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お狐さま、働かない。  作者: きー子
公教会事変
28/94

二十八話/鬼の目にも

 明け方。日も昇っていない時刻にフィセルは荷物をまとめ、足元に気をつけながら階段を降りていく。

 明かりが落ちたままの酒場は薄っすら仄明るい。起きているものはまだ誰もいないだろう。

 だからこの時間を選んだのだ。


「……世話になったね」


 空っぽのカウンター奥を一瞥して独りごちる。

 言ったあとでフィセルは呆れたように肩をすくめる。感傷にひたるような柄でもなかろうに。昨夜の主人も言ったとおり、なにも今生の別れというわけではないのだ。会おうと思えばすぐに会えるような距離。


 ……いや、とフィセルは首を横に振る。

 距離はもう十分に取った。自ら彼女を突き放したではないか。

 フィセルはちいさく鼻を鳴らし、笑みを浮かべながら扉を引いた。


「やっぱり、行くのですか、フィセルさん」

「そう言ったろうさ」

「じゃあ、私もついてきます」

「ああ、そうかい――――……って、え?」


 やけに聞き覚えがある声のせいで反応が遅れた。フィセルは咄嗟に声がした方へ向き直る。

 ちょうど扉を開けた時にできる影。そこに隠れ潜んでいたように、アリアンナがぬうっと姿を表した。


「勝手には行かせませんよ」

「……ちゃんと宿代は前払いで払ったじゃないかい」

「そうじゃなくって! 私も一緒に連れてって下さい!」

「どこにさ」

「〈封印の迷宮〉にです!!」


 迷宮。そう聞いてフィセルは、頭の天辺から足元までアリアンナをじっと見回した。

 まるで品定めするような、不躾である視線に少女は一瞬縮こまった。


「……迷宮、ね」


 頭の上には古典的な魔女めいた黒い三角帽。古典的であるがゆえに有効でもあるだろう。

 ほっそりした身体を包むは臙脂色のローブ。黒タイツは膝上までも覆っており、迷宮の悪環境に対する備えはある。

 そしてアリアンナの背中には、六華を模した水色の象徴付きの杖が括りつけられていた。


 魔術師としてはまさに王道と言える装備。杖は自らの手の内を明かすという欠点があるが、引き換えに得られる利点は小さくない。魔術師に必要とされる魔素結合能力の精密性、持続性、容量、速度、出力などなど……意志によって左右されるこれらの力を底上げすることができるのだ。

 それはアリアンナが自らの力不足を認め、その上で少しでも力になろうとする意志の現れに思われた。


「どうです! フィセルさん、良いでしょう!?」

「すっこんでな」

「なんでえっ!?」

「なんでもへったくれもないよ」


 アリアンナはフィセルの腕に縋り付く。が、彼女は一顧だにもしなかった。


「……アリア。そもそも、親父さんに許可は取ってきたのかい」


 フィセルがそう問いただすと、アリアンナは分かりやすいほど黒い瞳を逸らす。良くも悪くも嘘はつけないのだ。


「なら、この話は無しだね」

「ま、待ってっ! 私ももう十五歳です! 私のすることは私自身の意志で決めたって――」

「あんたに何かあったら申し訳が立たないんだよ。そうなれば悪いのはどう考えたって私だ」

「私は、私はどうなってもフィセルさんを恨んだりしませんから!!」

「私が私を恨むだろうね」


 端的な答え。アリアンナは唇を真っすぐ引き結ぶ。

 フィセルは彼女の手をそっと引き、一旦宿の中に戻った。


「だいたい、言ったじゃないかい。私は、あんたが思ってるほどお綺麗なもんじゃない。……血と泥にまみれた探索者だ」


 当初の目的が遠くに行きそうなほど、その手は汚れている。

 昨夜、アリアンナはそのことを嫌というほど突きつけられたはず。まさか昨日の今日で忘れ去ったわけもないだろう。


「……はい」

「ならこの話は終いだ。わかったら私なんかに付いてくるもんじゃあ……」

「――――だからっ、私が強くなって、付いていけるようになります! 私が一緒に付いていけるようになったら、フィセルさんが無理しなくたって良くなるはずですっ!!」


 ……嗚呼、とフィセルは嘆息する。

 彼女を突き放すために無理をしていた、と。子どもにまで見抜かれたというのなら、これはなんたる不覚だろう。それともアリアンナの勘が良いのだろうか。

 勘の良い子どもは、苦手だ。


「といっても、ね……」


 アリアンナを前向きに戦力に数えても、下層の攻略は当面不可能だ。昨夜垣間見せた資質は決して低くないが、攻略の停滞は必至だろう。そもそもフィセルに魔術師を教育するノウハウなどあるわけがない。


