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あの花かんむりを忘れない  作者: とらねこ
夢のあとさき
80/115

転章

 望内の町は北玄州の州都薄岸から北に三日ほどのところにある。

 薄岸が他州との入口で外側との中心地であるなら、望内は開拓事業の本拠地で内向きの中心地だ。

 未開地は資源も豊富で、開拓に使われる工具などのために望内は工業も盛んであり、鍛冶師も数多く存在していた。

 鍛冶師たちの鍛冶場は、水の利用や音の問題から町の郊外の一角に集まっている。


 そのうちの一軒で、なぎさは槌の音に耳を押さえながら声を荒げていた。


「手を止めて話を聞いてくださいっ」


 まだ成人もしていないか細い少女の声は、槌の音にかき消される。

 渚は目の前で鉄を打つ鍛冶師を睨みつけた。

 鍛冶師は手を止めることもなければ、渚の方に目を向けることすらなかった。


 歳は四十を超えているだろうか。

 髭面で総髪を乱雑に束ねただけの作務衣姿のむくつけき男だが、顔立ちそのものは品よく整っていた。


「帰れ。ここはお嬢様の来るところではない」

「刀を譲っていただけるまでは帰りませんっ」


 槌の音に負けないように精一杯声を張る渚に、ため息をついて鍛冶師は手を止める。


「刀などもう打っていない。刀が欲しければ刀剣商に行け」

「刀剣商は叔父様が手を回して私に売ってくれません。刀匠たちも同じです」

「そうか。では、諦めろ」

「貴方は父の知己だったのでしょう。思うところはないのですかっ」


 食ってかかる渚に、鍛冶師が初めて目を向ける。

 その静かな目の重さに圧されて、渚はたじろいた。


「たしかに領主とは顔なじみではあった。しかし、それと刀に何の関係がある」

「父の仇を討ちたいのです」

「領主は病死と布告されていたが」

「父は穢れを生んだのです。誰かに殺害されたに決まっています」

「穢れ、だと…」


 鍛冶師が顔をしかめて、その鋭い眼光に渚は更に怯む。


「仇といっても、誰を討つというのだ」

「叔父様です! あの人以外にいません」

「何か証拠があるのか」


 冷静な鍛冶師の指摘に、渚は言葉に詰まる。


「…ありません。ですがっ」

「なければ、それはただの人殺しだ。そもそも、お嬢様の細腕で刀など振り回せるものか」

「出来る出来ないではありません。刺し違えてでも成し遂げるのです」

「お嬢様の戯言に付き合っている暇はない。お屋敷に帰りなさい。母上を心配させるものではないぞ」

「母は父が亡くなってから気鬱で臥せってしまいました」

「…ならば、尚更そばにいてやりなさい」


 鍛冶師の言葉に、尚も渚が反論しようとした時だった。

 入口が開いて、薄暗い鍛冶場に陽の光が差し込んだ。鍛冶師と渚の視線が入口に向かう。

 入ってきた線の細い役人然とした青年が、渚に耳打ちする。


「…伯母様の遣い、ですか?」


 渚はもう一度、入り口に目を向けた。

 開いたままの木戸から差し込む光の中に佇む、二人の人影。

 渚は目を細めて、鍛冶場に入ってきた二人を見る。


「もし、こちらは雪宗様のお宅で間違いないでしょうか」


 さして大きくもない声は、鈴の音のように可憐で耳に心地よく響いた。

 そして、一歩前に出た声の主は、その声以上に美しかった。

 年のころは十五歳ほどだろうか。

 丸みのある卵型の顔に、やや目尻の下がった優し気な目元。琥珀色に煌めく神秘的な金瞳。柔和な笑みを浮かべた艶めく花唇。

 小柄で女らしい豊かさこそないが、刺し子の上からでも分かる優美な曲線を描く華奢な肢体。


 領主の娘である渚でも初めて見るような可憐な美姫であった。

 惜しむらくは緩やかに波打った髪が老婆のように真っ白なことだが、それも見ようによってはうつし世とは思えない幽玄な雰囲気ともいえた。


 その美姫に寄り添うように立つ娘を見た渚は、声も出ないほどに目を奪われた。

 隣の少女よりはいくつか上に見えるが、二十歳には届かないだろう。

 裁着袴を皮の長靴でまとめた足はすらりと長く、並の男ほども背が高い。今時ではほとんど見ない刀を帯に差しているが、それがまったく違和感をおぼえさせない。

 凛々しく整った顔立ちをしているが、端々の柔らかい線で女であることを誤解させなかった。

 艶やかな黒髪を後頭部でまとめて垂らしたその姿は、優美な丹頂のようであった。


 切れ長の涼やかな目が、隣に立つ少女に向かう時だけ愛し気に優しくなる。

 それが自分に向けられたらどんなに喜ばしいだろうかと、渚は思わずにはいられなかった。


 渚が黒髪の娘に見惚れていると、それを遮るように金瞳の娘が一歩前に出た。

 一瞬だけ、金の瞳が冷たい光を孕んで自分を見たように渚は感じた。

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