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あの花かんむりを忘れない  作者: とらねこ
夢のあとさき
91/115

十一

「本当に戻ってきたのか」


 夕暮れ前に領主の館から戻った凛たちを見て、雪宗はぼそりと漏らす。


「泊めていただくというお話でしたでしょう」


 遠慮のない陽鞠の物言いに、凜は目線だけをその顔に向ける。

 いつもの微笑みが、そこにはなかった。

 怒りにも似た、責めるような高圧的ですらある目を雪宗に向けている。

 しかし、それは取り繕わない陽鞠の素顔であり、自分以外に見せることに凜は蟠るものを覚えた。

 陽鞠の目を無理やり自分に向けさせたくなったことに、凜は内心で苦笑いを漏らす。


「別に疑っていたわけではない」


 ぶっきらぼうに言い放つと、雪宗は槌を置いて腰を上げた。


「客間と居間が空いているが、二人一緒にでいいのか」

「ええ。もちろんかまいません」


 鼻を鳴らした雪宗が、のそりと鍛冶場の奥へと動く。凜は陽鞠と顔を見合わせてから、それに続いた。


 母屋と繋がった鍛冶場の奥は土間になっており、雪宗は履き物を脱いで框を上がる。

 土間から続く内縁の縁側が真っ直ぐに伸び、襖の数から座敷が三つあることが分かる。


 雪宗は奥の座敷の襖を開けて、凜たちに振り向いた。


「ここだ。狭いがかまわないな」


 追いついた凜たちが中を覗く。六畳間の簡素な座敷だった。


「十分です」

「布団がひと組しかないが…」

「慣れているので平気です。紙と硯をお借りできますか」

「後で持ってこよう」


 雪宗が陽鞠と交わす会話を聞きながら、凜は奇妙な感覚を覚えていた。

 何の変哲もない、物もほとんど置かれていない座敷。

 それなのに、胸がざわつくような、懐かしさにも似た感覚。言葉にするのは難しかったが、あえて言うなら既視感に近かった。


「…凜?」


 心ここにあらずだった凜は、陽鞠の声に我に返る。

 どこか不安そうに陽鞠が見上げていた。

 安心させるように凜は笑みを見せる。


「何でもありません」

「そう? 疲れたのなら今日はもう休んで」

「そうさせてもらいます」


 この北玄州の土地が合わないのだろうかと凜は考える。

 北玄大公、雪宗、渚、雪子。誰もが凛の胸を騒がせる。普段の自分のままでいられないことに、凜は戸惑いを覚えていた。


「夕餉はすませてきたのか」

「いえ。まだです」


 雪宗の問いに答えながら、帰りにどこか寄ればよかったと今更のように凛は気付いた。

 やはり、思考が精彩を欠いている。


「大したものはないが、俺と同じものでよければ出すぞ」

「助かります」

「ついでだ。一人分も三人分も作る手間は変わらないからな」


 雪宗の言葉に凜は首を傾げた。


「あなたが作るのですか。奥方はいらっしゃらないのですか」


 その問いに、なぜか隣に立つ陽鞠の体が強張るのを凜は感じた。


「妻帯したことはない」

「…そうですか。いえ、無遠慮に申し訳ありません」


 雪宗は四十を超えているように見える。

 その歳で、しかも鍛治師というそれなりの社会的身分で独り身は珍しかった。

 本人は良くても世間体から、親類縁者が嫁を押し付けてくるものだ。


「気にするな。親類との縁は切れているから気楽なものよ」


 ぶっきらぼうに言い放つと、雪宗は凜に手を差し出す。


「刀を寄越せ」

「ああ、そうでしたね」


 凜が腰から抜いた刀を渡すと、雪宗は無造作に受け取った。


「どれくらいかかりますか」

「十日ほどはみておけ」

「そう、ですか」


 自分の手元から刀が離れたことに、凜はあるべき重みが腰から失われたような頼りなさを覚える。

 刀は道具でしかないが、生まれた時から刀と共に生きてきた凜には、体の一部を預けるのに等しかった。


 刀を持って鍛冶場に戻っていく雪宗の背中を、名残を惜しむように凜は目で追っていた。

 その凜の袖が強く引かれて、振り向いたところに陽鞠が抱きついたきた。


 後手に襖を閉めながら、陽鞠を抱きしめ返す。

 火鉢もついていない冷え込んだ座敷で、お互いの熱で温め合う。

 しばらく無言で抱きしめ合った二人は、息をつくように抱擁を解いた。

 そのまま凜が奥の壁に寄りかかって腰を下ろすと、隣にきた陽鞠が凜にもたれて肩に頭を乗せる。


「今日はいろいろありましたね」


 凜の言葉には答えず、陽鞠はむずかるように頭を肩に擦り付ける。

 

