わしの名は──土用の丑の日
*この物語は作者が趣味で、適当に書いてるメモと朝一番の(強制)ラジオ体操中におもいついた内容と妄想を書き溜めたモノをス〇ゼロを飲みながら書いた”短編作品”です。支離滅裂・シナリオ崩壊等の描写がございますが、それでも見たい方は… 好きな飲み物(アルコール的な物は大歓迎)とすきな煙(火をつけるものならナカーマ)を嗅ぎながら…生暖かい目で見てください(小並感)
なお…極力R指定的な作品は掲載しないようにするのでぇ~よろしくお願いします(小並感)
わしの名は──土用の丑の日じゃ。
夏が来るたび、ふと思い出してくれる人もおるかもしれんな。
そう、「うなぎを食べる日」としての、あれじゃよ。
だがの、もともとはただの暦の一日。
春夏秋冬、それぞれの季節が切り替わる前に訪れる“土用”の中で、
特に夏の“丑の日”に名を連ねた、それがわしじゃ。
わしが名を上げたのは、江戸の終わりごろ。
鰻屋がの、夏の暑さでまったく商売にならんと嘆いとった。
「夏に鰻なんぞ、脂っこくて売れるかい……」
そう言うた主に声をかけたのが、あの風変わりな発明家、平賀源内じゃった。
源内は、ニヤリと笑っての、こう言うた。
「“丑の日には『う』のつくもんを食うとよい”という言い伝えがある。『うなぎ』……こりゃちょうどええじゃろ」
そうして張り紙を書かせた。
「本日、土用の丑の日──うなぎで夏を乗りきろう!」
……わしは、そこで生まれた。
煙とたれの香りにのって、夏の空を駆け抜けたんじゃ。
やがて、江戸から京へ、大阪へ、そして日本中へ──
わしの名は広がった。
たれが焦げる匂い。
炭がぱちぱちと弾ける音。
ふわっと立ちのぼる湯気の向こうに、
「うまいのぅ……!」という笑顔があるたびに、
わしの胸は、じんわり熱うなるんじゃ。
うな重に箸を入れたときの、あのふんわり感。
たれの染みた白ごはんを、そっと口に運ぶときの、あの幸福感。
それはのう……もう、食べもんを超えて、“力”なんじゃ。
けれど、わしは知っておる。
うなぎは減ってきとる。
昔のように、当たり前に食べられる時代やない。
それでも、鰻屋の職人たちは、
一本一本、炭火で焼くことをやめん。
泥を吐かせ、串を打ち、蒸し、焼き、たれを重ねて。
その手間と祈りが、わしの命をつなぐ。
今の時代、「う」のつくもんは他にもある。
うどん、梅干し、うり、牛。
なんでもええんじゃ。
大事なのは、「元気で夏を乗り切ろう」という、あの心意気よ。
わしは、それを守るために、生まれた。
そして、これからも、その火を消さぬように在り続ける。
さぁ、また今年も、夏が来よる。
炭火の煙が立ち上るころ、きっと誰かが口にするじゃろう。
「今日は、土用の丑の日じゃのぅ」と──。
その時、わしはそっと胸を張るんじゃ。
「わしの名は──土用の丑の日じゃ」
どうか今年も、うまい一口で、笑ってくれ。




