第150話 聖女様の母校
茹だるなんて生易しい表現と思うほどの灼熱の猛暑日。先日、明澄のお願いを受けた庵は一緒に彼女の母校に赴いていた。
「水瀬さーん! いらっしゃい」
校門前に着くとインターフォンを鳴らす前に、校舎側からシニア世代くらいに見える女性がそう手を振りながら小走りで駆けてきた。
「お久しぶりです。小牧先生」
明澄は丁寧なお辞儀と共に笑顔を浮かべ、庵も小さく会釈した。
「ほんと久しぶりね。ちょっと楽しみにしちゃったのよ〜」
「わざわざ迎えに来られなくても、こちらから出向かいましたのに」
「いいえ〜。迎えに来たと言うよりは、顔が早く見たかったからね。教師ですもの。久々に会う可愛い教え子に早く会いたいと思って、気も足も逸んでしまうのよ」
この暑い中でも有り余るような元気が見て取れるが、目前の女性、小牧春代は上品にうふふと笑っていた。
子供や生徒が好きなんだろうと一目で分かる接し方だ。明澄も「またお会い出来て嬉しいです」と懐かしそうだった。
「それで、そちらの男の子がお連れの方ね?」
「はい」
春代は品定めするような不躾な視線は向けなかったが、表情の端に驚きを交えながら庵を見る。
「初めまして。朱鷺坂庵と申します。本日は水瀬さんの手伝いで同伴しました。また女学校にも拘らず、部外の男子である私を招く許可をいただきましたこと感謝いたします」
先の明澄を真似るように綺麗に腰を折り、とにかく失礼がないように挨拶する。
明澄が一番世話になった恩師と言うので、彼氏として絶対に悪印象を持たれたくなかったのだ。
「あら。凄く丁寧! もう、そんなに畏まらなくてもいいのよ。私は小牧春代です。今美術教師がオフでね。代わりに私が受け渡しするのだけれど、数が多いから手伝っていただけるのは助かるわ」
一方の春代はちょっと仰々しくなった庵に意表を突かれつつ笑いかけてくる。
私立の有名女子校とあって厳格な教師をイメージしていたが、どうやら庵の通う学校と変わりないらしい。春代は門をリモコンで操作しながら「さ、暑いでしょう。涼みに行きましょ」と招いてくれた。
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「や〜、水瀬さんが男性を連れて来るって聞いた時はびっくりしちゃったわ」
「ふふ。私も卒業した時にはまさかこうなるとは思ってませんでした」
「礼儀正しいしこの夏場にこんな所へ出向いて手伝ってくれるのだからとっても優しい人なのねぇ」
「はい。誰よりも信頼できる人です」
美術室に辿り着くと、予め準備をしてくれていたのか、彼女はパッパッと返却物を準備室から出してくれる。
庵が受け取っては黒板前の工作台に並べたり紙袋に詰めていて、その姿を彼女は関心そうに明澄と語っていた。
すぐ傍で褒められるのはむず痒いが、良いカッコが出来ているなら上々だ、と庵は汗を拭う。
ほぼそれらしき会話になってはいるが、彼氏か? とか直接尋ねてこないのも配慮があった。明澄から彼女への敬意を節々に感じられるのはそういう所なのだろう。
ただ、その配慮もピシャリと開いた引き戸から飛んできた姦しいひと声に上書きされる。
「あー見つけた! やっぱり水瀬さんがいるー!」
ジャンパースカートと夏服のブラウスの制服が眩しい同年代の女子生徒が嬉々とした声を上げる。
続いて廊下の向こう側に手招きをすると、ぞろぞろと集まってくるのだから庵たちは眉間に皺を寄せた。
「わ。男子!」
「誰?」
「新しいせんせとかじゃないよね? 若すぎるし」
「イケメンじゃ、囲え囲え!」
瞬く間に庵は居心地の悪い空間に置かれた。
男性教員もいるし、近隣には共学の高校もあり交流があるようなので箱入りでもないだろうに、物珍しそうに近付かれる。
そこを素早く「はいはい。騒がないの。品がありませんよ」と春代が間に入ってきてくれるのは助かった。
またその隣でよそ行きの聖女様然としたオーラを放つ明澄が、嫌そうな顔をサブリミナルに繰り出したのを庵は見逃さなかった。
