三十六話/妖狐進軍
――聖騎士長レイリィとの会合から二十四時間が経過した。
「よーし、全員揃っておるな?」
ユエラ邸一階。酒場のホールめいた大広間に、二十人以上にも及ぶ人々が集まっていた。
ユエラはぐるりと広間中を見渡し、まるで統一感のない顔ぶれを確かめる。
そのほとんどはスヴェン・ランドルートとの契約関係における傭兵だが、当然のごとく例外もいる。――ユエラと個人的な交友関係を結んだ人々だ。
テオ、フィセル、リーネ、アリアンナ、クラリス。そして公教会から逃れて来た三人の祓魔師。
十七人の傭兵と彼らをあわせ、二十五人。そこにユエラも加えた二十六人が今回の総戦力である。
「……本当にこれっぽっちでやるつもりなのかい?」
「うむ、全く問題ない。おまけに聖堂騎士団の連中も引き入れれば人数は三倍になるのだぞ? ますます万全ではないか」
「……そいつは皮算用って言うと思うんだけどね――それに」
と、フィセルは隣のテーブルに座っているアリアンナを一瞥する。
ローブをまとった少女は一瞬肩をぴくんと震わせ、強張っていた表情をかすかに弛緩させた。
「……アリアを加えるって、本気かい?」
「全くもって問題ない。対人戦闘の訓練もやっておるしな」
ユエラはさらりと言い放つが、それが意味するところはつまり殺人の練習だ。
幻術による疑似体験を通じた殺人経験。それは現実に人を殺すのと全く変わりない感覚をもたらし、殺人への抵抗感を大幅に減じさせる。
「わ、私が言い出したことなんです。もしフィセルさんが誰かに襲われた時、私が未熟なせいでサポートできなかったら不甲斐ないですから」
「……そいつはあんたが気にすることじゃないだろうに」
フィセルは呆れたように息を吐く。アリアンナが言い出したら聞かないことは重々思い知らされていた。
そんな折にこの緊急事態は渡りに船。良い実戦経験になるだろうと思い立ち、ユエラはアリアンナをリーネ隊に組み入れた。
「リーネ隊には主に後方からの攻撃支援を頼んでおる。危険な最前線に出ろと言っておるわけではない。……というわけだ、リーネ、おまえは突出しすぎんようにな?」
「もちろんだよ。ご主人様」
リーネは興奮を抑えながら首を縦に振る。リーネ隊――五人の傭兵魔術師たちも彼女に追従するように頷いた。
今回の作戦で最も士気が高いのは彼女だろう。憎き仇と思しき男を討てるかもしれないのだ。砂色の髪に覆われた瞳には、今なお巨大すぎる殺意が渦巻いていた。
「テオ隊、フィセル隊はリーネ隊の前方だ。言っちゃあ悪いが壁役だの。……だが、まかり間違っても突撃などはするでないぞ? リーネ隊を守るのがおまえたちの役目だ。向かってきた敵を迎撃すればそれで良い」
「うっす」
「了解す」
「問題ありませんユエラ様」
「隊長の指揮を受けられないのが至極残念ではありますが」
残る傭兵たちが口々に声を上げる。テオ隊、フィセル隊をあわせて十二人。
今回は暫定的にリーネの指揮下に入るが、気持ちの上の指揮官は変わらないようだ。
「クラリス、おまえは三人を連れてキリエ枢機卿の救出を最優先で動いとくれ。説得が成功したら聖堂騎士団と連携して動いたほうが都合が良かろう。おまえたちがこちら側にいるというのは相手へのアピールにもなろうからな」
「私は異論ありません」
「時に、ユエラ殿」
クラリスは目を伏せて首肯。隣のアルマが祓魔師組を代表し手を挙げる。
「うむ、どうした?」
「キリエ枢機卿猊下の救出後、戦域からの脱出を許可願いたく」
「……ふむ。キリエ枢機卿に自分の身を守る力は?」
「一切無い、とうかがっております」
「……ほう」
意外だのう、とユエラは思う。荒事と密接な関わりがあるこの街で、一切の武力を持たないとは――よく今までやって来れたものだ。
「うむ、確保完了したら迅速に退避するが良い。……もし仮に見つからなんだら、土の下掘り返してでも探しだせ。他のことには一切構わんで良い」
