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あの花かんむりを忘れない  作者: とらねこ
夢のあとさき
87/115

 望内は開拓と共に発展した町のため、僻地という印象に反して王国式の煉瓦造りの建物が多い。

 庁舎の近くに建てられた領主の館も、二階建ての赤煉瓦造りだった。


 門番に雪那からの書状を渡した凜と陽鞠は、待たされることもなく館に通された。

 家人に案内された応接らしき部屋には、二人の男がいた。

 一人は椅子に腰掛けた壮年の男。

 羅紗の軍服が馴染んだ、上背があることが座った状態でも分かる逞しい体つき。

 口元に髭を蓄えた厳しい顔つきだが、顔立ちそのものは整っている。


 もう一人はこちらも軍服だが、衛士らしからぬ痩身で陰鬱な気配を纏って壁際に立っていた。

 腰に提げているのは、サーベルではなく刀であった。


 壮年の男は凜たちが部屋に入ると、軍人らしい芯の通った動きで立ち上がった。

 しかし、凛たちを見る目には戸惑いのようなものが見てとれた。


「領主代行の天羽(えんじゅ)だ。大公閣下の遣いと聞いたが」


 槐と名乗った男の言葉に、凜は戸惑った態度に得心がいった。

 大公からの書状には陽鞠のことが何も書かれていなかったのだろう。巫女のことを公にしたくない大公が、書面にも残さないのは理解できる。

 巫女のことを知らなければ、若い娘が大公の遣いで現れたら戸惑うのも無理はなかった。


「陽鞠と申します。こちらの凜は私の護衛と思っていただければ」


 槐の目が凜の腰の刀に向けられる。

 普通であれば屋敷の入口で預けるものだが、大公の遣いという立場を盾に凜は突っぱねた。


 壁際に立つ男を視界の端に収めながら、それを正解だったと思う。

 血の匂いが濃い男だった。

 下手をすると自分以上に人を斬っていると凜は感じる。

 今もまとわりつくような殺気を隠す気もなく凜に向けていた。


「陽鞠殿か。座られるとよい」


 槐に勧められて、陽鞠はテーブル越しの向かいの椅子に腰掛ける。

 凜は入口の脇に立ったまま控えた。


「して、其方は何者だ。閣下の書状には其方のすることに全て便宜を図るようにあったが」

「私は大公様から穢れを祓うように頼まれて参りました」


 山師を見る目で陽鞠を見ていた槐の顔が、徐々に強張っていくのが凜には分かった。


「まさか…巫女様、なのですか」

「いいえ。巫女ではありません。ですが穢れを祓うことは出来ます」


 陽鞠の言葉に、槐の顔が顰められる。

 穢れを祓える存在など巫女しかいない。陽鞠の言いようは、騙りだと言っているようなものだが、同時に大公のお墨付きでもあるのだから、意味が分からないだろう。


「ところで天羽と仰ると、貴方は亡くなったご領主の血縁なのですか」

「そうだ。天羽水縹は私の兄だ」

「そうなのですね。では、貴方が次の領主になられるのですか」


 領主は正式には朝廷が任命するものだが、ほとんどの場合は大公が指名した者を朝廷は信任する。

 そして、その多くは古くから土地を統べる地下貴族から選ばれていた。


「…書状の内容を知らぬのか」

「存じ上げません」

「ならば、余計な口を挟まぬことだ」


 つまり、この男が次の領主ではないのだと凛は思った。

 自分が次の領主であれば、それを濁したりする人物には見えなかった。


「…それで、穢れの祓いにはどれくらいの時間がかかる」

「時間というほどのことでは。すぐに終わります」


 祓いと称して接待を要求されるとでも思ったのか、煩わしげな槐の言葉に陽鞠が答える。

 まだ穢れを祓えるのか半信半疑の様子であった槐は、陽鞠のあっさりとした答えに拍子抜けした顔を見せた。


「そうか。それなら早速取りかかってもらってもよいか」

「はい。案内してもらえますか」


 席を立った槐に合わせるように、陽鞠も腰を上げる。


「今からでよいのか」

「遅くなると宿の主に迷惑をかけますので」

「宿? 今日くらいはここに泊まっていってもかまわないが」


 あまりにも淡白なことが不気味になったのか、槐の方が提案してくる。

 それを聞きながら、凜はなるほどと思っていた。人というものは自らの常識に外れて無欲なものに出会うと、理解が及ばずに怖れを抱くようだ。

 神祇府が陽鞠を怖れていた理由の一端が、今更のように実感できた。


「いえ。約束がありますから」

「…そうか」


 すげなく断る陽鞠に鼻白みながらも、槐は先導するように部屋を出る。おそろしく静かな動きで、痩身の衛士がそれに従う。

 それに続いて凜たちが部屋を出ると、待ち構えるように廊下に一人の少女が立っていた。


「部屋で待っていなさいと言っただろう」


 言いながら、槐は手振りで渚の後ろに控える護衛の衛士たちを下がらせる。


「叔父様。雪那伯母様の遣いの方なら、私も挨拶させて下さい」


 険のある声で言った少女は、雪宗のところで出会った渚であった。

