第151話 恩師と生徒たち
「またねー」
「彼氏さんのこと定期的に聞かせてよ」
「みおりんにもよろしく言っとくからね」
「末永くするんだよ」
荷物の受け取りが完了し彼女たちとは美術室の外の廊下でお別れする。台風は案外あっさりと去っていった。
踏み込み過ぎた会話もしなかったし、なんなら荷造りまで手伝ってくれたりと育ちの良さが窺えたくらいだ。
「みんな元気ねぇ。勉強会の息抜きにはなったかしら。二人とも相手してあげてくれてありがとうね」
「いえ、私も久しぶりで嬉しかったですから」
「明澄が楽しかったなら俺はそれで」
「一年と少し前なのに、ああやってあなたが囲まれていたのが昔に感じるわ」
かつての級友や後輩たちが明澄を囲う姿は春代を懐古させたのだろう。
朗らかに彼女は目を細めて言った。
「やっぱりこっちでもそうだったのか」
「じゃあそちらでもなのね。なら男の子に凄く人気になってたでしょうね」
「だから俺も気が抜けませんでしたよ」
「そうなの? 今日あったばかりだけど、朱鷺坂さんみたいな人が似合うと思ってたから心を掴むのは早かったと思うのだけれどねえ。水瀬さん、ちがう?」
「え、ええ。まぁ出会ってからは割と」
「ほー」
引き出し方が上手いのか心を許しているからか、春代は庵も深くは知らない話を引き出してくる。
明澄が明確に自分を好きになった時期を庵は焦らされるようにまだ秘密にされているのだ。
胸から静心を浮かせて、耳を寄せるように横目に伺う。
「だって、安心感が凄いんですもの。余裕があって、包容力が高めで合宿の時には良いなぁって思ってましたよ」
「割と早いな」
「今思えばかなり自分でも露骨でしたけどね。庵くんが鈍感過ぎてます」
初めて明かすからか明澄は、じんわりと薄めにも頬に赤み差して苦笑する。
庵ももうスキー合宿の時には良い人だなあと、感じていたのでお互いに感情の進み方はちょうど良いくらいだったのだろう。
となればどの当たりだ、と庵は「それでいつ頃好きになってくれたんだ?」なんて聞いてみたが「合宿の時ではないとだけ。まだ秘密です」とはぐらかされた。
春代もいるし、外で会話する内容でもない。残念に思いながら、庵は淡々と廊下を歩く。
「とても睦まじいのね。ここ、先生が学生の頃は交際も禁止されてたのよ。でもやっぱり解禁してよかったわ。みんな水瀬さんみたいになって欲しいもの」
「十年ちょっと前でしたっけ? 小牧先生が校則変更の嘆願書を理事会に届けられたと聞いています」
「それは凄いな」
「そんなことないのよ。だって恋愛は人の領分だもの。それに種としての謳歌を出来なければ滅びるのよ。遊びも学びも趣味も必要だわ」
「哲学的、いや研究者のような考え方ですね」
彼女を生徒想いだとひしひしと感じていたが、それは間違いないのだと確信する。
しかし、それが感情論からではなく理知的な思想故なのがまた面白かった。
明澄が感情を理屈的に語る事が多いのは彼女由来なのだろうか。思わず興味深く話に耳を傾けてしまう。
「庵くん。実は小牧先生の旦那さんは、有名な人類学、人文科学、恋愛学の研究者なんですよ。テレビにも出演されてたりしますしね」
「あーなるほど。確かにその道の人が言いそうな話だもんな」
「それと私が進路として志望した大学は先生の旦那さんの教え子の女性がいらして、そこのメディア学部が気になったからなんです」
「てっきり趣味繋がりかと思ってたけど、そういう事か」
本人の学力に合わせた志望だと思っていたから志望大学自体は疑問ではなかったが、メディア系の学科が第一希望なのは気になっていたのだ。
配信者だからではなくこの恩師の影響だったらしい。明澄は「小牧先生には相談に乗っていただいたんです」と彼女を見やれば春代も「そうなの。電話もらったのよねえ」と笑い合っていた。