 悩ましげに唸っている間に上の階から宿の主人が降りてくる。誰もが眠っているうちに出て行くつもりが、完膚なきまでに台無しだった。


「仮にやろうと思ってもできるかは別問題。私はあんたを戦力には数えられないよ」

「……うう」


 その点に限ってはフィセルにもいかんともしがたい。

 宿の主人は向かい合う二人を見て、呆気に取られたように目を見開く――そして、完全装備のアリアンナを見て状況を察した。


「まだ諦めてなかったのか、おまえは。今のおまえじゃフィセルさんについていくのは無理だ。昨日あれだけ言ったろうが」

「……言われてたのかい。やっぱり」


 というより、昨夜の時点でもそんなことを考えていたのが驚きだ。フィセルの突き放すような言葉が何ら功を奏していなかったとは。


「わ、わかりました。しばらくは修行に集中します……」

「初めっからそうしときな」


 フィセルは帽子の上からアリアンナの頭をくしゃくしゃと軽く撫でる。その力がフィセルに追いつく時が来るかははなはだ怪しいと言わざるをえないが。


「だから、その間はここを出るのは待ってもらえませんか?」

「だからもへったくれもないよね?」


 何をどうやったらそんな理屈に至るのか。


「……俺もおまえが探索者になることを止めまではしないが、それは分相応に地道にやっていく前提の上でだ。俺はそうした。だから今も生きて人の親なんぞやれているんだ。分かるか、アンナ」


 父親にそう言われ、アリアンナは大人しく頷く。それは功績を残したわけでもない元探索者の言うことだからこそ、かえって含蓄のある言葉のように思われた。


 ――と、その時だった。


「話は聞かせてもろうたぞ!」

「あーもう話がややこしくなるから来るんじゃないよ! 帰れ!」


 招かれざる客が勢い良く扉を開いて現れる。

 ユエラ・テウメッサ。そして従者のテオ。ユエラは自信満々の笑みを浮かべ、「私に良い考えがある」とでも言わんばかりにずかずかと宿に踏みこむ。

 突然の登場にその場の全員が面食らう中、ユエラはアリアンナを一瞥して宣言する。


「私がおまえに修行をつけてやろう。これで丸く収まるというものであろう?」

「…………へ?」


 呆けた声を上げ、自分を指差すアリアンナ。

 フィセルは頭痛が一段階酷くなったような気がした。


 ◆


「……どっから話を聞いてたんだい」


 豚肉の腸詰めにフォークを突き刺しながらフィセルは面倒臭そうに言う。

 宿を出る予定は有耶無耶のうちに先送り。結局三人――ユエラとフィセルとテオは酒場に席を並べ、朝食まで頂いているという始末だった。後から居場所を知らされたクラリスまでやってきて、実に姦しいことこの上ない。


「〈グラーム〉がおまえらの会話全部拾っておったからな。筒抜けだぞ」

「本当にいちいち油断ならないねえ……」


 ユエラは迷宮街の各所に〈グラーム〉を配置していた。大量の悪霊から生み出された守護霊のため、分割するのも容易というわけだ。ユエラと〈グラーム〉の感覚をリンクすれば、複数地点を同時に監視するのも難しいことではない。


「……いつからそんなことをしていたのです?」

「最近はどうも物騒だからな。あちこちに襲撃が相次いでおる。必要な措置よ」


 クラリスの質問にそう答えると、彼女の表情がにわかにこわばる。

 ユエラは構わず朗らかに笑ってみせた。


「ああ、おぬしら――公教会のことは疑っておらんよ。ちゃんと襲撃者の背後は洗っておるからな」

「……とても無関係とは言えません。ですが、そう仰って下さるならば恐縮です」


 クラリスはちいさく息を吐く。その様子は安堵というより、ユエラの調査能力に対する警戒を深めているようにも見えた。


「……それで、修行ってどういうことなんでしょう」


 と、所在無げにつぶやくのはアリアンナ。

 彼女は店の手伝いを免除され、四人に同席することを余儀なくされていた。


「全くの言葉通りです。ユエラ様はつい先日にもお一人、魔術師を促成なさっていますから。独学であなたが練習を積むより、ユエラ様に師事されたほうがはるかに効率的なことは火を見るより明らかでしょう」


