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第141話 聖女様からのご褒美とご要望

「はい。庵くん、ソファに横になって下さい」


 夕食後、二人で食器を片付け終わるとダウンフロアリビングの階段前で明澄に「ささ、あちらに」と背中をゆっくり押されて促された。


 楽しそうな声をしていて、待ちわびたという雰囲気を感じる。

 ソファは家主の知らぬ間にベッドとして使えるように背もたれが倒されていて、これから何かされる準備は整っていた。


「え、なに? ご飯食べて一時間経ってないぞ。牛になっちまう」

「大丈夫。牛さんにはなりませんよ。精々、逆流性食道炎になるだけです」

「いやそっちのが怖ぇよ!? 俺、何か恨まれる事した?」

「いえいえ、労られる事はしてましたよ」

「明澄さん。わたくし、はてなでございます」

「ほら、例のご褒美の件です」


 そう、にこりとした明澄と凡そ無駄と思われる他愛ない会話を挟んで、庵はようやく腑に落ちる。

 運動の疲れもあって食欲に合わせた軽い食事にしたから苦しくもなくベッドに横になった。

 きっと明澄が何か施してくれるのだろう。


 嬉しそうにしていたのは、庵に奉仕出来るからだろうか。

 尽くすタイプといって差し支えない性格だし、心待ちにしていたのかもしれない。


「うつ伏せになって下さいね」

「何するんだ?」

「お疲れでしょうし、マッサージでもと」


 明澄が両手の平をぱっと、こちらに見せる。

 ご褒美とは本日酷使した筋肉へのマッサージだったらしい。それは確かにご褒美だ。


 昼頃は夕食に好きなものを作ってくれたりとか、控えめにいつものスキンシップでもしてくれるのかと思っていたが、想像を超えてきた。


「ああ、それは良いや。じゃあ、よろしくしても?」

「勿論、そのつもりですからね」


 では足から、と明澄は笑みを見せると視界を下がっていく。

 数秒もしない内に、その細い指でふくらはぎを優しく指圧され始めると直ぐに気持ち良さが登ってきた。


(結構、上手いな……)