「朱鷺坂さんも進路で聞きたい事があったらいつでも尋ねてちょうだいね。私、大学でも働いていたから、助けになれると思うわ」
「良いんですか」
「どこの学校の子でも教えられる事は教えてあげたいし、関わる全ての子供の幸せが私が教師をする理由だもの。学業は教え導くという博愛によって成り立つのよね。ま、ただのお節介焼きおばちゃんなのだけどね。特に生徒たちの。だからいくらでも頼って欲しいわ」
「ありがとうございます。何かあれば是非」
春代は慈愛を何倍にも濃縮した後に顔へ抽出してきたんじゃなかろうか、と思うほどの微笑みを庵への言葉に添える。
なんてよい教師であり、模範的な大人なのだろうと庵は感心より小さな感動すらしてしまった。よい大人は沢山見てきたが、これほどの人格者を庵は知らない。
話し方、言葉の選び方も品がある。
春代は「勿論よ。何より教え子の彼氏くんだし、つまり水瀬さんの将来にも関わるもの」と、明澄を赤くさせるが嫌らしい所は一つもなかった。
茶目っ気があるようで、つい頼りたくなってしまう人だ。
明澄より聞く、その家庭環境からよく彼女はねじ曲がらなかったなと思うが、こうした大人に出会ってきたからなのだろう。
なんなら曲がる方が難しいかもしれない。
「そうだわ。将来と言えば有馬さんの……。水瀬さんは聞いてるかしら」
入校許可証を返しに事務室の前にやって来たところで、春代は上向きながら思い出しをして、明澄にそう聞く。
「澪璃さんの進路でしょうか? 特には。まさか進路調査票とか出してなかったりしますか?」
「いえ、違うのよ。でも何も言ってないならカミングアウトは彼女のタイミングね。ごめんなさい、ここからは個人情報になるからこの話は忘れてちょうだい」
「はあ、そうですか……」
澪璃は時間にルーズなのでそれで困り事を抱えているのかと予測したようだが、互いの認識のベクトルが違ったらしい。
春代が何かを訝しげにしながらも慌てて、忘れてと言うから明澄も不審そうにするが、それ以上は触れられなかった。
そして、横から見ていた庵は人知れず一秒ほど顔色を変えては元に戻す。今年の三月の時点で澪璃が何かを隠している事を知っており、恐らくはそれに関連するのだろう。
本人の性格からして掴めないように、はぐらかしと思わせぶりと匂わせを交えてはいそうだから隠し事を特定出来ていないものの、最近二つほどそれらしい情報を手にしており、なんとなく予想は付いている。
また明かす約束をされているし彼女からの発信を待っていたが、近い内に時間作って連絡を取ったほうがいいかもしれないと、彼は心の内に留めた。
「最後に変な話をしてしまったわね」
「彼女が変なのはいつもですし、中等部の時もよくあったことですから」
「それもそうね。有馬さんの素敵な部分でもあるけど自由でマイペースなのよねえ」
「なので彼女が何か問題を起こしたら注意しますから、遠慮なく言ってくださいね。あと澪璃さんに関しては彼も気にかけているみたいですし?」
先日からの釘刺しだろうか。ちろっ、と明澄が鋭利な視線を送ってくる。
「あ、まあ。友達だしね」
「ふふふ。幸せ者ね。水瀬さんも前より可愛らしくなっちゃって」
ここでも独占欲を隠さない明澄に、あくまでも友達としてだとアピールをする。どうやらそれが人生の先輩にはとても和ましいようで、口元を抑えながら春代は二人を羨ましそうに笑っていた。
和やかに彼女の母校への訪問も終わりに差し掛かったが、庵たちが学園を出るまでの間にある話題がトレンドに流れていて、気付いた庵と明澄は急いで自宅に帰ることとなる。
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