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その五

 小太刀を手に、凜と由羅は対峙する。


 由羅が凜と暮らしはじめて、二か月が過ぎていた。

 凜から学問と礼儀作法、そして剣の基本を由羅は学んだ。

 学問などに関しては乾いた布が水を吸うように吸収した由羅だったが、剣術に関してはほとんど身に付かなかった。

 剣の握りや振り方、剣技の概念はあっという間に理解したが、里の剣術はついぞ体に馴染まなかった。というよりも、身につける気がなかった。

 凜と何度も剣を交わすうちに、里の剣術は自分には合わないことを由羅は理解した。

 生真面目な凜は型が違うと小言は言うものの、無理に直そうとはしなかった。

 強ければそれでいいという根底が、二人は共通していたのかもしれない。


 凜は基本通りの平青眼に構え、由羅は片手に無造作に提げたまま構えも取らない。

 由羅の方が少し背が低いのに、頭の位置は凜の方が低くなっている。

 由羅には、この重心を低くするのが理解できない。

 もちろん歩法という術理は凜から手解きを受けたが、べったりと足の裏を地面につけて咄嗟に動きにくくないのだろうかと思ってしまう。


「今日はわたしからいくよー」

「いちいち言わなくていいと言っているでしょう」


 すたすたと緊張感のない足取りで由羅は凜に近づく。

 間合いが二間を割ったあたりで、由羅が強く踏み込んだ。

 矢のように飛び込みながら、凜の首筋に切りつける。

 するりと体を躱した凜が置き土産のように残した胴払いを、由羅は横っ飛びに躱す。


「うーん」


 しっくりこずに由羅は首を傾げた。

 由羅の目には、由羅が踏み込んだ瞬間には凜が回避行動に移っていたように見えた。

 凜は由羅の剣を目で追っていない。


 剣や腕だけではなく、体全体から相手の動きを読むという理屈は由羅も理解している。

 しかし、実際に動いてからでも反応できるものを予測する意味が分からない。


 凜とは、この二か月で数えきれないくらい立ち合った。

 最初は速さと目の良さで由羅が凜を圧倒出来た。しかし、すぐに由羅の動きに慣れた凜が、虚実を交えた先読みで封殺してくるようになった。


「由羅」


 間合いが離れ、平青眼に戻った凜が静かに口を開く。


「あなたの目は天賦のものです。それを理解してください」

「分かっているよー」


 由羅とて、自分の目や反応速度が人より優れていることは自覚していた。


「いいえ、分かっていません。あなたは見えすぎるから、わたしの剣の動きにいちいち反応してしまう」


 凜は自分がそうしているように、体全体の動きを見ろと言ったのだろう。

 しかし、それを理解したうえで、由羅は真逆に解釈した。

 もっと、よく見ればいいと。


 凜の切先が下がり、半身となって切先を隠す脇構えに移行する。

 こうやって剣先を隠されると、凜の剣は本当に視認しにくかった。


 凜の剣は型に忠実で気を衒ったところはない。剣や体捌きの速さなら、年齢差もあって蘭の方が上だった。

 ただ、その精度が恐ろしく高くて、無駄がなかった。剣の握り、剣の振り、体捌き、その全てに一欠片の妥協も許さない。

 こんなものだろう、という遊びが凜の剣にはなかった。

 剣士というものを理解する上で、これほどの手本はなかった。


 由羅が踏み込む。

 まるでコマ落としのように見切り辛い凜の袈裟切りが迎え撃つ。

 由羅は剣先をよく見る。

 十分な速度がのったこれは実。

 一寸の見切りで踏み込みを止めた目の前を切先が通り過ぎる。

 流れずにぴたりと止まった剣が翻り、逆袈裟に切り上げてくる。

 速度が乗り切っていない。

 これは虚。

 横に躱させたところで変化するのだろう。

 だから、あえて剣筋の内側、凜の懐に飛び込む。

 普通ならそんなことはできない。

 由羅の目と反応速度だけがそれを可能とする。だから、凜に対応することはできない。

 凜が間合いを離すよりも早く、由羅の小太刀が胴に打ち込まれた。


「みごとです」


 間合いを切りながら、凜は悔しそうに言う。

 その顔を見ながら、由羅はあの間合いなら打ち込むより切り抜けてしまった方がよかった、などと考えていた。


「ですが、もうすこし型どおりに動いてください。鍛錬なんですから」


 凜の小言を、由羅は聞こえないふりをする。

 凜は理解していなかった。

 凜との立ち合いこそが、由羅の剣を剣術の型から乖離させて独自の術理として完成させつつあると。


 由羅が聞いていないと分かると、凜はため息をついて小太刀を鞘に納める。


「さて、ここでの鍛錬はこれで終わりです」

「里にもどるの?」

「ええ、食材も心許ないですし、これから寒くなると厳しいでしょう」


 二人が出会った頃、青々としていた山も、いまや赤く色づいている。

 山で獲っていた魚や鳥も冬になれば獲りにくくなる。


「わたしは小屋を片付けてから戻りますが、由羅も手伝いますか」

「やだっ」


 間髪入れずに拒否した由羅に、凜は呆れた顔をする。

 由羅にしてみれば、生真面目な凜は掃除も適当を知らないので小うるさかった。


「それなら、先に戻っていてください」


 とは言え、固いことを自覚している凜は、他人にそれを要求したりはしない。


「えー。一人で戻ってもつまらないよ」

「うろちょろされると目障りです。それに由羅はすぐに邪魔してくるでしょう」

「ひどーい」


 口ではそう言ったものの、凜の言葉にその通りだと由羅は思っていた。

 自分が近くにいるのに、凜が他のものに目を向けていると、心臓がざわざわして邪魔したくなるのだ。


「仕方ないなぁ。先に戻っているから、なるべく早く片付けてきてね」

「はいはい」


 おざなりな返事をして、凜は小屋に戻っていく。

 その背中が完全に小屋の中に消えるのを見送ってから、由羅は踵を返した。

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