 槐に対する敵意も嫌悪も隠そうとしていない。

 渚は凜たちに気がつくと、はっとした顔をする。


「貴女たちは…」


 思わずそう漏らしてから、失言であったように渚は口を噤む。


「知り合いか?」

「先ほど町で少しお話しただけです。雪那伯母様の遣いの方とは存じ上げませんでした」

「大公閣下を伯母様呼びはやめなさい。いつも言っているだろう」


 幼子を嗜めるような槐の言い様に反発して、渚は眦を吊り上げて睨み返す。


「伯母様が構わないとおっしゃったのよ」

「それは人目のないところでは、だろう。それくらいの分別はあるという閣下の信頼を損ねるつもりか」

「叔父様こそ、なぜ我が物顔でこの家にいるのですか」

「兄上が政務の書類をこの家に溜め込んでしまったのだから仕方あるまい」


 唐突に始まった諍いに閉口して、凜が小さく咳払いをする。

 ばつが悪そうに言葉を止める二人。


「それで、この方々の用向きは何だったのですか」

「穢れを祓ってくれるそうだ」

「え…」


 驚いた渚の目が陽鞠に向かい、それから凜の方へと移る。


「巫女様と…守り手」


 戸惑いの声を渚は小さく漏らす。

 驚きから我に返ると、渚は真偽を見定めるように陽鞠を見つめた。


「本当に穢れを祓えるのですか」

「はい」


 あっさりと頷く陽鞠に、まだ信じられないのか、渚は眉を寄せる。


「そうですか。それでは、私も立ち会わせていただきます」

「私は構いませんが」


 答えた陽鞠の目が問いかけるように槐に向かう。


「部屋で待っていなさい。父の変わり果てた姿を見たくはないだろう」

「覚悟なら出来ています」


 宥める槐の言葉も聞かず、頑なな態度で渚は答える。

 睨みつける渚の目を、槐は鷹揚に受け止めていた。それは、相手を一人前の人間と思っていないがための余裕だった。


「そうまで言うなら、好きになさい」


 呆れたように言って、槐は痩身の衛士を引き連れて廊下を歩き始めた。

 それに続いた陽鞠に従って、凜も歩き出すと、渚が隣に並んできた。


「先ほどは失礼しました」

「こちらこそ、何も申し上げずに申し訳ありません」


 何故、陽鞠ではなく自分の方に話しかけてくるのか怪訝に思いながら凜は答える。


「…あの、凜様は守り手なのですか」

「いいえ。私は守り手ではありませんし、陽鞠は巫女ではありません。それが何か」


 小声で問いかけてくる渚に応じながら、凜は陽鞠の歩みが後ろを気にしてわずかに乱れているのを感じていた。


「いえ…母が、華陽様と親しくさせて頂いたと言っておりましたので」

「そうなのですか」

「はい。刀のこともありますし、守り手であれば華陽様をよくご存知なのかと思いまして」

「まあ、それなりに付き合いはありましたが」


 直接の華陽の知り合いではない渚にまで、ことの顛末を伝えようとは凜も思わなかった。


「…あの、不躾ですが母に会っていただけないでしょうか」

「私がですか」

「ええ。母は今、気鬱で臥せっておりまして。華陽様のお話をしていただければ少しは気が晴れるかもしれません」


 凜は僅かな逡巡を覚える。

 華陽に限らず、自分が斬った相手と親しかった人物と会った時、凜は自分が手に掛けたことを伝えると決めていた。

 それは自己満足に過ぎないと凜は思っていたが、そういう生き方しかできなかった。

 しかし、臥せっている人間に真実を伝えることは出来ない。相手に対する配慮を欠けば、それは自己満足とすらいえない、ただの悪意だ。

 かといって、会うことを避けたり、真実を伝えないことも欺瞞なのではないかとも思う。

 悩んだところで、正しい答えなどないのだから、凜はすぐに考えるのをやめた。


「…分かりました。陽鞠が構わないと言えばですが」


 陽鞠を盾にしたわけではないが、自分で判断のつかないことは無意識に陽鞠の意思に委ねてしまう癖が凜にはあった。

 陽鞠の名を出したことに、渚が微かに眉を顰める。


「ありがとうございます。…あの、凜様と陽鞠様はどういったご関係なのですか」

「関係、ですか」

「はい。呼び捨てにしていますし、主従というわけではないのですよね」


 凜は前を歩く陽鞠の背中を見る。

 振り向きこそしないが、こちらの話に耳を傾けているのは分かった。

 とはいえ、二人とも少し潜めた声で話しているから、陽鞠にはあまり聞き取れないだろう。


「主従ではありませんし、友人というのとも違いますね」


 陽鞠との関係は、凜にだって分からなかった。

 凜に分かっているのは、自分にとって陽鞠がどういう存在かだけだ。


「関係を言葉にするのは難しいですが、私にとっては大切な人です」


 凜の声は陽鞠に届いたのだろう。

 赤くなった陽鞠の耳を見て、その愛らしさに自然と笑みが溢れる。


「そう、ですか」


 陽鞠を見ていた凜は、渚の表情が曇ったことにはついぞ気が付かなかった。

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