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あの花かんむりを忘れない  作者: とらねこ
夢のあとさき
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十四

 扇状地に広がる望内の町は、水源の豊かな扇端部は農耕地などの村落の様相が強いが、中心地はうってかわって近代的な町並みとなっている。

 北部開拓の拠点として作られた望内は、山祇で最も新しい都市だ。

 最新の都市計画で作られた町は、東西南北に走る大通りを中心に碁盤目状に整備されていて、奇しくも皇都に似た作りとなっている。

 しかし、歴史を感じさせる古都の様相が強い皇都とは異なり、王国の技術が用いられた煉瓦造りの町並みは、山祇でありながら異国の情緒を漂わせていた。


 凜はもちろん、そんなことにさして興味はなかったが、陽鞠に連れられて町に繰り出していた。

 町には興味がなくても、楽しそうにしている陽鞠を見ていることは嬉しい。

 だから、あちこちに足を伸ばす陽鞠に付き合っても凜は面倒には思わなかった。

 新浜では長屋に半ば閉じ込めてしまった反省もあって、凜は陽鞠の好きにさせるつもりでいた。


 昼時も近くになり、偶々見つけた小料理屋に二人で入る。

 小料理屋といえば他の州では、座敷以外は外の縁台で食べるのが普通だが、北玄州でそれをすると凍えてしまう。そのためか、座敷の他に腰掛けも屋内に用意されていた。


 凜たちは座敷には上がらず、腰掛けに腰を下ろす。

 近付いてきた店の女将に凜が注文している間、陽鞠は歩き疲れたのかしきりに足を伸ばしていた。


「陽鞠。十日もあるのですから、そんなにはりきらなくてもいいのでは」


 凜の言葉に僅かに首を傾げた後、陽鞠は被っていた頭巾を脱ぐ。

 白髪金瞳の娘は目立つから、町中では普段から頭巾を被っていた。


「だって、凜と二人きりでゆっくり町を歩くなんて久しぶりだから」


 少しだけ恨めしそうに陽鞠が言う。

 そうだっただろうか、と凜は記憶を遡った。

 確かに江津を出てからここまで、通り過ぎるばかりで町で足を止めてゆっくりしたことはなかった。新浜では陽鞠はほとんど外に出ることはなかったのだから、そう考えると巫女として各地を巡っていた頃まで遡らなければならない。

