四十九話/魔王鳴動
「お久しぶりです、ユエラさん。またしばしば伺わせていただくかと思いますので、よろしくお願いしますね!」
「……なんというか、おまえの顔を見るのも久し振りだのぅ……」
すっかり夏も近づいたある日の朝、ユエラ邸の扉をノックする音が響く。ユエラが直々に出迎えてみれば、そこには見慣れた顔があった。
クラリス・ガルヴァリン。近ごろ彼女は公教会の再建に手いっぱいで、ユエラと顔を合わせるのはこれが二週間ぶりのことだった。
「公教会のほうは良いのですか?」
と、言いながらも流れるように家内へ迎え入れるテオ。ユエラにしても異存はない。すでに公教会へのわだかまりはあって無いようなものである。
「はい。内部に関しては大分落ち着いてきたんです。枢機卿猊下もすっかり回復されまして、司教位にも代わりの方が赴任されましたから――そろそろ通常営業に、といったところです」
「おまえは出世せんのかえ?」
「私は聖王国の司祭ですから……」
非常に微妙そうな顔で苦笑いするクラリス。何やら複雑な事情がありそうなのでユエラは聞かないことにした。
リビングに移動すると、早速テオが追加のお茶を用意し始める。二人は向かい合わせの椅子に腰掛け、クラリスが先に用件を切り出した。
「それより、ユエラさん。……アルバートに何かをなさったようにお聞きしましたが」
「あー……そのことはもうキリエに突っつかれたから無しにしておくれ」
「いえ、責めるつもりでは無いのですが――キリエとはなんですキリエとは。せめて枢機卿とお呼びなさってください」
「――ゆ、ユエラ様、いつからあの方と名前で呼び合うような仲に……!?」
「おまえらめんどくさいのう!」
キリエとはお互いに腹の底を握っているような関係である。今さら格式張った呼び方を守ることもあるまい――別にバラされて困るようなことでもないが。
「私が勝手に呼んどるだけだ、別に呼びあっとらん。で、何をしたかと言うたら……ちょいと悪い幻覚を見てもらったに過ぎんよ」
いささかたちの悪い幻覚ではあるが。
その内容を具体的に説明すると、クラリスはおおよそ得心がいったようだった。
「……そういうことでしたか。道理で様子がおかしいはずです」
「なんだ。もしかして壊れおったか?」
そこまでやわとは思わなかったのだが。
ユエラは狐耳をぺしょんと寝そべらせる。いいえ、とクラリスは首を横に振った。
「壊れたわけではないのですが……日がな一日中瞑想し続けているんです。食事も二日に一度ほどしか召し上がられないものですから」
「……自殺ではなかろうな?」
「いえ、三日に一度は必ず食事を摂られるますし、水は欠かさず飲んでいるようですので……」
「それはそれでようわからんな……」
人間、瞑想やら苦行やらで強くなれたら苦労はしない。健康的な食事、運動、睡眠時間の確保。人間にとって永劫普遍の要素といえばそれくらいのものである。
「せめてちゃんと寝るのだぞ。睡眠削ったら身体の前に心をイワすからのう。あれは良くない」
「まるで経験したように語られますね」
「まぁのう……」
長生きしている分だけ失敗も少なくない。そう、休憩時間を考慮しないで捧げられた奴隷を働かせてしまうような経験だ。もう二度とは繰り返すまい。
「……そういえば、私にも一つ気になっていることがあるのですが」
「なんでしょう」
テオはティーポットを傾けながらうそぶく。鮮やかな色の紅茶をカップの半ばまで。
湯気が立つ白いカップをソーサーに乗せて差し出しつつ、テオは言った。
「あの長耳の……エルフィリア、でしたか。あの方はどうなさっているので?」
「ほう。テオが誰かを気にかけるとは、珍しいこともあるものよ」
ユエラが何気なくそう零すと、テオは薄褐色の頬を染めながら慌てて言う。
「ど、どうか誤解の無きように! 私はあくまでもユエラ様一筋でありますし彼女がまた逆恨みでユエラ様を付け狙うようなことがあっては断じてなりませんからもしもの時には念入りにとどめを刺す必要があるだけで決して他意などは――――」
「わかっておる、わかっておるからあんまり言い訳するとかえって怪しいぞ」
「は、はい」
テオは恐縮したように頭を下げる。さり気なく物騒なことを口にしていたが、実際やりかねないのがテオという少女であった。
