対峙
「……っ、刹亜!?」
飛びかけた意識をぎりぎりで引き戻し、宗吾は刹亜の名を呼んだ。
何が起きたのかはわからない。ただ、今いる場所を考えれば、原因は一つしか考えられなかった。
――真珠蜘蛛から攻撃を受けた。いや、攻撃をしたのは……
這いつくばったまま顔を上げ、周囲を見回す。
ホンファに掴まっていた特務隊はもれなく全員倒れている。それだけでなく、こちらに迫ってきていた巨大蜘蛛も皆ピクリとも動かず裏返っていた。
――無差別広範囲攻撃。こんなことができるのは、やっぱり。
軋む体を必死に動かし、何とか刹亜の元に移動しようと試みる。
不幸中の幸いか、ホンファも先の衝撃で完全に気絶したらしく、動く気配はない。今なら刹亜が変身しても、誰かにばれる恐れはない。
体を這いずらせ、ようやく刹亜に手が届く距離まで移動する。しかし、体に触れるより早く、刹亜の体が蹴り飛ばされた。
「あははははははは! 何が勘違いだ! 何が選ばれなかっただ! それはどっちもお前の方だろ! こうして最後に立ってるのは俺じゃないっすか!」
伏見が、気が狂ったように刹亜を蹴りながら哄笑する。
それを見ていた宗吾の中で何かが弾け、痛みを押し殺し立ち上がった。
「伏見。刹亜を蹴るのをやめろ」
「あん? ああ石神さん。あんたも起きてたんすね」
ケタケタ笑いながら伏見が振り返る。
正面から見ると、いよいよ正気を失っていることが伝わってくる。それだけでなく、首元に糸のような何かが張り付いていた。
宗吾の声が届いたのか、単に蹴るのに飽きたのか。伏見は蹴るのをやめ、刹亜の頭に足を置いた。
「あれを耐えられるなんて、石神さんも俺と同じ選ばれた側の人間だったんすね」
「僕も、君も、選ばれてなんかないよ」
「何言ってんすか。選ばれたんすよ俺らは。真珠蜘蛛様に。だから生きてるんす」
何が面白いのか、伏見はまた哄笑を始める。
宗吾は目を細めじっと彼の顔を見つめた。それから周囲を軽く見まわし、また伏見に視線を戻した。ただし、見ているのは伏見でなく、彼を操っている黒幕だったが。
「何て呼べばいいんでしょうね。普通に真珠蜘蛛でいいのか、それとも真珠さん? 貝さん? まあ何でもいいですけど。本当の大怪獣『真珠蜘蛛』は、この貝殻の方だったんですね」
「……」
伏見の笑い声が消え、首が三百六十度回転する。
明らかに人の動きではない。人なら確実に死んでいる、化け物の動き。
伏見だった何かは、口から泡と、彼の声ではない、甲高い声を発した。
『よく分かったナ。もともと隠していたつもりもなかったガ』
「……本当に日本語を話せるんですね。それに、こうして対話に応じてくれるとは思ってませんでした」
『下等な人間にできることガ、我にできないはずがないだろウ』
「下等……」
宗吾は思わず視線をリュウに向けた。
怪獣が人をどう考えているのか。人類への仕打ちから餌や玩具として見られているのは理解していたが、実際に言語化されたのは初めてのこと。
もしこれが怪獣全ての共通認識であるのなら、やはりリュウは――
『おっト、こいつは没収ダ』
マリオネットのような不自然な動きと角度で、伏見の手が刹亜の首元に伸びる。首から白いマフラーを無理やり引き剥がすと、上空に投げつけた。白マフラーは張り巡らされた蜘蛛の糸に引っかかる。
折れ曲がった首で、伏見の顔がにんまりと三日月形の笑みを浮かべた。
『全て聞いていたゾ。あのマフラーが切り札なのだろウ? 我と同じ大怪獣を倒せるほどのナ』
「……大怪獣という呼称をご存じなんですね」
『知っているサ。お前たち人間がよく話聞かせてくれたからナ』
「知識はあくまで人間ベース、か」
宗吾は顎に手を当て、ぼそりと呟く。
緊張している様子はあるものの、宗吾の態度に怯えは見えない。それどころか、冷静にこの状況を分析しているかのよう。
伏見だったモノの口から、苛立たしげな声が漏れた。
『気に食わないナ。仲間は全滅シ、頼みの切り札も手の届かないところにあル。今お前がすべきことハ、無様に泣きながら這いつくばり我に命乞いすることだろウ』
「あなたは人や生物を殺すのが好きなだけでなく、そういった加虐心も持ち合わせているんですね。多くの怪獣は甚振ることもせず殺し、食べてばかりなのに。あなたが特別なんでしょうか?」
『そんなことを知って何になル。お前は今ここで死ぬというのニ』
「ええ。どうせ死ぬんですから慌てたって仕方ないじゃないですか。だから最後に気になったことを解消しようと思っただけです」
『……死人の趣味に付き合う理由は何もないナ。まあ我は特別だとは言っておこウ』
伏見の体が関節を無視した挙動で、落ちている拳銃を拾う。そして銃口を宗吾に向けた。
『死ネ』
パンと乾いた音と共に銃弾が放たれる。
まっすぐに宗吾の眉間へと飛ぶ銃弾。しかし銃弾は、直撃する寸前に動きを止めた――否、宗吾の指が銃弾を掴み、止めていた。
『なんダ、それハ……』
僅かに、震えを伴った声。なぜ自身の声が震えているのか、真珠蜘蛛は気づいていない。しかし、理由は驚くほど単純なことだった。
「人間はあなた方怪獣よりも愚かかもしれません。でも、全ての個体が馬鹿なわけじゃない」
掴んでいた弾丸を、指の力だけで紙きれのように平らに押し潰す。
それと同時に、宗吾の全身を白銀の鱗が覆い始めた。
「季節に関係なく、場所も問わず着ている白マフラー。そんなの誰が見ても怪しいし、何か理由があるんじゃないかと考えます。だから当然、フェイクなんですよ。本当の切り札は、そんなところにないんです」
『ナ、なにを言っテ……』
「龍鱗鎧装」
ポツリと告げられた言葉が言い終わるころには、全身が光り輝く白銀の鱗に覆われ、顔も龍を彷彿とさせる異形に変わっていた。
『…………!!!』
えも言われぬ悪寒が走る。
伏見に繋げていた器官を切り離し、真珠蜘蛛は再び衝撃波の準備を始めた。




