夏の手紙
*この物語は作者が趣味で、適当に書いてるメモと朝一番の(強制)ラジオ体操中におもいついた内容と妄想を書き溜めたモノをス〇ゼロを飲みながら書いた”短編作品”です。支離滅裂・シナリオ崩壊等の描写がございますが、それでも見たい方は… 好きな飲み物(アルコール的な物は大歓迎)とすきな煙(火をつけるものならナカーマ)を嗅ぎながら…生暖かい目で見てください(小並感)
なお…極力R指定的な作品は掲載しないようにするのでぇ~よろしくお願いします(小並感)
書斎の引き出しを整理していたら、古びた日記帳が出てきた。
表紙の角は擦れて丸まり、ページの隅にはコーヒーの染み。
けれど、中の文字はあの頃のまま、丁寧に、少し不器用に残っていた。
日付は、二〇〇二年の六月。
ページをめくるたびに、風鈴の音のように、あの夏の匂いが胸の奥で揺れた。
2002/06/17(月)
息子にゲームをねだられた。
「社会に出て役に立たないものなんて、買う意味がない」と言ったら、
「役に立たないものは、世の中に必要ないの?」と返された。
そのひと言に、なにも言い返せなかった。
当時のわたしは、四十歳になったばかり
課長職の責任に押し潰されそうな日々を送っていた。
効率、成果、数字、未来性──目に見える“価値”だけを信じていた気がする。
だが、息子の言葉が、どこか胸の奥に引っかかったままだった。
2002/06/26(水)
偶然、小学校時代の同級生と再会した。
話すうちに、気づけば自分のことを“ボク”と呼んでいた。
少年時代の、あの夏の空気が、ふいに胸に戻ってきた。
その日からだった。
“夏休みのゲーム”のことを、夜な夜な調べ始めたのは。
点数も競争もない。
ただ、一人の少年が、夏の日々を過ごすだけのゲーム。
どうしてそれが、大人たちをも夢中にさせているのか──正直、不思議だった。
ある日、出張帰りの東京駅で見たポスター。
風に揺れる木々と、麦わら帽子の少年。
そこには、こう書かれていた。
“27年前の夏を、もう一度──”
まるで、自分に語りかけられたようだった。
2002/07/11(木)
ついに買ってしまった、あのゲーム。
息子が配線し、わたしがボタンを握ったとき、心の奥で何かがはじけた。
画面の中で、「ボク」が笑った。
わたしのなかの「ボク」が、叫んでいた。
──ずっと会いたかった、と…
虫取り、川遊び、秘密基地、星空の観察。
忘れていた景色が、次々と甦った。
ゲームのなかで「ボク」が笑うたびに、胸があたたかくなった。
日々の疲れが、ふっと、ほどけるようだった。
気がつけば、妻も一緒に画面を覗き込んでいた。
泳げなかった彼女が「空を飛んでいるみたい」と呟いたシーンは、今でも忘れられない。
家族三人、肩を寄せ合って、小さな“夏”の旅に出ていた。
2002/07/18(木)
ゲーム内の夏が終わりに近づくにつれて、胸が締めつけられた。
「終わってほしくない」と、こんなに強く思ったのは、いつ以来だろう。
たったひと月の“仮想の夏休み”。
でもそこには、確かにわたしの「本当の夏」があった。
ページを閉じる。
あれから二十年以上が経った。
わたしは定年退職し、息子も今や父親になった。
あのときのゲーム機は、もう動かない。
けれど、あの夏は、確かにここにある。
思い返せば、あれは単なるゲームではなかった。
忘れていた自分自身を取り戻す、旅だったのかもしれない。
「役に立たないもの」は、「心を立たせてくれるもの」だった。
わたしは、机の奥から封筒を取り出す。
中には、あのゲームソフトと、一通の手紙。
『いつか、息子へ贈ろうと思っていたもの』
彼がこの手紙を読む頃、
彼もまた、なにかに悩みながら、日々を送っているかもしれない。
でも、願わくば──
「ボク」に、また会ってほしい。
きっとそのとき、
彼のなかの「夏」が、静かに、あたたかく、目を覚ますだろうから。
……もしあなたにも、そんな「ボク」や「夏」があるのなら──
ときどき、そっと思い出してみてください。
役に立たないかもしれないけれど、
それはきっと、あなたの心の奥を、ちゃんと照らしてくれるはずだから。