 テオは淡々と説明するが、当のアリアンナは渋い顔だった。およそ一ヶ月前、ユエラに弄ばれた記憶がまだ尾を引いているのだろう。


「どうせ他に魔術師のあてもなかろう? この宿にそんな客が寄り付くとは思えんしなあ」


 ユエラの軽口に他の客から野次が飛ぶ――「う、うっせー!」「まぁその通りなんだけどな」「たまに見かけるぜ。葉っぱで飛んでるような奴だけどな」などなど。朝っぱらから酒精を流し込んでいる絵に描いたようなクズどもだが、ノリと気は良い連中だ。


「それは、その……ありがたい申し出なんですけども」


 アリアンナはじぃっとユエラを見る。

 彼女が他人に教示できるほどの魔術師とは信じがたいのだろう。返す返すもユエラはほんの十歳かそこらの少女にしか見えない。


「本当にその、このちっちゃい子が、すごい魔術師さんなんです……?」

「……その点は間違いないよ。ユエラ以上の魔術師っていうと、ちょっと私には心当たりがないね」


 フィセルが太鼓判を押すが、それに懸念を示したのはクラリスだった。


「……ユエラさんが、魔術を教えられるので?」

「うむ。なにか不安でもあるかえ?」

「正直に申し上げれば不安しかありませんが……」


 ユエラの怪物性を鑑みれば不安になるのも無理はない。果たして人間にとっても適切な鍛錬なのか、危険はないのか、そして何よりもの懸念は――効果がありすぎるのではないか。


「と、まあ、公教会から監視まで付く羽目になっておるわけだ。それくらいの魔術師ではあるぞ?」

「か、監視目的でいらっしゃったんですか?」


 アリアンナは呆気に取られたようにクラリスを見る。彼女がクラリスを目にするのはこれが初めてだった。


「……その通りです。ユエラさんの強大な力を鑑みれば保護観察を継続する方針が妥当です。無闇に刺激するような真似は言語道断。それが公教会の公式見解に他ならないのですが……」


 現実にはユエラの一党に手を出す輩が跡を絶たなかった。公教会による綱紀引き締めはうまく行っていないようだ。

 憂うようにクラリスはため息をつく。彼女も現状を良しとしていないのは確からしい。


「そして、ユエラさんがどなたかを教導するような行為も力の一端を用いるのに他なりません。ですから教示するというのをみすみす見過ごすようなことは――」

「なんだ、ならば一緒に教える側に回れば良かろう。おぬしも一端に魔術くらい使えるのであろう?」

「……確かに私は魔術師ではありますが、一般的な魔術師とは少々勝手が違います。それに公教会の司祭であるからには、技術的な指導ができる身分でもありませんよ」

「技術や力の扱い方は私が教える。ならばおぬしはこやつに魔術師としての心得、規律――そういうことを教えてやれば良い。大きな力も適切な担い手がいれば問題ではなかろうさ。のう、クラリス?」


 ――クラリス。その名を聞いた人々はにわかにどよめく。

 それは決して珍しい名前ではないが、公教会に所属する司祭のクラリスと来たら話は変わる。清らで美しい容貌も相まって、人々は彼女の正体に否応なく気づく。


「……クラリスって、あれか?」

「〈勇者〉連中のか」

「同じ名前の別人じゃねえのか?」

「いや、噂通りの別嬪だぜ」

「堪んねえな……」


 野卑な視線と噂話に晒され、クラリスの白い頬がにわかに赤らむ。彼女のような人物がこんなところに出入りすることは滅多に無いのだろう。酒や肉を口にしようとする気配もない。

