三十
重ねられた唇から、少しだけ凜の驚きが伝わってくる。
凜から三回。陽鞠からこれで四回。
何度しても、陽鞠は凜と口づけしているというだけで、心臓は破れそうだし、頭は蕩けそうになる。
それでも、多少は慣れてきたのだろう。
一抹の理性を奮起して、陽鞠は自分の唇で凜の下唇を柔らかく食んだ。
受け入れてうっすらと開いた唇の隙間に、舌を挿し入れる。そういう口づけの仕方があるなど、陽鞠は知らない。自然とそうしたいと思った。
さすがに吃驚されるかと思うが、甘く咎めるように歯を立てられた後、凜からも舌を絡めてきた。
それがあまりにも嬉しくて、もっと深く、求めるように背中に腕を回すと、凜に腰を抱き寄せられる。
薄い襦袢越しに腰に触れられて、跳ねそうになる体を押さえながら、仕返しのように凜の背筋に指先を這わせる。
逃げるように背筋を反らせてくれることが、頭がおかしくなりそうなほどに気持ちよかった。
何度も繰り返して、凜が一番反応のいい箇所を探る。
それに抗うように、凜が陽鞠にわずかに体重をかけてきた。押し倒されそうになっていることが、陽鞠には分かる。
口づけの気持ち良さで腰砕になった体は従順に従いそうになるが、何とか堪えて逆に体重をかけ返した。
凜であれば小さく軽い陽鞠を押し返すことなど容易であったはずだ。
しかし、風呂場でもそうであったように、凜が押し返すことはないと、陽鞠には分かっていた。
凜の体が後ろに傾き、唇が離れ、布団の上に仰向けに横たわる。
「陽鞠…」
薄明かりに照らし出される、凜の微かに上気した顔。潤んだ瞳。艶めいた唇。
女の顔をした、凜。
いつも毅然とした凜の別の顔。それを見ても、陽鞠は失望などしない。
むしろ、嗜虐心や支配欲にも似た乱暴な感情が芽生える。
「凜。寂しくて不安なのでしょう。私が慰めてあげる」
言いながら、陽鞠は凜に覆い被さり、首筋に軽く歯を立ててから、唇をつける。
凜が漏らした吐息が耳朶をくすぐり、陽鞠の背筋を震わせる。
陽鞠は閨の睦ごとなど、何も知らない。ましてや女同士でどうするかなど分かりはしなかった。
だから、自分が凜にされたいことをするしかなかった。
凜の浴衣の襟に手を挿し入れ、肩をはだけさせる。普段ほとんど寝間着を用いない凜だが、この家に逗留している間は、雪宗が夜着に使用している浴衣を借りていた。
陽鞠の唇が凜の首筋を下り、はだけた肩から鎖骨に口づけを繰り返す。
そうしながら、襟の中に差し込まれたままの手が、凜の柔らかな膨らみに触れる。
輪郭を確かめるように指先が膨らみを伝い、手のひらで包み込む。
大きいわけではないが、形のいい膨らみの張りのある柔らかさに、陽鞠の思考は停止した。
膨らみかけ、くらいで止まってしまった自分のものとは比較にもならない。
この世にこんな触り心地のいいものがあるのかと、強く、弱く手のひら全体を使って触る。その動きに従って柔らかく形を変えるのに、離すとすぐに形が整う双丘に陽鞠の意識は奪われた。
「…ふふっ」
無心になって極上の手触りを堪能する陽鞠の耳を、凜の笑い声が打った。
我に返った陽鞠は、羞恥で耳まで真っ赤になる。
「…笑わなくてもいいでしょう」
「済みません。あまり一生懸命触るものですから」
いつもの様子に戻ってしまった凜に、陽鞠は悄然とする。
夢にまで見た想い人の体に、そういう意味で触れるのだから舞い上がってしまっても仕方ないではないか。知識も経験もないのだから、初めからそんなに上手くできるはずがない。
偉そうに慰めてあげるなんて言った自分が恥ずかしくなる。