 凜は自分の気の回らなさに忸怩たる思いが込み上げてくる。


 そもそも、東青州で冬を越してから北玄州に来ても良かったのだと、今更のように凜は気がつく。

 冬の北玄州に向かったのは陽鞠と別れた投げやりな気持ちも大きかったのだから、陽鞠を巻き込む必要などなかった。ましてや、陽鞠の体は完全に復調したとは言い難い。


「済みません、陽鞠。ここまで急ぎ足で来てしまいましたが、もっとゆっくりすれば良かったですね」

「え。ううん。だって凜は頼まれごとがあったのだから」

「別に急ぎではありません。一緒にいてくれる陽鞠を大切にするべきでした」


 うっすらと頬を染めた陽鞠が、凜の手に手を重ねる。

 その手を凜は指を絡めるように握り直した。


「でも、凜は町歩きなんて楽しくないでしょう」

「そうですね。ですが、陽鞠が楽しそうにしているのを見ているのは嬉しいです」


 もともと拳一つ分しか空いていなかった二人の距離を、陽鞠が更に詰める。

 膝がぶつかる距離で、腕がぴたりとくっついた。


「歩いていないと少し寒いから…」


 言い訳のように漏らして、陽鞠は凜に寄りかかるように体重を預ける。

 重みというには軽すぎる陽鞠の体重が、凜には心地いい。陽鞠の実在が感じられて安心できる。


 抱きしめようか凜が迷っていると、店の入り口が俄かに騒がしくなった。

 ドンザの作業着を纏った男たちが四人、荒々しい足取りで店に入ってくる。


 開拓民だろうかと凜は首を傾げる。

 北の荒地の開拓は厳しい。昼間から酒を飲んでいられるほど、余裕のあるものではない。


「女将、酒だっ」


 すでに酒が入っているのか、加減のない大声をあげて座敷に上がり込んでいく。


「陽鞠、出ましょう」


 耳元で囁く凜の言葉に、陽鞠は小さく頷く。

 陽鞠が頭巾を被ろうとしたところで、最後尾の男がその動きを見咎めた。

 陽鞠の美しさに言葉もなく見惚れ、やがて酒の入った赤ら顔に下卑た笑みを浮かべる。

 陽鞠に近づく男の動きに気がつき、他の男たちも寄ってきた。


「おい、どうした」

「いや、見ろよ。白髪の婆ぁかと思ったら、すげぇ別嬪だ」

「まだ、ガキじゃねぇか」


 わらわらと寄ってくる男たちが、陽鞠に触れられる距離に近づく前に、凜が立ち塞がる。

 背の高い凜に僅かに怯んだ様子を見せるが、凜が女であることに気がつき、凜にも陽鞠に向けたものと同じ目を向ける。


「連れも美人じゃねぇか」

「娘っ子が二人で何をやっているんだ」

「暇なら俺たちに付き合えよ」

「なぁに。金ならあるんだ。いい思いさせてやるぜ」


 男たちの野卑な言葉を右から左に聞き流しながら凜は、失敗したな、と考える。

 店を出る判断が遅過ぎた。


 背はさして凜と変わらないが、肉体労働で体格のいい男が四人。あしらうには面倒な相手だった。

 女将は怯えた様子で見ているだけで、頼りになりそうもない。


 この狭い屋内で一斉に来られたら、対処のしようがない。

 殺すか、と凜は思い、しかし腰の軽さを思い出す。刀は雪宗に預けたままであった。

 武器といえるものは忍ばせた小柄くらいのものだ。


 凜の心が冷たく沈んでいく。

 刀なしでやるならば、相手が身構えてからでは遅い。不意をつき、初手で肝を潰す必要がある。

 小柄で喉を突き、もう一人の首か腕をへし折る。残り二人になれば、何とでもなるだろう。


 もしかしたら、男たちはそれほど酷いことをしようとしているわけではないかもしれない。などと凜は考えない。

 自分が倒され、陽鞠が乱暴される。その最悪の可能性をみせた時点で、凜にとって殺すに足る相手だった。


「私たちに構わないでいただけませんか」


 凜の機先を制する形で、陽鞠の声が冷たく男たちを打ち据える。

 さして大きくもない鈴の音の声が、男たちをぴたりと黙らせた。

 幼なげともいえる娘から感じる異様な雰囲気に、男たちが呑まれ戸惑うのを凜は見てとった。


「貴方たちは今、生死の瀬戸際に立っているのが分からないのですか」


 陽鞠のその言葉は、おそらく余分だった。

 男たちの中で、反発心を発条に戸惑いが敵愾心に変わるのを、凜は表情から読み取る。

 ここまでだな、と凜は袖口に忍ばせた小柄を握った。


 刹那、遅ければ店は血の海に沈んでいたであろう。


「貴様ら何をしておるかっ」


