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あの花かんむりを忘れない  作者: とらねこ
夢のあとさき
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 渚が出て行くと、雪宗は小さなため息をついた。


「それで、用とは」


 凜の言葉に、雪宗の目が凜が腰に差した刀に向かう。


「刀を見せろ」


 端的な物言いだったが、凜は疑問を挟むこともなく、無言で鞘ごと刀を差し出す。

 受け取った雪宗も言葉はなく、鞘から抜いた刀身を検める。


「…手入れはされているが、研ぎには出していないな」

「ええ」

「この刀で何人斬った」

「四十と三人」


 つい先日も大公から同じことを聞かれたことを思い出し、凜は少し憮然とする。

 そんな意図はないのかもしれないが、責められているように感じてしまう。


「柄は変えた方がいいな。血で腐食しているかもしれん」


 とくに人斬りに言及することもなく、雪宗は刀身についた痕を指す。


「これは、何を斬った」

「斬ったというか、銃弾を弾きました」

「えっ」


 驚きの声を上げたのは、雪宗ではなく陽鞠の方だった。


「そんな話、知らない。いつのことなの」

「あの村で王国の工作員と戦った時ですね」

「…何で言わないの」


 陽鞠の声が低くなり、機嫌を損ねたのは分かるが、理由が分からずに凜は首を傾げる。


「陽鞠にそんなこと言ってどうするのですか」


 戦いの詳細など陽鞠に話しても不安にさせるだけで、凜には利が見つけられなかった。


「…余罪が多そうね。あとで覚悟してなさい」

「何だというのですか…」


 説教の気配に凜は憔然とする。

 機嫌を損ねた陽鞠に凜が勝てたためしがないのだから、今から気鬱だった。


 そんな気の置けないやり取りをする陽鞠と凜の間を、雪宗の目が一度だけ往復する。


「華陽は死んだのか」


 問いというよりは確認のような雪宗の言葉に、凜の袖を握る陽鞠の手が強張った。

 それに気付いた凜は、怪訝な目を陽鞠に向ける。どうにも、ここに来てからの陽鞠の行動に違和感をおぼえていた。


「ええ。私が斬りました」

「…そうか」


 とくに驚きもない、感情のない声で短く答えると、雪宗は刀身を鞘に納めた。


「研いでやろう。預かるぞ」

「貴方は研師なのですか」


 刀匠が打った刀身を磨き上げ、美しい姿に仕上げる研師は、鍛治師とは異なる技術の職人だ。

 地肌や刃文など、芸術的とも言える山祇の刀の姿は、研師の手を経て生まれる。


「見場のいい刀が欲しいのか」

「いえ、切れれば十分です」


 じろりと睨みつけるような雪宗の視線にも臆さずに凜は答える。

 凜にとっては刀など道具に過ぎない。

 陽鞠との約束があったから執着こそあるし、ともに死戦をくぐった今の刀に愛着もあるが、刀そのものを特別に見ているわけではない。

 かつての士族のように魂などと思っているわけでもなければ、まして芸術的な美など求めてはいなかった。


「ふん。ならば俺の研ぎで十分だ」

「なるほど。ありがたい話ですが、これから所用があるので、その後でもいいですか」

「好きにしろ」


 凜に刀を返した雪宗の目が、陽鞠へと向かう。


「穢れを祓いに行くのか」


 腰に刀を戻す凜の動きが、一瞬だけ止まった。

 その目が冷たい警戒を湛える。


「どういう意味だ」

「その娘は巫女だろう」


 底冷えするような口調に変わった凜にも動じずに、雪宗は答える。

 袖を握る凜の気配が変わったのに気付いたのか、陽鞠が袖を離して刀を抜かせまいとするように腕を絡めた。


「巫女だったこともあります。巫女のことは、華陽様に聞いたのですか」

「そうだ。本当に瞳が金色なのだな」

「華陽様とは、そんな話をするくらいの付き合いがあったのですか」


 陽鞠の問いに、雪宗の瞳の奥が微かに揺れた。


「あいつの刀を打つ間、この家に逗留していたからな」


 一振りの刀を打つのに最低でも十日程度はかかる。仕上げまでの工程も含めれば、その程度では済まないうえに、華陽と凜の刀の同等の出来栄えを考えれば、何振りも打ったことは想像に難くない。