ユエラの一言に息を呑むアルマ。
相手がまともなら殺すことはまず無いだろう。だが、万が一、ということもある。
「あとは……テオ、フィセル。おまえたちは二人で最重要目標を叩いとくれ。引きずり出すのは難しくもなかろうが、こいつらに好き放題されたらそれだけで戦況が逆転しかねん。可能ならば私が援護に入りたいところだが、それが許される状況とも限らん。よろしく頼む」
「無論です。私一人でも十全に捌いてみせましょう」
「……あまり甘く見ないほうがいい。あれは、厄介だ」
表情一つ変えず請け合うテオ。フィセルは静かに彼女をたしなめる。
最重要目標――その言葉が意味するところは、まさに相手の最大戦力。アルバート・ウェルシュとエルフィリア・セレムの二人である。
極端なことを言えば、敵勢力の全軍よりもこの二人のほうが危険である。その実力の程はクラリスのお墨付き。フィセルをして、二人をまとめて相手取るのは難しいだろうとの見解だ。
「現在時刻は午後八時。……しからば、今から十時間後には指定位置に移動するように。市街地での展開になるゆえ、人目に付かぬよう別行動を心がけよ。もし道中で会敵した場合にも集合を最優先だ。良いな?」
それぞれの指定位置、公教会ティノーブル支部の構造などはすでに頭の中に叩きこんだあと。
最終目標は言うまでもない――革命勢力を主導する首謀者の捕縛である。
ユエラはそれぞれに首肯する姿をぐるりと見渡し、うむ、と満足気に頷いた。
「では、これより待機とする。……取り置きの酒くらいなら手を付けて良いが、せいぜい気付け程度にするのだぞ?」
傭兵どもの歓声。緊張に肩をこわばらせていたクラリスまでも表情を緩め、呆れたように息を吐いた。
◆
「……よし、行くかえ」
朝五時半。
全員が指定位置に着いたという報告を受け、ユエラは最後に動き出した。
傍らにテオとフィセルを伴い、行く先は言わずもがなの公教会ティノーブル支部。
「ユエラ様、ひとつ報告するべきことがございます」
「うむ、なんだ」
ユエラは仮眠から目覚めたばかり。
黒のロングワンピースに薄手の肩掛けという至極日常的な格好のまま、ユエラは街中に繰り出す。
「ユエラ様の指名手配書が回っております、街のあちこちに。おそらくは夜の間にやったのでしょう」
「……む。ずいぶん早かったな」
「回収した手配書を使い回したんだろうね。額面も同じだから」
「ふぅむ」
以前は問題にもならなかった手配書だが、現在は少々事情が異なる。ユエラ・テウメッサは今や、街でもそれなりに知られた存在であるからだ。
「眼につかない場所を通って行くかい」
「いや」
フィセルの問いかけに、ユエラはあっけらかんと笑って言った。
「堂々と道の真ん中を行ってやろうではないか。この朝っぱらから何をびくびくとする必要がある?」
「その通りです。何のために私がいると思っているのです。そして何のためにあなたがここにいると思っているのです、フィセル?」
「……少なくとも、騒ぎを起こすためじゃあないね」
何のためにといえば、フィセルが今回の件に付き合ってくれたのは少々意外ではあった。彼女いわく、「公教会には顔を売りたかったからね。私は本国からすりゃ鼻つまみ者だしさ」とのこと。
〈勇者〉の末裔を斬ったとなれば、彼女の悪名はいよいよ極まるだろう。アズラ聖王国と慢性的な緊張関係にあるロジュア帝国は喜んで士官話を持ってくるかもしれないが。
言い合う間にもユエラは堂々と街中に出る。
この時間では人影もまばらだが、狐人のユエラはいかにも眼についた。なにせ灰毛のしっぽと狐耳を隠しもしないのだ。狐人は迷宮街においても稀少で、否応なく耳目を引きつけてしまう。
と、東西南北に連なる十文字の広場に差し掛かった時だった。
「ユエラ・テウメッサ! お命ちょうだ――あぁぁぁッ!?」
置き去りにされていた露店の影から不意に飛び出した若い男の影。
