第146話 師のはなし
「よし。その子の件は分かった。庵が太鼓判を押すならウチに欲しいな。自分で働いて稼いでプライベートを充実させたい、ってのは気に入った。最近の若い子は立派だよなァ」
胡桃のバイトについて改めて口頭で庵から説明を受けた吉斗はパチン、とニコニコしながら手を叩く。
それから、瞑想でもするように目を閉じて腕を組むとうんうんと頷いて、一人感心していた。
素行、性格、責任感、面倒見。胡桃のどれを取っても文句は出ないだろう。庵に強い当たりをする事もあるが、二人の関係値あってである。
一学期の期末テストでは、明澄が3Dライブの準備に追われていたからとはいえ彼女を抜いてトップを取っているし、その勤勉さと優秀さは折り紙付きだ。
「それくらい昔から居るには居たろ。師匠も十八から働いてるし」
「そんなにお若い時からここで?」
「ここではないね。別のところだよ。憧れだけで飛び込んだから、大変な目に遭ったけどなァ。あそこに勤めてなきゃ、妻とも結婚出来てないから人生何事も善し悪しだが」
「奥様とは職場恋愛だったんですね!」
「明澄、違うよ。辞めた直後でだよ。色々苦労したところを支えてもらったのがこの師匠。で、その後に俺と出会ってるんだ」
「庵くんって、確か師匠とは十年近い付き合いだ、って言ってませんでしたっけ? と言うことは奥様ともそんなに長いんですね」
吉斗の恋愛話が気になるのか、明澄はやや強めに食いつく。
レアな光景に思えたが、胡桃曰く最近の明澄は女子の集まりなどで意外にも他人の恋バナとかに興味を示すらしい。
二年になったくらいから配信でも恋バナとか恋愛相談とかは積極的になったような、と庵は振り返る。
かつてにくらべれば、明澄は普通の女子高生っぽくなってきている気がした。
「そうなんだよな。だから俺ももっと結婚が早いと思ってた。結果、なんかウダウダしてると思ったら、知らん間に結婚してた訳だが」
「そう言ってくれるな。俺も彼女もな、計画性はあったさ」
どこか自分にも刺さるのか、庵は少し胸を重くしながらもそう言い切った。
吉斗が弁明を始める中、僅かな機微だったが明澄はそれを見逃していない。しらっーとした目で見られていないだけマシだが、微量の視線は感じていた。
「仕事はクソほど忙しかったし、あっちもキャリア形成の大事な時期だった。当時、家庭を持って家事とか時間とか作るのは無理だと悟った訳だな」
「それは大いに理解出来るよ」
「庵もこの間、新しい事が出来そうだって報告してきたろ。今日会った水瀬さんに聞かせるのは忍びないが、ちゃんと考えて納得出来て立場に合った判断をするべきなんだ。そして一番幸せになれるタイミングを逃しちゃいけない」
「苦労した師匠が言うと重みが違うな」
吉斗の返答は思ったよりも真面目というか、リアリティがあって最もらしい理由だった。
大人としての責任を感じたし、何より庵に強くのしかかった。彼も庵と明澄が付き合った経緯を聞いたから、そのつもりで言ったのだろう。
明澄との関係も押すなり押されるなりすれば雰囲気に流されるのは分かっていただけに、口端がぴっと締まった。
庵が横を見ることはなかったが隣で明澄も真剣に聞いていて、その結果が何をもたらすのかは、ある八月の某日に委ねられる、少し先のこと。
「人生の先達ってだけさ……っと、すまん。少し席を外す」
二人して真面目に聞き入っていたが、ふとドアがノックされ半分開いたところで呼び出された吉斗は、そう言い残して席を立った。
部屋には真剣さの残滓が余韻として残る。
「先生はとても立派な方なんですね」
柔和に笑みを浮かべた明澄が隣の庵を見て言う。
「全くだよ。だから本人に理解してもらいたいんだけどな。ま、仕方ない。師匠は本当に苦労したから」
「そんなにですか?」
軽いように見えて人となりは間違いなく庵が尊敬するもので、それは彼の経験に基づくもの。
庵以上に苦労したと言っても過言にはならない。
吉斗の身にはある災難が起きていて公にもなっているが、庵は正しく知って欲しくて少し掻い摘み明かす事にした。
「あの人さ。前に勤めてた会社に入社して一年くらいで盗作騒動に巻き込まれたんだよ」
「え、全然知りませんでした」
「冤罪だったし、風化してるからな。調べたら出てくるけど、メインのキャラデザやってた人が盗作したのを押し付けられたんだからな」
「それは酷すぎませんか……」
想像していた以上だったのだろう。サブカル業界にいる身として彼女は、盗作や許可のないトレースがどれだけのバッシングを受けるかを知っている。
明澄は口元を手で覆い、どよっとしたものを眼に映していた。
