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あの花かんむりを忘れない  作者: とらねこ
夢のあとさき
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 北玄大公がつけた案内人に従って望内の町に着いた凜たちは、その足で当初の目的である雪宗のもとに向かった。

 場所は大公から申しつけられたのであろう案内人が知っていた。

 鍛冶場が集まる郊外の、更にその外れにぽつんと建つ、家屋と一体となった鍛冶場。


 鍛冶場の入口の両脇には何故か歩哨のように衛士が立っており、凜たちを見咎めると警戒の色を滲ませた。

 その警戒は凜が腰に差す刀を見て、更に強いものになる。


「何者か」


 衛士の誰何の声に、凜と陽鞠は顔を見合わせる。

 確かに何者かと問われると答えに困る立場であった。


「大公閣下の客人だ。雪宗殿に届け物がある」

「大公閣下の?」


 凜たちより早く答えた案内人の言葉に、衛士たちは戸惑いの表情を浮かべる。

 一歩前に出た凜が懐から油紙に包んだ封書を取り出して表書きを見せた。

 そこには大公の署名と花押がある。

 衛士たちは喉の奥で音にならない唸り声を上げた。一介の衛士に花押の真偽など判断のつくはずもない。


「しばし待て」


 逃げるように衛士の一人が鍛冶場の中に入っていく。

 さして待たされることもなく、中から戻ってきた衛士は一人の男を伴っていた。


 年齢は二十歳をいくつも超えていないだろう。整えた総髪に背広を隙なく着こなした、文官然とした青年だった。

 肉付きこそ薄く寸鉄も帯びていないが、目配せや足運びから、それなりに遣うと凜は見てとる。

 青年は凜たちがうら若い娘であることに目を細めつつも、丁寧な仕草で頭を下げた。


「私は領主補佐官の緒方と申します」

「私は凜。こちらの家主に用があるのですが、何かあったのですか」


 それと知られている相手以外には、あまり陽鞠を表に出したくない凜が矢面に立つ。


「いえ。貴人が訪ねているので警護をしているだけです」


 こんな町外れの鍛治師に貴人が訪ねることを疑問に思うが、敢えて凜は口に出さなかった。

 鍛治師自体は社会的身分が低いわけではない。とくに一流の刀匠ともなれば、貴族が請うて招聘することもあるほどだ。

 しかし、雪宗などという刀匠は世に知られてはいない。貴人が自ら訪う相手としては不自然だった。


「大公閣下の遣いの方と伺いましたが、封書を検めさせていただいてもよろしいですか」


 緒方という青年の願いに応じて、凜は封書を手渡す。

 両手で丁寧に受け取った緒方は、花押に目を走らせ、すぐに封書を凜に返した。


「閣下の花押に間違いありません」


 そんな一目で判断がつくものだろうかと、凜は訝しむ。

 おざなりに言った体でもなく、よほど見慣れているのかもしれない。領主の補佐官であれば、文書の管理も任されていた可能性もある。


「封書は領主代行宛でしたが、こちらへはどのような用事で?」

「届け物があるだけです。すぐに終わるので、入れてもらってもよろしいか」


 凜の言葉に、少しだけ考えるような素振りをみせてから、緒方は頷いた。


「分かりました。どうぞ、お入りください」


 その言葉に衛士が扉を開き、緒方は中に戻っていく。

 それに続こうとした凜を、案内人が呼び止めた。


「凜殿。私はここで失礼する」

「ええ。案内ありがとうございました」

「…閣下の指示でしばらくこの町に留まります。何かありましたら、室洞屋むろとやという旅籠をお訪ねください」

「分かりました」


 凜が頷くと、案内人は軽く会釈をして、陽鞠にも頭を下げる。それから、踵を返し去っていった。

