57話 聖女様の両親
本日、二回目の投稿になります。
前話がまだの方はそちらからどうぞ!
部屋に戻ろうとした所で、庵は明澄の姿を見つけていた。
目の前にいる男性が明澄の父親だとするなら、彼女がそこにいるのも納得がいく。
とりあえず一悶着くらいはありそうだ、と一つ息を吐いた。
「お父さん、わざわざゴミ捨てに行かれなくても良かったのです、が……え?」
先を歩いていた男性に明澄はそう言いながら庵の自宅側に向かって駆け寄って来ると、途中でその後ろにいた庵に気付いたらしい。
まさかこんな時間に庵がいるとは思っていなかったのだろう。
明澄はびっくりしたのか口元を両手で押さえていた。
「明澄、どうかしたのかい?」
「い、いえ。なんでもありません」
「あ、そうだ。さっきこの後ろにいる彼にゴミ捨てを手伝って貰ったんだ。ご近所さんだろうか? それに制服も明澄が通っている学校のものだね。ご学友かな」
「は、はい。そうです。えっと……」
明澄がそう口にしたのだから、この男性は彼女の父親ということだ。そして、その口振りと振る舞いは確かに父親というべき言動をしている。
一度、庵の方へ視線をやった男性は優しい口調で、明澄に色々と尋ねていた。
「あの、朱鷺坂庵と言います。隣りに住んでる者で明澄さんの同級生です。いつも彼女にはお世話になってます」
「そうですか。こちらこそ娘と仲良くして頂いて、ありがとうございます。明澄の父の清澄です」
明澄と彼の間に入って行くのもどうかと思ったが、彼女が戸惑っているし、庵は清澄に丁寧に腰を折りながら挨拶をすることにした。
清澄も同じく丁寧に頭を下げ、庵に敬語で挨拶を返してくる。
意外なことに清澄はお手本のような好漢だった。
明澄が家族の話題になると不安げにしたり、悲しげで寂しそうな表情をするから、彼女の両親はもっと苛烈だったり厳しいものと思っていた。
けれども、今のところはこの娘にしてこの親ありという、典型であり好例としか見えなかった。
「明澄、私たちはそろそろ帰るからね。朱鷺坂くんに挨拶も兼ねて明海を呼んでくるよ。二人共、少し部屋の前で待っていてもらえるかい?」
「え、ええ。わかりました」
「はい」
清澄は庵と明澄をその場で待たせて部屋に戻っていくので、二人はとりあえず明澄の自宅の前に場所を移した。
「父がこんな朝からすみません」
「いやいいよ。にしても優しそうな親父さんだな」
「ええ。そうですね。本当に優しい父だと思います……」
彼女の父親、清澄は本当に好感の持てる人間なのだろう。明澄も庵の言葉に頷いているところを見るに、その印象は間違ってないようだ。
ただ、少しだけ彼女に元気がないのが気がかりだが。
そうやって、久しぶりに明澄と面と向かってやり取りをしていれば、清澄が部屋から出てきた。
「すみません、お待たせしました。朱鷺坂くん、彼女は私の妻です。明海、彼は明澄のご学友で隣りに住んでいるそうだ。君からも挨拶を頼むよ」
「ええ、分かったわ。あ、あの。紹介に預かりました、清澄の妻の明海です……」
部屋から出てきた清澄は、亜麻色の長い髪の女性を連れていた。
二人は旅行用のスーツケースを手にしているところを見るに、これから本当に帰るらしい。
彼がゴミを捨てていたのはそのついでだったのだろう。
「朱鷺坂庵です。明澄さんには色々とお世話になっています」
「そ、そうですか。こちらこそ、明澄がお世話になっていると思います」
清澄に促されて挨拶をした明海はおずおずといった様子だった。
どこか小動物を思わせる仕草や雰囲気がある。
スタイルや顔つきの良さは明澄とよく似ているが、性格はそれほど似ているとはいえない。
恐らく、性格や振る舞い言動は父親で、見た目などは母親に似たのだろう。
確かに二人は明澄の両親とみて間違いなさそうだった。
「さて、そろそろ飛行機もあるし行こうか。明海、準備は大丈夫かい?」
「そうね、問題はないかしら」
「では、明澄。私に言われなくても大丈夫だろうけど、元気に過ごすんだよ。それに私たちがいつまでもここにいたら、君も休まらないだろうし、もう帰るよ」
「はい。お気遣いありがとうございます」
一通り庵と挨拶を済ませると、二人は身なりを正しつつ清澄が明澄に一声かける。
夫婦の二人は普通のやり取りをしているように思えるが、傍から見ても明澄とは少し距離があるように感じた。
明澄は特に言うことがないのか短く返しているが、どことなく寂しそうだった。
「それと、朱鷺坂くん。これからも娘と仲良くしてもらえたら嬉しいかな。よろしくお願いします」
「えっと、わたしからもお願いします」
「あ、はい。もちろんです」
二人は庵にもそう声を掛けて、ぺこりとお辞儀していた。
わざわざ娘の友人にそこまで礼儀正しくする必要もないだろうが、どうしてか清澄と明海の口調は重かった。
庵にはそれが何を意味しているのかは分からないが、普通の様子に見えない。
おかしいな、とは思うものの結局理由は分からずじまいで、二人とそのまま別れることになった。
清澄と明海は名残惜しむ様子もなく、二人の元から去っていく。
「あ、お父さん、お母さん」
「なんだい、明澄」
「どうしたの?」
「……い、いえ! 昨日はお寿司、美味しかったです。ありがとうございました。それと、お気をつけて」
明澄は何か言いたそうにして二人を呼び止めると、彼らは娘の声に振り返る。
そうすると明澄は言葉を飲み込むようにしてから、別れの言葉を告げていた。
「うん。ありがとう」
「ええ、じゃあね……」
彼女の言葉を受け取った清澄はニコリとし、明海も微妙に柔らかな笑みを浮かべると、一言だけ口にしてまた歩きだし、今度こそ姿を消した。
その時、ふと庵が隣を見やると、そこにはなんとも言えない悲しげな表情を浮かべた明澄がいた。
「明澄」
「どうしましたか?」
「いや、なんて言うか……大丈夫か?」
「はい。問題ないですけど?」
「まぁ、ならいいんだけどな」
それがあまりにも痛々しく見えた庵はどう言っていいか分からないまま明澄を気遣うと、彼女は無理に笑うように返してきた。
言葉ではそうは言っても、全く大丈夫なようには見えない。
けれど、庵には踏み込む勇気がなかった。
明澄の家族関係に目に見えて問題があるなら、もっと掛けるべき言葉もあっただろう。
でも、三人にぎこちなさや違和感は覚えても庵が間に入っていくことではないように思える。
それが庵を躊躇わせた理由だった。
「庵くん、それでは戻りますね。朝からお疲れ様でした。また夕方、そちらに向かいますので」
「あ、うん。分かった。またな」
庵が躊躇っているうちに、明澄はまた作り笑いを浮かべてそう告げると、部屋へと戻っていく。
彼女は悩んでいるのか、困っているのか。
それとも辛いのかは分からないけれど、彼にはどうすることも出来ないまま、明澄を見送ることしかできなかった。
「くそ……情けねぇな俺は」
部屋に戻った庵はどかっとソファに座り込むと、そう自分を責めるように言葉を漏らして目を覆った。
明澄に何があったのだろう、と考え込むが結論は出ず、彼女に対して何もしてやれなかったことを悔やむ。
けれども、意外にも庵はその日の夜に、明澄があんな風にしていた理由を知ることになる。





