ねこまんま、という名の記憶
*この物語は作者が趣味で、適当に書いてるメモと朝一番の(強制)ラジオ体操中におもいついた内容と妄想を書き溜めたモノをス〇ゼロを飲みながら書いた”短編作品”です。支離滅裂・シナリオ崩壊等の描写がございますが、それでも見たい方は… 好きな飲み物(アルコール的な物は大歓迎)とすきな煙(火をつけるものならナカーマ)を嗅ぎながら…生暖かい目で見てください(小並感)
なお…極力R指定的な作品は掲載しないようにするのでぇ~よろしくお願いします(小並感)
ボクの名前は──ねこまんま。
「行儀が悪い」「見た目が貧しい」「恥ずかしい食べ物」
そう言われることがあるけれど、それでも、ボクはずっとこの国の食卓の片隅にいた。
生まれたのは、江戸の町。
時は中期から後期にかけて。
侍だって米が買えぬ時代、庶民も空腹を抱えていた。
そんなとき、釜の底にこびりついた白米に、味噌汁をかけて──
あるいは、削ったかつおぶしをのせて、ほんの少しの塩で味をつけて──
ボクは、人々の空腹と心を満たす食べものとして生まれた。
特に、静岡や和歌山、鹿児島のかつお節は、貴重なうま味として重宝された。
あたたかいご飯の湯気にふわりと舞い、香り立つかつおの香ばしさ。
それはたとえ質素であっても、ごちそうだった。
武士も町人も、子どもも年寄りも──
身分を問わず、ボクをすすった。
「猫の食事みたいだ」と、からかう者もいた。
でも、“猫までも喜んで食べるほどおいしい”という意味もあったんだよ。
やがて時代が下って、大正、昭和。
世界が混乱の渦に呑まれ、再び飢えが街を包むころ、
ボクは再び、食卓の真ん中に戻ってきた。
戦火のなかで、炊き出しの鍋からよそわれる麦飯。
そこに残り物の味噌汁が注がれ、ボクは「生きる手段」になった。
贅沢なんてなかったけど、笑顔がひとつ、生きる力がひとつ、そこにはあった。
「これが、あるだけで、助かるんだ」
そんな声を、何度も聞いた。
ボクは、誇らしかった。
けれど──
時代が豊かになるにつれて、
きらびやかな料理や、見た目を競う品々が食卓に並ぶようになった。
そしてボクは、再びこう呼ばれるようになった。
「恥ずかしい料理」
「貧乏くさい」
「マナーが悪い」
……それでも。
ある夏、縁側で見かけた少年が、
冷やごはんにかつおぶしをのせて、味噌汁をかけていた。
それを見ていたおばあちゃんが、にこりと笑った。
「それはね、昔からある『ねこまんま』っていうんだよ。
お行儀は悪いかもしれないけどね──とっても、優しい味なんだよ」
少年はひとくち食べて、目を丸くした。
「うまい……!なんだか、懐かしい味がする!」
そうなんだ。
ボクは、懐かしさでできている。
空腹だけじゃない、心のすき間まで満たす味なんだ。
飾らなくていい。
器が欠けてたっていい。
豪華じゃなくても、ボクは誰かの記憶に残っている。
ボクは、ねこまんま。
時代を生きた、たしかな味のひとかけら。
今日もどこかで、湯気といっしょに、そっと顔をのぞかせている。