彼は長剣を手にユエラに突っかかり、触れることもできず呆気無く床の上に転がされた。
テオはすかさず長剣を蹴飛ばして背中を踏み、呻く男の延髄に狙いを定めながら言う。
「ユエラ様、いかがなさいますか」
「まさか本気で襲いかかってくる阿呆がおろうとは……こっちは三人おるのだぞ?」
「……あんたらは子どもみたいなもんじゃないさ」
たとえ魔術師であろうが女、子どもは甘く見られるのが一般的だ。フィセルのように鍛え抜かれた女戦士という例外はあるが、子どもにまで警戒を払うものは中々いまい。
「賞金首になっとるんだぞ、何かあると考えるだろうに……まぁ良い」
この時間に出歩く人間が百人いるとして、とびっきりのアホも一人くらいはいるということだ。
ユエラはそっと手を伸ばし、男の頭に触れる。一瞬で彼の記憶を読み取り、ついでにある命令を擦りこむ。
「よし、行け」
ユエラが手を離して命じると、男は声もなく立ち上がった。
焦点の合わない視線、おぼつかない足取り、表情のない顔立ち。どれを取っても正気ではない振る舞いで男は周囲を散策し始める。
「……なにをやったんだい、ユエラ?」
「うむ、どうやら賞金稼ぎの類らしいからな。同類を探索するように命じた」
「なるほど。実に冴えたお考えですね、手間が大いに省けます」
「まーた騒ぎが広がるようなことを……」
使い捨ての手駒に細かな命令は不要。一度だけ行動原理を擦り込めば、後はそれに従って動いてくれる従順な操り人形と化す。
進行方向へ男を先に進ませれば、程なくして騒ぎが巻き起こる。灰色の衣に身を包んだ数人の男たち。
「おい、あいつらを誘き寄せるって話じゃ――って、なッ!?」
「な、何しやがるッ!?」
「落ち着け、こいつ普通じゃねえ!!」
男たちの示した反応は内輪揉めのそれ。先ほどの男はユエラを釣りだすための囮だったのだろう。
男たちは互いに得物を抜いて斬り合う。四対一と多勢に無勢ではあるが、勝負はおよそ五分五分だった。――ユエラの支配下に置かれた傀儡は死を恐れることが無いからだ。
「ははは、実に上手く行ったものよな」
「言ってる場合じゃないよ。……進行ルートがバレてるんじゃないかい?」
「こちらの所在地が知れているのは明らかですから。尾行が付いているのはやむを得ないことかと」
革命勢力――すなわち街の各有力者から賞金稼ぎの類に情報が流れたのかもしれない。
ユエラは五人が全員倒れたところに歩みよる。先ほどユエラが操作した男は息絶えていたが、他に四人は息があった。殺さないように命じたのだ。
「……ちょいと大人しくしてやっとったら調子に乗りおって。全く」
「いたずらな復讐はユエラ様の脅威を高めたでしょうからね。最も、ユエラ様の威光はそれしきの遠慮で隠しきれるものではありません――これもまたやむを得ぬことです」
「それはともかく、さっさと済ませちまいなよ。こんなことで手間取って、他の連中に待ちぼうけ食わせたら目も当てられやしない」
「うむ、そうだな。その通りだ」
今回の作戦が平穏無事に片付けば、公教会ティノーブル支部の頂点にはキリエ枢機卿が返り咲く。
スヴェン・ランドルートはその情勢下で大きく躍進するだろう。キリエ枢機卿救出の功労者。他の木っ端有力者など軽く薙ぎ払えるような名声を得るに違いない。
ユエラは痛みと苦しみにもがく男たちに歩み寄り、手を伸ばす。
「や、やめろ!!」
「何をするつもりだ!?」
「こいつに何をしや、がっ……!?」
「黙れ」
ぴしゃりと命じるとともに、先ほどの男と同じ処置を施す。
またも亡者のように立ち上がる男たち。彼らは先を争うように歩みだし、ユエラの行く手を塞ぐ者たちに襲いかかる。ユエラの行動をあらかじめ予期し、物陰などに潜んでいた賞金稼ぎや傭兵の類。
そのことごとくを同士討ちの憂き目にあわせ、順調に配下を増やしながらユエラたちは公教会へと向かった。