 マッサージは結構コツがいるので、素人はやり過ぎたりして痛い事もあるのだが、明澄のはほど良さがある。


 恐らく事前に動画やサイトで勉強したのだろう。

 整体やスパ施設で受けた事もあり、その時の快感が蘇ってくる。


 足が終われば臀部から腰と上に上がるつれ次第に眠くなるほど、心地良さが全身を満たしていく気分だった。


「あの。す、少し、跨っても宜しいですか」

「……ああ、どうぞ」


 プロなら跨るなんて事はしないだろうが、彼女のやり易いようにやってくれればいい。

 他人を跨ぐ失礼からか遠慮がちに尋ねてきた明澄に、快楽の中ふんわりとした意識で腕に埋めていた顎を僅かに縦に動かして許した。


 庵の臀部と腿の中間ぐらいに明澄が、「重くないですか」と言いながら乗っかってくる。

 昼間は肉がなんて言っていたがやっぱり軽い。


 特に重さなんて気にならないし、家に居がちとはいえそんな柔ではないから問題にならない。

 だから問題はそこではなかった。何も思考せず跨ることを許可したが、思ったより困った感触だったのだ。


 触覚として鋭敏な箇所ではないのだが、明澄の臀部の接触ははっきりと分かる。

 恋人として互いの身体に触れる事はあるし、接触の一つ二つで狼狽えないようにはなってきたが話が違う。


「上は凝ってますね」

「……デスクワーク中心だしな」


 絵描き兼配信者なので、肩や背中の張りや凝りは日頃から感じるが、今日は多分違う。


 明澄は少しばかり息を上げて「ふっ、ふっ」と真剣にやってくれているところ悪いが、筋肉が強ばっているだけだ。


 思春期の男子として味わった記憶のないものには反応するに決まっている。

 明澄が躊躇いがちだったのも恥ずかしさがあったからなのだ。

 今更何か言おうものなら居たたまれない空気を作ると思って庵は黙りこくった。


        # # #


「お疲れ様でした。もう起き上がっていいですよ」

「うん、ありがとう。凄くリラックス出来た」


 上から退いた明澄に向けば、やり切った様子でぺたんと座り込んでいる。


 凝り固まった肩や足腰は疲労から解放されて、庵の身体は軽くなったよう。初めの動揺もいつしか緩慢でなだらかなひと時に流されていた。


 今度は庵が約束通りご褒美を用意する番だ。

 庵は「さて」と、ぐいっと背伸びした。


「そんじゃ、次は。勿論俺も約束のご褒美、用意してます」

「わー、なんでしょうか。期待してますよ」

「と言いたいけど、寧ろ何かして欲しい事ある? 一応用意はしてるけど、ご要望があれば出来る範囲で聞くけど?」

「ふぅむ。そう来ましたか」


 庵も庵でプランは立ててあるが、明澄が満足するのが一番だ。

 相手のニーズに応えるには直接頼まれた方が早い。


 なければ実行に移る予定だったが「悩みますね」と、瞼を閉じた明澄が腕を組んで首を傾げているので、少し待つ。


 うんうん唸るほどではなかったものの、しっかり一分ほど悩んだ末に彼女は開いた瞳を一、二回彷徨わせてから躊躇う様子で告げた。


「えっ、と……そ、添い寝して、くれ、ませんか?」


 言ってすぐに目を逸らす。


 色々あって数回夜に共寝した覚えがあるし、昼間に居眠りした思い出もある。

 とはいえ、どちらも望んでというのはなかったから、庵は少し驚いて返事に戸惑った。


 特段変な事ではないのは間違いないだろう。

 付き合う前ならともかく、恋人にもなれば同衾くらい一般論としても普通である。

 そもそも庵も明澄も歩みが遅い。お互いの領域を許すものがいつかあるのだと理解しているが、いつなんて決めてもないしまだ手元にあると思っていなかった。


 ただ普通に寝るだけだろうし、そうだとしても心は落ち着かない。


 それは庵からの返事を待つ明澄も同じで、そわそわと胸に手をやりながらじっと見上げていた。


「……、まぁ明澄が良いのなら、全然構わないけど……」

「だからそう言ってます、ので……ああ、でも別に朝までという訳ではなくてですね? 夕食前に配信も終わりましたし、寝る前に勉強する予定だったので仮眠としてちょっと庵くんとごろんってしてみたいな…、的な」


 てっきり空が明るくなるまでと勘違いしていた。

 冷静なれば分かり切っているが、お泊まりなら準備だって必要だ。


 当然普段から手入れには余念はないものの、入念にしたい箇所は沢山あるだろうし、準備は手入れだけじゃない。

 何より部屋用の緩めのTシャツと短パン、サイハイソックス姿と、恋人と寝るにはラフな状態にも程があった。


 だから庵にも分かるよう饒舌というかやたら言い訳っぽい口調で、加えてやましさは無いと表明したさが見て取れるくらい明澄は手遊びしながらつらつらと話す。


 多少、明澄が欲を持ち得ていたって庵は嫌がったりしないし拒否もしないのは分かっているだろうに、添い寝でも遠慮してしまうこの純朴な可愛らしさが愛おしくて庵は目を細めた。


「分かった、大丈夫。なんなら俺の方が得だよ。それは。で、仮眠は二時間くらいでいい?」

「は、はいっ。それで、いいです。良かった、庵くんを困らせてないか心配で」

「ちょっと困ったのは困ったけど、こんなのなんともない話だろ」

「そ、そうですけど、やっぱり勇気いるじゃないですか」

「そこはあんまり踏み込まない俺も悪い部分はあるか。いやそれは今日はいいな」


 おいで、と先に横になった庵はブランケットを一人分空けて招く。

 そうすれば、おずおずと明澄は「し、失礼します」と、その空間に入ってくる。


 正面を向き合った彼女にブランケットをかけると数瞬迷ってから明澄の腰に手をやった。

おはろばんわ。乃中です。

なんかまたまた長くなったので、短めですがもう少しだけご褒美回は続きます。

こんなことしてたら夏休み編が始まる前に、夏が終わっちゃうだけど…、ほんとあせあせです

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