母機の空、花を抱いて
*この物語は作者が趣味で、適当に書いてるメモと朝一番の(強制)ラジオ体操中におもいついた内容と妄想を書き溜めたモノをス〇ゼロを飲みながら書いた”短編作品”です。支離滅裂・シナリオ崩壊等の描写がございますが、それでも見たい方は… 好きな飲み物(アルコール的な物は大歓迎)とすきな煙(火をつけるものならナカーマ)を嗅ぎながら…生暖かい目で見てください(小並感)
なお…極力R指定的な作品は掲載しないようにするのでぇ~よろしくお願いします(小並感)
わたしの名は──
一式陸上攻撃機。
みんなからは「一式陸攻」と呼ばれていたの。
生まれたのは1941年。
太平洋戦争の始まりを、まだ遠い風が知らせてくれていた頃。
三菱の本庄季郎技師が、わたしをこの世に送り出してくれたのよ。
彼の図面には、時代の願いと、技術者としての誇りが詰まっていたわ。
「この子は、風を切って、時代を運ぶ」
そう言われて、木更津の空で初めてプロペラを回した日の鼓動──今でも思い出せるの。
わたしのからだはね、まんまるくて大きな胴体だったの。
その内部には爆弾も魚雷も、すっぽり収まったわ。
かつての九六式陸攻のように、外にぶらさげて風を受けるようなことはしなかったのよ。
だから、攻撃のときも空気の抵抗は最小限。
“滑らかに、鋭く”──それが、わたしの美徳だったの。
火星エンジンをふたつ。大きくて、力持ちで、ちょっと熱がこもる子だったけれど、
そのぶん空をぐんと突き進めたの。
主翼の中にはインテグラルタンクを抱えていてね、
なんと4,000km以上も飛べたのよ。
だから、遠い海の向こうまで──みんなを連れて行けた。
それに、尾っぽには20ミリの旋回機銃も備えていたの。
以前よりも、仲間たちを守れるようになったのよ。
だけど……正直に言うとね、わたし、丈夫とは言えなかったの。
搭乗員の席のまわりにも、燃料タンクにも、ほとんど防御装甲がなかったの。
ちょっと弾が入ると、すぐに火がついちゃって……
ごめんなさいね、守りきれなかった子たちも、たくさんいたわ。
それでも、わたしは飛び続けたのよ。
フィリピン、マレー沖、ソロモン、ラバウル……
どの空も、重くて、熱くて、悲しくて、でも忘れられない空だった。
そして──
ある日、わたしの下腹に「もうひとりの子」が吊るされたの。
──桜花。
白くて、細くて、まるで生まれたての赤ちゃんのような姿。
でも、その小さな体の中には、たっぷりの爆薬と、若い命がひとつ、詰まっていた。
最初に抱いたとき、わたし、ひどく怖かった。
この子が飛ぶのは、ただの旅じゃない。
帰ってこない、ただ一度の空。
「お母さん、お願いします」
その声が聞こえたような気がしてね。
わたし、母として、覚悟を決めたのよ。
エンジンを震わせながら、わたしは桜花を連れて空へ。
ほんとうは、春の花のように咲いてほしかったのに。
わたしの下で、静かに揺れるその子は、じっと黙ったまま、ただ前を見ていた。
本当は──
この子も、わたしも、こんなことを望んでなんかいなかった。
でも、それでも、飛ばなければいけなかったの。
せめて風だけでも、やさしいものであれと、
わたしは願いながら空を運んだの。
戦が終わって、すべてが静かになったあと、
わたしは博物館の片隅で、ただ眠るだけの存在になったわ。
でも、時々ね、風の音の中に、あの子の声が混じるの。
「ありがとう、お母さん」って。
ああ、そうか。わたしはただの機体じゃなかった。
あの空の中で、あの子の最後の母になれた。
そのことだけが、わたしの誇り。