 どやどやと店の中に踏み込んできた衛士たちが、男たちを囲んだ。

 狭い店内が男たちで溢れかえり、陽鞠の手を引いた凜は押しやられるように隅に避ける。


「俺たちは何も…」

「黙れっ。お前たちが酒を飲んで方々の店に迷惑をかけていると通報があったわっ」


 衛士たちは三尺あまりの手棒で、男たちを容赦なく打ち据えていく。


 これはこれで面倒だと、凜は眉を顰めた。

 衛士の事情聴取を受けて詮索されるのは面白くなかった。

 どこか逃げ場はないかと店内を見回す。

 入り口付近は衛士がいて、抜け出すのは難しそうだった。

 反対側に目を向けると、座敷の影からこちらを覗く男と目が合い、手招きをされる。

 望内まで案内をしてくれた男だった。


 凜は陽鞠の手を引いて、目立たないように移動する。

 入り口からは見えないようになった座敷の影には戸があり、すでに開けられた戸の先は厠になっていた。

 厠は目隠しの板張りこそされているが、せり出した屋根との間には人が十分に通れるほどの隙間があった。


 男は一言も発さず、先導するように身軽に板を乗り越えてみせる。


「陽鞠」


 凜は呼びかけに頷いた陽鞠の尻を持ち上げて、壁の向こうに押しやった。

 外から男が手を貸して着地する陽鞠を見届けながら、凜も壁の上に手をついて一飛びに乗り越える。


 すぐに寄ってきた陽鞠の手を握りながら、目でついてくるように促してくる男の後を追って足早にその場を離れる。

 裏路地を抜け、表通りに出たあたりで、男は歩調を緩めた。


「とんだ騒ぎに巻き込まれましたな」

「ええ。助かりました」


 隣に並んだ凜に、男は愛想よく声をかけてくる。


「店が血の海に沈まず、ようございました」


 冗談めかして言う男に、凜はおやと思う。

 確かに凜が帯刀していることをこの男は知っているが、小娘一人と荒くれ男の四人で、まるで凜が血の雨を降らせるような言い回しをするものだろうか。

 ましてや、今の凜は外から見れば寸鉄帯びていないように見える。

 違和感を覚えなくもないが、慣用句的な言い回しの可能性も捨てきれず、凜は聞き流した。


「まあ、あの男たちは結局、随分と乱暴な扱いを受けていましたが」

「あれは砂金掘りですな。一山当てて浮かれていたのでしょうが」


 なるほど、と凜は思う。

 開拓民の中でも農地開拓を行うものは、家族連れの地に脚がついたものが多いが、砂金掘りは博徒くずれの山師も多いと聞く。


「それにしても、最近の望内の衛士はいささか横暴ですな。あれではどちらが乱暴ものなのやら」


 殺す気になっていた凜は気にならなかったが、確かに一切の弁明も聞かずにいきなり打ち据えるというのは、衛士にしては乱暴な気がする。


「どうも、ご領主が亡くなられてから箍が外れているようです」


 言ってから、言葉が過ぎたと思ったのか、男は気まずげに頭を掻いた。


「いや、済みません。こんな話をしてしまって」

「いえ、お気になさらず。あなたはどうしてあそこに?」

「ただの偶然です。食事に寄って、厠を借りていたらあんなことに」

「なるほど」


 一瞬だけ目を細めて、凜は頷いた。


「ところで、お二人は昼を逃されたのでは。私の逗留する宿は食事も出します。よければご一緒しませんか」


 凛は、陽鞠と目を合わせて頷き合う。


「ちょうど良かった。後であなたのところに行こうとしていたのです」

「おや、何かご用でしたか」

「あなたは大公との伝手をお持ちですか」

「ええ。この仕事が終わったら、閣下に報告しなければいけませんので」

「それでは、大公に文を届けてもらえませんか」


 男はしばし考え込むような仕草を見せてから、凜に答えた。


「私はまだ望内を離れることができません。ですが、信用できるものに預けることはできます」


 凜は陽鞠に目を向けて、答えを委ねた。

 目配せだけで意図を汲んだ陽鞠が、会話を引き継ぐ。


「それで構いません。その方にお会いすることはできますか」

「ええ。同じ宿におりますから、紹介しましょう」


 男の言葉に、陽鞠は頷いた。


「分かりました。それでは、ご案内ください」

「畏まりました」


 陽鞠に恭しく頭を下げる男を、凜が微かに怪訝な顔で見ていた。

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