をつくようなことはないだろう。まずもってあり得ない、とテオは断言し得る。

 だが、テオ自身は彼女に敵うという確信がない。テオが普遍主義派から離脱した時点でもそびえ立つ壁のような実力差があったのだ。それから数年が経ったが、実力差はどれほど埋まっているだろう。

 否、差が開いている可能性すらあろう。彼女は今でもせいぜい四十代、肉体的にはいまだに全盛期を保っているはずだった。


 ――――やはり、積極的な戦闘は避けるべきでしょう。


 一概に納得はし難いが、テオはそう結論せざるを得ない。

 最善はユエラの手を煩わせるに何者をも打破すること。しかしながら、自らの過信によってユエラに迷惑をかけるわけにはいかない。そのようなことがあってはならない。


 ――そう考えていた矢先のことだった。


「――今から向かってどうするつもりだ?」

「何も今すぐに復活させようってわけじゃない。復活させるにも準備がいるのさ」

「準備。必要な物があると?」


 二人の男女の会話。極限まで研ぎ澄まされたテオの聴覚が、遠くから聞こえるその声を捕捉した。

 物陰から半身を覗かせて声がしたほうに目を向ければ、その姿も正確にうかがえる。


 一人は身の丈180suにも及ぼうかという長身の女。全身を黒いフードとローブに包み、肩には六芒星と鉤十字の紋章が結わえられている。一つ結びの黒髪が白い肌を這うようにぬらりと伸びていた。

 テオはその女の名前を知っている――彼女が誰かも知っている。


「――――ッ」


 息を呑む。

 彼女こそはイブリス教団普遍主義派の軍事顧問。ありとあらゆる武芸に精通しており、それは暗殺技術のような後ろ暗い世界さえ例外ではない。彼女が身に付けられない武術はなく、彼女に扱えない武器もない。


 戦士長リグ。

 そして、彼女こそは――テオの暗殺術の師でもあった。


「いいや。魔王様に復活願っても、僕のターゲットに逃げられたら本末転倒なんだよ。そうならないように状況を見計らわなきゃねぇ」

「――どこに逃げようとも無駄なことだ。イブリス卿が再びこの世を席巻すれば、地上は遍く冥府の獄に変ずるのみ」

「はは、そうだねぇ。確かに、彼を放っておけばそうなるだろうさ」


 テオはどうにか理性を保ち、監視を続ける。

 思わずリグに気を取られたが、むしろ注目に値するべきは彼女の隣りにいる人物だった。


 透き通るような水色の髪。身長はたかだか160su程度で、リグと並べば子どもにしか見えない。外見年齢はまさに少年といっても差し支えなく、肩から清潔な白衣を羽織っている。


 奇妙だ、とテオは直感した。

 まずテオは彼を知らない。

 テオは三年前に普遍主義派から離脱した。それ以降に入団した人物、という可能性は無論あるだろう。

 だが、そのような新参者がリグと対等に言葉を交わしている姿はあまりに奇妙であった。


 二人はそのまま普遍主義派の要塞線を抜ける。迷宮街に向かっていることはまず間違いがないだろう。

 教団内の最高幹部が二人揃って外に出るというのがまず異様だが、そのうち一人の正体が知れないというのはあまりに不気味であった。


 ――――まず、彼の正体を明らかにいたしましょう。


 テオはつとめて平静を保ち、慎重に彼らを追跡し始める。あくまでも情報収集のために。


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