「この方は朱鷺坂さん。水瀬さんの荷物の引き取りを手伝ってくれているのよ。邪魔しないであげて」
「つまり彼氏か!」
「あの水瀬さんが!?」
「水瀬お姉様が男性とだなんて……素敵です!」
「水瀬さんが彼氏連れてきたー!」
「共学羨ましや」
色恋の匂いを嗅ぎ付けると声のトーンが上がるのはどこも同じらしい。
ぐぐっと前のめりに迫ってくる女子生徒たちの姿から、庵は一ヶ月半前を思い出した。
「あすちゃん、この人好きぴ?」
ハーフツインを途中でくるりんと巻きそこをリボンで結んだ地雷系のような髪型の女子生徒が、親しげに明澄へ尋ねる。
そうすると耳目は一斉に彼女へ集まり皆返答を待つ。明澄が「はい」とはにかみながら頷くと、久しぶりの黄色い声が美術室に響いた。
「まじかー! 先越されたーっ!」
「え。てか顔、かっこよくない?」
「一日レンタルさせて?」
「これ、連絡先。別れたら連絡してね」
明澄へにじり寄った後は庵が囲まれた。
ちゃっかり紙切れを渡してこようとする少女もいたりで珍生物を見る扱いからアイドルに昇格したかのようだ。
「あ、はは。いや、」
どうしたらいいものかと苦笑いを浮かべるしかないのだが、彼のカノジョが対応した。
いや、不機嫌さと嫉妬を隠す気もない、その雰囲気に彼女たちが飲まれただけか。
明澄はにこにことしている割に、腕を組んであからさまな怒気を含み庵の前に立つ。
「全く、厚かましいものです。人の彼氏に群がるとは、皆さんを友人と理解していましたが認識を改めねばなりませんね。重罪人ですよ、貴女たちは」
冷たくて鋭さを宿した彼女の声はいつぶりか。本気と理解した彼女たちは一様に一歩下がる。
「ア、スイマセン。へ、へへ、やだなぁ、あすみん」
「定番の絡みじゃん? ね、その手止めてね? 命を刈り取る形してるよね? 手刀作らないで……」
「やばい、あの聖人みたいだった水瀬さんが女の顔してる」
怯える少女たちに明澄は「はぁ……」とため息を零したのち溜飲を下げるのだが、今度は庵に優しく暗黒の微笑を向けてくる。
やばいと、思った時には時すでに遅し。
「庵くん。貴方もきちんと愛しの彼女がいるので、と言わなければなりませんよ。ね?」
「全くその通りで」
無条件に首を縦に振らねば、明日はない。
全肯定にて、その場は決着させた。選択肢はいつも一つである。
「ですから、皆さん。この通り私の恋人に手を出そうとしても無駄ですからね」
ねっ、と駄目押しするように明澄が恩師の前でも躊躇いなく庵の腕に抱き付く。
そこまでくれば彼女たちも分を弁え、今度は「可愛いな……」と一人の女の子をしている明澄を愛で始めていた。
であれば明澄の怒りもとうに消え、頬をぷくっと膨らませるだけに留まる。
「明澄、流石に見知らぬ方々の前は恥ずかしい……」
「女の子は狼です。狙われたら最後なのですよ」
「いや、それ逆では?」
「私がそうでしたからね。狙いを定めた庵くんを仕留めましたので」
「俺、やっぱり襲われるんだな……帰ったら優しくしてくれよ」
「なっ、ちが、そういう意味では……!」
見上げてきた明澄が真剣な眼差しで男側のセリフで諭してくるので、庵は何時しかの話題を持ち出してしおらしくすると、明澄はぼっと顔から湯気を出した。
ただ、湯立つのは夏の外気だけでなく、少女たちもだった。
「バカップルだ。初めて見たー」
「は? キレそう……当て付けか?」
「わー、うん、なんて言うかもう、うん。ラブじゃん」
「はい解散解散」
「あすちゃんはあっち側に行っちゃったんだな」
「見せつけられたのならこちらも色々聞かねば無作法というもの」
「出会い方の伝授求む、ですよ。先輩!」
口々に好き勝手言うが、見せ付けた二人が悪い。
様式美かとツッコミたくなるくらいにあれやこれを根を掘り葉を掘り詰める気満々な彼女たちに庵は後ずさる。
その様子は大人の余裕を持つ春代に微笑ましそうに見守られた。