 華陽が滞在した期間はひと月やふた月ではなかったのだろうと凜は考えた。


「それは、いつ頃のお話なのですか」


 いやに質問を重ねる陽鞠に、凜の中の違和感が大きくなる。

 今の陽鞠と比べると、普段がいかに他人に無関心なのかよく分かる。雪宗の何がそんなに気になるのか分からなくて、凜は少し不満を感じた。

 そういえば今まであまり関わったことのない種類の人間だと凜は気が付く。こういう職人気質な大人の男が好みなのだろうか。

 新浜の町で会っていた相手も、もしかするとこんな男だったのかと、凜はあらぬ想像をしてしまう。そんなことはないと分かっているが、陽鞠の好きの意味が分からないから、男女のそれとは別だと言われたらと思うと胸が苦しくなる。

 そんな心の動きもまた、凜には不可解だった。陽鞠が誰に好意を持とうと、一番は自分で他の誰のものにもならないと言ってくれたのだのだから、それで十分なはずなのに。


「十七、八年くらい前だったな」

「華陽様が守り手を辞められて、ほどない頃ですね」

「そうだな。そんなことを言っていたか」


 この話題を続けることは良くない、と凜は根拠のない焦りを覚えた。

 江津を出てから華陽のことを一言たりとも口にしなかった陽鞠が、こんな無遠慮に口にすることがおかしかった。


「ところで、代刀はありませんか。預けるのは構いませんが、落ち着かないので」


 話題を変えるために、唐突に口をついた言葉が凜を苦々しい気持ちにさせた。

 陽鞠との約束とは関係なく、刀を手放すことに抵抗を感じる自分に初めて気付いてしまった。つい先日に刀を手放したほうがいいと大公に言われたことを思い出す。

 道具でしかないと思っていた刀に、いつの間にか依存する心が芽生えていた。


「ない。もう刀は打っていないからな」


 にべもない言葉に凜は返しに詰まる。

 口数の多くないもの同士、会話が続かなかった。陽鞠とであれば気にならない沈黙が、気まずく感じられる。


「それでしたら、研ぎに出している間こちらに泊めてもらいましょう」


 さも名案というように言った陽鞠を、凜はぎょっとして見る。

 しかも陽鞠は、雪宗ではなく凜に向けて言っていた。


「陽鞠、そんなことを勝手に決めては…」

「あら、凜は嫌なの」

「そうではなく、まず家主に聞くべきかと」


 凜の言葉に陽鞠は首を傾げて、それから雪宗に目を向ける。


「凜はこのように言っていますが、どうなのですか」


 口調や表情こそ穏やかだが、陽鞠にしては高圧的な物言いに凜には感じられた。

 雪宗は反発するでもなく、委縮するでもなく軽く鼻をならした。


「好きにしろ。狭い家だがな」

「ほら、凜。いいって言っているよ」

「まあ、陽鞠がいいならそれでかまいませんが」


 得心がいかないながらも、基本的に陽鞠の言葉に従う凜は、家主もいいと言っているのならと頷く。


「陽鞠、そろそろ行かないと遅くなりますよ」

「そうね」


 凜に絡めていた腕を外すと、陽鞠は行儀よく雪宗に頭を下げる。


「お邪魔いたしました。夜遅くならないうちにはまた伺います」


 踵を返す陽鞠に従いながら、凜は何とはなしに雪宗に目を向けた。

 一瞬だけ目が合った雪宗の目に宿る郷愁のようなものが、凜の胸をざわつかせる。

 それは瞬きの間に消えて、雪宗は再び作業へと戻っていく。

 視界の端にその姿を残像のように捉えながら、凜は陽鞠を追って小屋を出た。

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