クラリスもこれには苦笑い。突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込めば良いのやら、と言わんばかりである。
「で、どうしておるのだ。主人がそのザマなのであろう?」
ユエラが改めて問う。クラリスは紅茶で唇を湿らせ、エルフィリアの現状を語り始めた。
「……実際のところ、エルフィリアは巻き込まれたようなものですから。もっとも、彼を盲信した責任は決して軽くはありませんけれど――――」
◆
――公教会ティノーブル支部。貴族の身柄を確保しておくための独房にて。
「クラリス、お願いがあるの。どうしても、あたしの一生のお願い」
「……分かっているかと思いますが、贔屓は致しかねます。どうしてもです」
「アルバートさまに会わせて!! 死んじゃう!!」
「ダメに決まっているでしょう」
「お願い! お願いだから! 絶対逃げ出したりしないから! ううんむしろ同じ屋根の下で一生アルバートさまのおそばにいる! そしてあわよくば」
「――神聖なる教会で何をなさろうとしてるんです?」
「な、なんでもない。うん。なんでもないです。だから、ほんのちょっとでもいいから、ね」
「ね、じゃありません」
「……だって……うー……今までもずっとアルバートさまのおそばにいたのに……いきなりこんな……いっそ冥府でおそばにいられたほうが良かった……」
「めったなことは仰らないでください。……それとエルフィリア、これはアルバートからの伝言ですが」
「えっ伝言!? 伝言あったの!? それ早く言ってよ!」
「『夜ごとに名前を呼ばれてうるさいので静かにしてほしい』とのことです」
「おぎゃー!?!? ちょっとぉ!? まって!? 聞こえてたの!?」
「隣部屋ですから」
「隣!? 隣だったの!? アルバートさま静かすぎ!? あ、そうだ隣なら壁を突き破ったら」
「――――もしやったら、どうなるか、わかりますね?」
「……は、はい……」
◆
「……と、このような具合です」
「びっくりするくらい反省の色がないな?」
これだからアホは始末が悪い。
根に持っているということは全く無さそうだが。
「もしかしてアホなのですか?」
「それは……その……」
テオの直球。これにはクラリスも言葉を濁すほかない。
皆まで言うな、というやつであろう。
「テオといい勝負だのぅ」
「お、お待ちください。私には慎みと節操があります。我慢もできます。ユエラ様が待てと仰る限りはいくらでもお待ちする所存です」
ふむ、とユエラは考えなおす。確かに、忠犬と駄犬ほどの差はあろう。ユエラも大概ダメ人間だから人のことを言えたものではない。
「うむ、それもそうだな。褒めてやろう。頭を下げよ」
「はっ」
応じるなり素早く頭を下げるテオ。ユエラは彼女の艶やかな黒髪をくしゃくしゃと撫でてやる。指先を滑る感触が心地好い。
まさに愛玩動物めいた扱いではあったが、当のテオは一向に構わなかった――むしろ面映ゆそうですらあった。
「……ともあれ、おまえはまた私の監察官に収まるというわけかえ?」
ユエラは思い出したようにふとクラリスに水を向ける。いつまでのことかは分からないが、それが当然の成り行きだろうと。
しかしクラリスは、そっと首を横に振った。
「なに? 違うのかえ?」
「……はい。内部についてはおおよそ片がついたのですが、別の厄介な問題が確認されたところでして。私はしばらくそちらを担当することになるかと思います」
「左様かえ。……ならよろしくもへったくれもあるまい」
「いえ、それが実は――ユエラさんにもご協力頂けないかと思い、こうしてお伺いに来たわけです」
「なるほどのぅ」
ユエラが自らおもむくつもりは全く無いが、誰かを派遣するくらいならば全く構わない。「ユエラ様、どうぞ」「うむ」と、テオに差し出されたミルクをカップに注ぎ入れながらユエラは言う。
「で、その問題とはなんだ。大事かえ?」
「……正直、口にするのが憚られる程度には大事です。どうか他言は無用に願いたく」
「わざわざ面倒を招くわけもなかろう。はよ言うが良い」
ユエラもテオも無闇矢鱈に軋轢を引き起こしたがるたちではない。クラリスもそのことは承知の上だ。