 その背中を少しだけ見送ってから、凛は陽鞠を連れて鍛冶場の中に入る。


 薄暗い鍛冶場には、緒方の他に二人の人物がいた。

 作務衣姿の鍛冶師らしき男の他に、育ちの良さそうな娘。

 二人はそれぞれ凜たちに目を向けていた。


 鍛冶師は横目で視線をよこす程度だが、娘の方が凜を凝視している。

 十五歳には届かない年頃だろうか。外出用でも仕立てのいい小袖の似合う、品のある娘だった。

 見惚れるような美しい顔立ちをしているが、陽鞠を見慣れている凜は無感情に娘の素性を推し量る。

 衛士を連れて歩いているらしきところを見ると、領主の縁者なのかと凜は思う。

 そんなことを凜が考えている間に、陽鞠が一歩前に出て口を開いた。


「もし、こちらは雪宗様のお宅で間違いないでしょうか」

「今日は何なのだ。こんな所に若い娘が日に何人も」


 陽鞠のかけた声に、鍛冶師は不機嫌そうなため息を漏らす。


「申し訳ありません。お取込み中でしたら、待たせて頂いてもよろしいでしょうか」

「陽鞠。用があるのは私なのですから」

「まあ、除け者はいやよ」


 何故か話を進めようとする陽鞠を、凜が諫めると不満そうな声が返ってくる。

 凜は苦笑いを返してから、自分を凝視する娘に向き直った。


「失礼ですが、込み入った用件でしたら、先にいいでしょうか。こちらはすぐに終わりますので」


 言った途端に隣で陽鞠が微かに眉を寄せたのが、凜には感じられた。意図が分からずに、凜は内心で首を傾げる。

 凜に声を掛けられた娘は、我に返って小さく咳払いをした。


「伯母様…大公様の書状をお持ちだとか」

「あなたは?」

「天羽渚と申します。この望内の領主の娘…でした」

「これは、失礼しました。私は凜と申します。こちらは陽鞠」


 凜の紹介に、陽鞠は品よくお辞儀をする


「この町の方ではありませんね。開拓民にも見えませんし、用向きを伺ってもよろしいでしょうか」

「大した用ではありません。雪宗殿に預かりものを返しに来ただけです」

「預かりもの、ですか?」


 渚の疑問には答えず、凜は背負った拵袋を手に取り、鍛冶師に歩み寄る。

 鍛冶師は初めて、凜の方に視線だけを流した。

 凜の顔を見て、眩しいものを見たかのように目を細める。


「あなたが雪宗殿で間違いないか?」

「そうだ」


 短く答える雪宗に、凜は拵袋を差し出す。


「剣の里の長、華陽からの預かりものです。あなたに返すように頼まれました」

「…そうか」


 受け取った雪宗は、房紐を解いて中の刀を取り出す。

 柄に手をかけ、しかし抜くのに逡巡した。


「もし…」


 雪宗の逡巡の隙を縫うように、渚が声を上げた。


「その刀を私に譲って頂くことはできませんか」

「私は預かりものを返しただけです。雪宗殿に聞くといいでしょう。ですが…」


 凜の目が雪宗が持つ刀に向かう。


「その刀はすでに折れています」


 凜の言葉に応じるように、雪宗は鞘から刀身を抜いた。

 物打から先が欠けた刀身が露になる。


「磨り上げれば、脇差にはなるでしょう。それでは、確かに渡しましたよ」

「待て」


 あっさりと踵を返そうとした凜を止めたのは、雪宗の声というよりも袖を握って動かない陽鞠の手だった。


「お嬢様は帰ってくれ。このものたちに用がある」

「ですが…」


 言い募ろうとした渚は、凜と目が合うと頬を赤くして口を噤んだ。


「渚様、あまり屋敷を空けると雪子様が心配されます」

「…分かりました。今日は帰ります」


 緒方の言葉に不承不承ながら、渚は頷く。

 踵を返し、渚は入口で行儀よく頭を下げた。


「渚様。後ほど、また」


 陽鞠の言葉に首を傾げながら、渚は緒方を連れて鍛冶場を静かに出て行った。

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