声の波に、時を乗せて
*この物語は作者が趣味で、適当に書いてるメモと朝一番の(強制)ラジオ体操中におもいついた内容と妄想を書き溜めたモノをス〇ゼロを飲みながら書いた”短編作品”です。支離滅裂・シナリオ崩壊等の描写がございますが、それでも見たい方は… 好きな飲み物(アルコール的な物は大歓迎)とすきな煙(火をつけるものならナカーマ)を嗅ぎながら…生暖かい目で見てください(小並感)
なお…極力R指定的な作品は掲載しないようにするのでぇ~よろしくお願いします(小並感)
ワシは、ラジオである。
見た目は、ただの箱じゃ。
だが、この箱の中には、無数の物語と、笑い声と、涙の記憶が詰まっておる。
始まりは、大正十四年 七月十二日。
とある東京の放送局──今では違う名で知られておるが──そこから、ワシの声は生まれた。
最初に放たれたのは、こんな言葉じゃった。
「アー、アー、聞こえますか」
それは、日本という国に“声”という灯りをともした瞬間でもあった。
誰の姿も見えぬのに、確かに届くその声に、人々は耳を澄ませた。
戦争の時代には、ワシは“伝令”となり、
ある時は“慰め”となった。
防空壕の中で、震える子どもを眠らせたのも、
離れた家族へ、無事を祈る歌を届けたのも、ワシじゃ。
そして平和の時代が来ると、
子どもたちは童謡を覚え、
若者は深夜の恋愛相談に笑い、
年寄りたちは懐かしの音楽で思い出に浸った。
ワシの声は、テレビにはない“想像の余白”を持っておる。
映らぬからこそ、思い浮かぶ景色がある。
聴こえるからこそ、心に残る言葉があるんじゃ。
だが、時代は移ろう。
スマホやネットに押され、
街から“ラジオ屋”は姿を消し、
若者の部屋に、ワシの居場所はなくなった。
それでも──
夜勤明けに肉まんを食べる看護師の耳に、
朝焼けを見ながらハンドルを握るトラック運転手の胸に、
受験勉強の静けさに包まれた机の上に、
ワシは、まだ、息づいている。
ある高校生が、古びたワシを見て言った。
「これ、なんか……いい音するな」
くすぐったいのう。
けど、そうじゃ。ワシは、“ただの音”を届けておるんじゃない。
誰かの“今日”を支える声なんじゃ。
ワシは、ラジオである。
映らぬけれど、伝える。
語りかけ、寄り添う。
時代に取り残されても、沈黙はしない。
そして、今日もまた、声を乗せる。
雨音にまぎれても、
静かな夜の奥でも、
誰かの心に届くまで──
「こちら、○○ラジオです。今夜も、どうぞよろしく──」