 中でも激的な反応を示したのはアリアンナその人だった。彼女は一瞬目を輝かせ、驚愕に瞳をしばたかせる。


「クラリスさんって……あ、あのクラリスさん? ……そ、そんなすごい人がユエラさんの監視を……?」

「うむ。今ならこやつの指導も受けられるという寸法であるな。まぁいつまでもとはいかんだろうが。……私と〈勇者〉パーティの魔術師から教えてもらう機会など、これを逃したら他にあるものではないぞ?」


 ユエラはくつくつと笑いながらアリアンナに提言する。ここまで前提が揃えば、ユエラの力のほどはもはや疑うべくもない。見た目はどうあれ、迷宮街の有力者の一端――公教会が危険を認めるほどの実力者なのだから。

 アリアンナは一瞬目を伏せ、こくりと決断的に頷いた。


「……やります。お願いします。きっと、私一人でまともにやっても、フィセルさんの足元にも追いつけないだろうから。やらせてください。せめて、フィセルさんの足手まといにならない魔術師たれるように」

「よし、決まりだのう。動機がちょいと後ろ向きなのは気に入らんがな」


 ユエラがさも愉しげに微笑する。リーネもこき使ってやろうと思う。彼女も魔術の指導に関しては大いに役立つことだろう。

 その時、フィセルが口を挟んだ。


「……私についてくるのは決定事項なのかい?」

「この機を逃せばあなたに同道してくれる仲間候補は一人もいないかと思われます」


 えぐるように鋭いテオの横槍。思わず呻くフィセルだが、その点は認めざるを得なかった。

 そしてこの先、フィセルが単独で迷宮を踏破できるという保証は一切ない。


「おまえが施してくれる魔石も馬鹿にならぬでなあ。勝手に死んでもらっては困るのだ。そう考えれば、小娘ひとり一人前にするくらいは大した面倒でも無かろう?」

「……言いたいことは分かるよ。しかし、ね……」


 相応しい仲間がいないなら一から鍛え上げる。地道だがそれが一番早いこともある。

 フィセルはアリアンナに向き直り、問う。


「……本当にいいのかい。目標にするのが、わた」

「もちろんです」

「せめて最期まで聞いてから即答しなよ……」


 食い気味の返事だった。フィセルはもう何も言うまい、と掌で額を軽く押さえる。


 結局、フィセルが宿を出るという話は無しになった。アリアンナがユエラに師事するならば、彼女の身辺を守ることができる誰か――つまりフィセルがいたほうが都合がいい。

 アリアンナは父親の許可も得て、週三回から四回、ユエラの指導を受けることになった。ただし、ユエラが良いと言うまではフィセルに付いて行ってはならないものとする。


「……このことは、報告などはせずにおくつもりです」


 細かなことが決まったあと、クラリスは声をひそめて言う。

 これにはユエラもいささかならず驚いた。アリアンナは一介の町娘に過ぎないが、ユエラに師事するという事実は決して軽くない。


「どういうつもりかえ?」


 彼女のように敬虔な信徒が安易に公教会に背くとも思えない。

 クラリスはあくまで抑えた調子で言葉を続ける。


「……無辜の人々が襲撃を受けたという事実は決して軽視すべからざるものです。そしてその襲撃は、おそらく――いえ、まず間違いなく、私の報告によってもたらされた。……信じたくはありませんが、そう考えざるを得ません。現在の状況が改められない限り、軽はずみな報告は断じて致しかねるでしょう」


 ――我ながら、信じるに足る言葉とは思えませんが。

 クラリスはそう言い添えて言葉を切り、先に席を立つ。「外で待っています」とのこと。


「組織人というやつは実に難儀だのう……」

「全くです。ユエラ様個人にお仕えすればつまらないことに拘泥する必要はすっかり無くなりますのに」

「確かにあんたらに悩みは無さそうだね……」


 私も行ってくるかね、と。フィセルもすっかり朝食を空にして席を立つ。まとめた荷物はすでに部屋に戻した。今日も今日とて向かうは迷宮、昨日までと何ら変わることのない日常。


「……あ、いってらっしゃい、フィセルさん! いつか一緒に行きますからねっ!」

「……ああ。期待しないで待ってるよ」


 フィセルはぞんざいに手を振り、アリアンナを一瞬だけ振り返って外に出る。――その表情には、ほんのかすかに面映ゆそうな笑みが浮かんでいた。

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