彼女は紅茶を一口こくりと飲み下し、一息。そして意を決したように、端的に言った。
「強大な魔力反応が〈封印の迷宮〉奥底から確認されました。――――魔王イブリス復活の予兆ではないかと懸念されています」
「……なんじゃとぅ?」
◆
魔王イブリス。
百の魔物の血統を取りこんだ魔の集大成にして千の魔術を操る魔物の王。
彼は万の魔物を率い、現在のティノーブルが存在する土地に君臨、大陸の各国に侵攻を開始した。
顛末から言えば、魔王は若き英雄たちの活躍によって封印された。
神と精霊の恩寵を受けた〈勇者〉アルベイン・ウェルシュ。出自不明でありながら魔王封印の立役者でもある〈賢者〉クレラント。信仰篤き清貧の巡礼僧ドーラ・カルディナ。そして精霊の遣いとされる長耳の従者エルファミア・セレムの四人である。
それは今から三百年以上も遡る出来事だが、魔王が残した爪痕は決して浅くない。たとえば『捕虜を虐げるべからず』という約束事は、人間同士の争いでいたずらに消耗することを避けるために結ばれた戦時協定だった。――それ以前は戦時捕虜の虐待が当然のように横行していたのだ。
中でも〈封印の迷宮〉はまさに魔王イブリスの象徴と言えよう。世界中のイブリス教団がティノーブルで発足したのはこれが原因だ。迷宮街ティノーブルは、言うなればイブリス教団にとっての〈聖地〉なのである。
もし本当に魔王イブリスが復活するとなれば、これはもはや事件では済まない。迷宮街の存在そのものがひっくり返るほどの大事だ。当然、ユエラが安泰にかつ自堕落に過ごすという計画もご破算である。
これは腰を据えて構えねばならぬ。
そういうわけで、ユエラは早速フィセルとリーネにも声をかけた。アリアンナは信用できるが能力面で不安なので除くものとする。
「……それで、魔王復活ってのは確かなのかい?」
「あなたはなぜ楽しそうにしてるんです」
「復活するなら、ちゃんと殺し直せる可能性はある。そうだろう?」
壁に寄っかかりながら意気揚々と語るはフィセル。ちょうど〈封印の迷宮〉に向かっていたところをグラームの監視網に引っかかったのだ。
彼女は邪魔をされたにも関わらず実に上機嫌そうだった――まるでお手本のような戦狂いっぷり。あと一歩で〈勇者殺し〉の悪名を得るところだっただけはある。
「……まず前提として間違いです。殺せる、などとは考えないでください。三百年前、あの英雄の方々ですら"封印"が精一杯だったのですから」
クラリスは頭痛をこらえるように額を揉みほぐす。
「そして、現時点では魔王であるという保証はありません。ただ、迷宮の奥底で大きな魔力反応が確認された、というだけのことです。魔王イブリスの可能性が高い、ということも事実ではありますが」
「具体的な場所なんかは分かってるのかい?」
「おそらくですが、〈封印の迷宮〉地下九十階から地下百階の間、といったところでしょう。今のところ魔力反応の移動は確認されていないようです」
「……いずれにせよ、前人未踏の領域、ってわけだね」
「間違いなく」
フィセルのつぶやきにクラリスは首肯する。
フィセルの到達階層は地下六十五階。アルバート、エルフィリア、クラリスの三人は地下七十階前後を探索していたという。
歴代の探索者による最深記録は地下八十二層だが、これは多くの死者を出しながら至った結果であった。六人パーティのうち四人は未帰還、残る二人は重傷を負って帰還後に死亡。
つまり、地下八十層以降は人類にとってほとんど未知の領域ということ。
「……それ、私には場違いというか……無理なんじゃないかな。うん、無理だと思う。っていうか絶対死ぬ」
ただでさえ青白い顔をさらに青ざめさせるリーネ。
彼女はかつて目元まで伸びていた前髪を眉の下辺りで切り揃えていた。火傷痕もあらわな片目は黒い眼帯に覆われている。ユエラから見ても中々良い変化だと思うのだが、性根は相変わらずのようだった。
「しかしなぁ。クラリス、おまえも調査に向かうのであろう?」
「はい。フィセルさんも乗り気のようですから、よろしければ同行させて頂きたく思います」
「……えっ」
「えっ、とはなんですか。不満があるのでしたらお聞きいたしますが」
「……いや、別にそういうわけじゃあないんだけどさ」