「エグいだろ。その人さ、キービジュを描き上げた後、辞表と自分の名前は載せないでって書き置きを残して消えてな。その時雑誌での新作発表にキービジュ含めて、師匠とかが手掛けたのも載ったんだけど、本人の名前が出ない代わりに師匠とか他数人の名前が表に出たんだよ。で、キービジュが盗作って分かって、大炎上って訳だ」
絶句。質問や口を挟むのを躊躇ったのかは分からないが、明澄はより重く口を噤むようだった。
以前、庵が過去を打ち明けた時のように明確な悲嘆を表情に宿すのが分かって、このまま話すのが心苦しくなるが、一呼吸置いて続ける。
「しかも会社の対応が悪かった。事実確認中って言って殆ど回答しなかった上に、本人に問い質したのを発表した時には話題も下火になってて、冤罪が周知されるのも遅れた所為でボロクソに言われた挙句、名誉が回復したのは数年後。はっきり言ってクソだよ、あれは」
冷たく、そして呆れを存分に含んで吐いて捨てた庵がその事件の顛末でとにかく嫌悪した事が一つ存在する。
事件解決に一番大きく貢献した人物は、吉斗が辞めた会社の役員の娘なのだが、その娘が吉斗の弟子を名乗る一人目で庵の姉弟子だったりする。
庵の姉弟子は当時高校生ながら逃げ出したイラストレーターを発見、捕縛、尋問までしたというが、それまで会社側は担当者が捜索に殆ど手をつけていなかったと言うのが明るみになっており、とてつもなく酷い状況だったのが伺えるだろう。
彼女がいなければ、解決しなかった可能性があるとまで評されただけに、庵は心の底から被害に遭った吉斗らに同情していた。
「そういう訳で、あの人が師匠呼びを嫌がる理由の一つがそれ。未だに陰謀論みたいな理屈からなんか言うやついるし、迷惑かけたくないんだろうな」
「そう、なんですね……それで、会社を辞めた後に庵くんに会ったんですか」
「俺の親父の事、先輩って言ってただろ。あれ、学生時代の同人サークル内での先輩後輩だからなんだよ。師匠は仕事辞めた後、絵の仕事から離れて知り合いがいた自衛隊に行ったんだけど、ずっと元気がなくてさ。連絡取ってた親父が見かねてこの会社を紹介したって流れで、それから家に招くようになってな」
「そういう経緯だったんですね。幼い内にプロと出会える環境と言うのが想像つかなかったので、それなら納得です」
「俺は既に絵を描き始めててさ、家に来た師匠が相手してくれたんだよ。で、目の前で描いてくれたイラストがめっちゃ凄くて、そっからは頼み込んで週一でやり取りしてた」
当時、庵の父親である東は親族以外を自宅に招く事がなかったため、庵は幼いながらほぼ初めての見知らぬ来客に興味津々だった。
庵は他者を避けるようになるまでは意外と活発だったこともあり、吉斗がイラストレーターであると知ると、絵描きになりたかった庵から話しかけた。
結果、幼い庵から尊敬の眼差しを向けられた吉斗はその純粋差に当てられ明るさを取り戻し、それが彼の為になると思ったのか、東は度々彼を自宅に呼んでは庵と遊ばせていたのだ。
「そんなこんなで今に至る、ってやつだな。師匠であり恩人で凄ぇ人なんだよ」
「庵くんの姉弟子さんも有名な方なんでしょう? 既にプロ二人も育ててるなんて本当に凄いと思います」
「間違いなく教育者向きのタイプだよ。だから絵の仕事減らして、部下持って会社員やってる方が幸せなんだろうな。でも俺としては……」
話している途中、再びドアノブが回る音がして吉斗が戻ってくる。
何かを言いかけた庵だが、彼を横目にしながらそれ以上は口を閉じた。
「仕事が立て込んでててな。悪い、何の話してた?」
「ああ、師匠がコ〇ケを出禁になりかけた話をな」
「おいやめろよあの話はするなって、あれほど……!」
「嘘だよ」
「水瀬さん。ホントか?」
「庵くんが先生の事を色々褒めてた話はしてましたね」
「なんだ、お前それならそうと言えよォ。なぁ?」
「あーうるせぇ。こうなるから褒めたくねぇんだよ」
庵が恥ずかしがったのがバレたのだろう。
明澄は告げ口をして笑えば、鼻を伸ばした吉斗が肘で続くようにだる絡みを始め、庵は心底嫌そうな顔をしながら肩で肘を受けていた。
庵が他人とじゃれる様子は、奏太以外ではほぼほぼ見せない。
先程、庵は師匠である吉斗に似たのだろうと微笑ましく思ったが、素に戻るのもきっと彼と自分の前くらいなんだ、と彼女の胸に寂しく過ぎる。
それから密かに明澄は下がる眦と上がる口角にある思いを秘めた。
おまけにつづく。
お久しぶりです。9月にコロナ(多分)になってから、1ヶ月くらい体調が戻らなかったのと、色々忙しくて更新放ったらかしでした。
本当にすみません。
てなわけでまた更新再開します。週1目指しますが、11月にやりたかった番外編が溜まってるので徐々にそちらも解放していきますね。いい夫婦の日とか、ポ〇キー&プリ〇ツの日とかのです。
それでは、おまけは明日更新です!