「…穢れのことを聞いてもいいですか」

「下手人が誰かということ?」

「ええ。陽鞠が口外するつもりがないのは分かりますし、私も賛成です」


 巫女の力は穢れを祓う時に穢れのもととなった記憶を陽鞠に見せるが、それは何ら証拠能力があるものではない。

 巫女という立場で発せられた言葉でなければ、妄言としか取られないだろう。


「しかし、関わった以上、どんな災いが降りかかるかもしれません。知っておくにしくはないでしょう」

「そうね。領主を殺めたのは、弟の槐様よ。毒殺だったわ」

「渚様が嫌うのもむべなし、ということですか」


 さして驚きもせず、凜は納得する。

 領主が自分の屋敷で殺されたなら、内部の犯行を疑うのが当然だろう。


「なぜ、穢れが出るまで遺体が放置されたのでしょう。食事もあるでしょうし、何日も見つからないことなどないと思いますが」


 穢れは遺体を焼いてしまえば発生しない。

 穢れが出たということは、亡くなって数日は経ってから発見されたということだ。


「それは私には分からないけれど、家中に協力者がいるのではないかしら」


 協力者がいるとすれば、よほど領主と近しい間柄か、信頼されているものだろう。

 そう考えながらも、凜が聞いたのは別のことであった。


「大公にも黙っているのですか」

「この力のことをご存知ないかもしれないけれど、報せはするつもりよ。もしかすると、穢れよりもこちらが本当に頼みたかったことかもしれないし」


 ありうることだと凜は思った。

 陽鞠が巫女の間、北玄州から穢れの祓いの依頼はなかった。

 穢れがまったく出なかったということはなかっただろうから、巫女の力を借りることそのものを避けていたのだろう。


 北玄州は四つの州の中でも、とくに独自の文化色が強い。

 西白州と東青州は奉じる神こそ違うが、それはあくまでも同じ神話体系の中での違いだ。

 しかし長く朝廷から夷狄として扱われてきた北玄州は、まったく異なる信仰が根付いている。

 今でこそ山祇に帰化こそしているが、未開拓地に近づくほど昔の名残が強い。そこでは巫女の存在も胡乱なものになるのだろう。


 北玄州の大公はそうした土着の民と、朝廷の間の均衡を保つ必要がある。

 今回は領主が穢れを出したという秘事だからこそ、巫女を動かせたのかもしれない。


「そんなことより、凜」


 あからさまに不機嫌だと主張する声を出して、陽鞠は凜の腕を抱えた。


「私、怒っているから」

「何の話ですか」

「銃弾を弾いたって何」


 忘れていなかったのかと、凜はため息をつきそうなる。

 本当についたら余計に陽鞠の機嫌を損ねると堪えたが、陽鞠は敏感に察知したようだった。形のいい眉が微かに跳ねた。


「あの村で王国の工作員に襲撃を受けたこと、銃を持っていたことは話したでしょう」

「凜はそうやって何が起きたかは隠さないから誤魔化されていたけど、何があったかは全然話してくれていないよね」

「何度も言いますが、陽鞠に戦いの詳細を話しても仕方ないでしょう。そんなもの、私は陽鞠に知ってほしくはありません」

「…怪我したでしょう」


 陽鞠の指摘に、凜は返す言葉に詰まった。


「心配なの。私の知らないところで、ひどい怪我をしているんじゃないかって」

「戦いに支障をきたすような怪我なら言います。陽鞠の判断材料を削ぐようなことはしません」


 凜の言葉に、陽鞠はすぐに反応を返さなかった。

 凜の肩に乗せていた頭をゆっくりと上げ、居住まいを正す。


「いま私そんな話していない」


 陽鞠のその声に、空気が緊張するのを凜は感じた。

 本気で怒らせたかと思い、背筋に冷たいものが走る。


「私は凜に怪我をしてほしくなくて、凜が怪我をするようなことがあったのなら知っておきたい。それは迷惑?」

「そんなことはありません。ただ、やはり陽鞠には血生臭いことには関わってほしくないんです」

「凜は…守り手でいた方が楽なの?」


 陽鞠の言葉の意図が分からず、凜は咄嗟に返事に詰まった。それこそ、そんな話をしていただろうかと考える。


 しばらく考えて、確かにそうなのかもしれないと凜は思った。

 陽鞠を守るという明確な役割と目的がある立場は、陽鞠との関係を考えないでいることができる。

 巫女と守り手という関係を失ったいま、それなら自分たちは何なんだという漠然とした不安が、凜の心の片隅にはあった。


「…楽かと聞かれると、その通りかもしれません」

「守り手に戻りたい?」

「いえ、そうではありません。私はもう陽鞠を主とは思いたくありません」


 自己嫌悪気味に、凜はため息をついた。


「…無意識に、守り手の頃の振る舞いをしていたのですね。陽鞠を自分よりも高いところに置いておこうと。その方が楽だから」

「凜がどうしても話したくないのなら、仕方ないけれど。私を理由に黙っていられるのは嫌」


 陽鞠は凜の手を取ると、指を絡めるように握った。


「凜が守り手であるために何を想い、何を背負ってきたのか、私は知っていないといけないと思う。それが貴女を守り手にした私の責任だし、知らないで貴女のことを好きだなんて言うのは恥ずかしい」


 陽鞠のその考えは、凜には理解できなかった。守り手として求められたのは事実だが、守り手になることを選んだのは凜自身だ。

 自分で選んだことで何を背負おうと、陽鞠が責任を負うことなど何もない。

 理解はできなくても、陽鞠が想ってくれることは嬉しかった。


 指を絡めた手をゆっくりと引くと、陽鞠の小さな体が凜の腕の中に収まる。

 この小さな体のどこに、こんなに強い心が収まっているだろうか。思えば、どんな惨状でも陽鞠が取り乱したところなど凜は見たことがなかった。


「愉快な話にはなりませんよ。気分が悪くなったら言ってください」


 背中から陽鞠を抱き締めながら、凜はゆっくりと語り始めた。

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