フィセルは一瞬わかりやすいほどに表情をしかめる。まさかクラリスと肩を並べて戦うことになろうとは思いもよらなかったのだろう。
そもそも今までは、迷宮攻略という志を同じくする仲間すらいなかったのだ。なのにいきなり仲間に恵まれるというのである――フィセルの困惑も分からないではない。
「で、二人は決まったとして……前人未踏の領域に二人、というのはちと厳しかろう。やはり魔術師が一人はおらねばな」
「……ご、御主人様のほうが適格なんじゃないかな、とか」
「あぁん?」
「申し訳ありません、いく、いくよ、いかせていただきますぅ!!」
半泣きになりながら忙しなく頷くリーネ。実にからかい甲斐があって良い。
「うむ。これで三人であるな!」
「……あの、本当に良いのですか?」
「おまえがおるなら無茶はせんだろう。少しずつ調査を進めて、それでどうしても危険そうなら私も行こう」
調査のために自ら足で稼ぐのは面倒極まる。が、どうしても自分の力が必要と分かったなら動くのもやぶさかではなかった。――大切な奴隷を死なせてしまうのは真っ平ごめんである。
「ですが、ユエラ様」
「うむ。なんだテオ」
「あまり攻略が遅れては魔王の復活に間に合わない、という可能性もあり得ましょう。どれほどの猶予があるかは定かではありませんが」
「……ああ、移動しておらぬとなれば復活自体はまだ、と見るべきかえ」
「はい。実際に復活したとして、どの程度の活動を見せるかも分かりませんが……街の真ん中に出現する事態も想定するべきです」
うむわかった、と頷きながらユエラは思う。テオが『魔王様』と言わないようになったのはいつからのことだったか。
今や彼女にイブリス教団の信徒としての面影はない――また別の深みにハマりこんだという趣は大いにあったが。
「しっかし、三人ね。時間制限無しなら私一人でも地道にやるけどさ、制限付きじゃこいつはちょっと厳しいよ。情報無しだと危険度が跳ね上がるし、一人でも死んだらそこでお終いだ。――四英雄じゃないけどさ、それこそあと一人は欲しいね」
「……その点は私も承知のうえです。この三人でとは参りませんので、なんとか致しましょう」
フィセルの提言にクラリスは頷く。実力と信頼を兼ね備えた人材を見つけるのは難しかろうが、やるしかない。
ユエラの脳裏にクラリスの仲間二人が浮かぶが、まさかそうは行かないだろう。仮にも捕虜を駆り出すわけにはいかない。仮に目的が手段を肯定するとしても、キリエ枢機卿はそれを許すまい。
「……ユエラさん、テオさんのお力を拝借するわけにはいきませんか。お力添え下さるなら大変心強いと思うのですが」
「あー……できればそうしてやりたいのだが、そうもいかぬ」
ユエラは少し冷めた紅茶に口をつけ、ぺしょんと狐耳を寝そべらせる。
「ユエラ様の身の回りのお世話をするという至上命令を仰せ付かっておりますが、他に何か」
「実はあるのだな、これが」
「あったの!?」
「あるのかい!?」
「あったんですね……」
リーネ、フィセル、そしてクラリスまでも意外そう。
まるでいつもテオの才能を無駄遣いしているようではないか。全くもってその通りなのだが。
「何でも仰せつかりますが」
「うむ。――イブリス教団普遍主義派とやらの動向の調査を、な。……できそうかえ?」
それは言うなればテオの古巣。因縁浅からぬ相手、とも言うべきか。
ユエラの言葉を聞いてなお、テオの表情に動揺らしいものはうかがえない。
「……なるほど。もし彼らが同じ情報を掴めば、何らかの動きを見せる可能性も高い……ということですね」
「うむ」
クラリスの理解は正しい。
ユエラがテオに視線をやれば、彼女はにわかに瞑目して首肯する。
「無論です。私が知る限りの記憶と経験を元に連中の動きを丸裸にしてみせましょう」
「……分かった。任せるぞ。念には念を入れて、グラームを付けておくがのう」
テオは全くいつも通りの平坦な声音で断言する。それはユエラの懸念を拭い去るほどの確信に満ちていた。
かくして今後の方針は確定。フィセルとリーネはクラリスとともに〈封印の迷宮〉攻略へ。ユエラとテオは街中の異変やイブリス教団の動向に目を光らせる。
――――そもそも、なぜ魔王が復活しようとしているのか。その理由はいまだ定かならぬまま。