すっかり壊れてしまった雰囲気に、泣きたい気分で凜から離そうとした陽鞠の腕が、柔らかく掴まれた。
えっ、と思った瞬間には、視界がぐるりと回る。何が起きたのか分からず、陽鞠は目を瞬かせた。
見下ろしていたはずの凜が、いつの間にか見下ろしており、陽鞠が布団に組み敷かれていた。
はだけたままの凜の胸が目の中に飛び込んできて、陽鞠の心臓が跳ねる。
「凜…?」
「慰めてくれるのではないのですか」
「え?」
凜の声には遊びがまるでなく、真剣そのものだった。
見下ろす凜と、しっかりと目が合う。
そこには、陽鞠の知らない凜がいた。
とても熱いのに、獲物を捕食する獣のように冷たい目。その目に見られていると、恐ろしいわけでもないのに、陽鞠は力が入らなくなった。
「陽鞠。女が体を使って慰めると言ったら、普通は抱かれる方です」
「でも、凜は…」
女の体に興味はないでしょう、と言いかけた陽鞠の唇が唇で塞がれた。
唇を甘噛みされ、息もできないくらいに口の中を舌で蹂躙される。
先ほど凜に同じようにした時も気持ちよかったが、凜からされるのはその比ではないくらいの快楽だった。
夢中になって応える陽鞠は、凜の頭に腕を回す。どこかに飛んでいってしまいそうな心と体を、凜にしがみつくことで堪える。
「ぅあ…」
たっぷりと唇と口の中を弄んだ凜の唇が離れていくことを、陽鞠は物足りないとは思わなかった。足の付け根から溢れたものが太腿まで濡らし、もう少しで得体の知れない感覚が上り詰めてくるのが分かっていた。
自分の唾液で濡れた陽鞠の唇を撫でた凜の指先が、首筋を伝い、淡い胸の膨らみを伝い、お腹を伝い、腰紐をするりと解く。
指先が薄い襦袢越しに体を撫でるくすぐったさすらも、背筋を震わせる快楽に変わる。
逃げようにも、右手首は凜に掴まれたままで、身動ぎする程度しかできない。手首を掴む力は真綿のように柔らかいが、陽鞠がどう足掻いても逃さない意思が感じられた。
はだけた襦袢の合わせから忍び込んだ凜の手のひらが、下に何もつけていない陽鞠の腰骨に直に触れた。
風呂の中とはまったく違う、素肌に直接触れられている感覚に腰の奥が甘く痺れる。
その痺れは、凜の手が脇腹へとゆっくりと上がったいくことで、全身に広がっていく。
脇腹を撫で上げた手のひらが、陽鞠の淡い胸の膨らみを包み込む。触れるか触れないかの繊細さで、形を確かめるように何度かさする。凜の指先が、胸の頂の敏感な部分に触れるたびに、陽鞠の体が小さく跳ねる。
「りんまって、まって」
弱々しい声で制止しても、陽鞠の体はまったく抵抗しようとはしない。
陽鞠はどこかで甘くみていた。
男と女の睦ごとも知らない陽鞠は、凜に対して情欲こそあれど、それがどういうものか想像できていなかった。まして、女同士で体を重ねることを、抱擁の延長線くらいに考えていた。
しかし、体は心の現し身。
想い人に体を愛でられることは、心が砕けてしまいそうな悦楽だった。
ただ、触れられるだけのことが信じられないくらいに気持ちいい。それが逆に、この先の行為に対して陽鞠に恐れを抱かせた。
「やはり、人を斬った手に触れられるのは恐いですか」
「ちがう、きもち、よすぎて、こわれちゃう」
言葉を交わす間も、凜の手と唇が陽鞠の全身を這う。
凜の優しい手つきは、しかし容赦なく陽鞠の敏感な部分を暴いていく。
「あとで続きをと言ったのは陽鞠ですよ。風呂で誘ってきたのも陽鞠です。今さら、駄目だと言っても聞きません」
「でも…」
言葉までもが、陽鞠を容赦なく責め立てる。
凜が自分のせいにしてくれたことに喜ぶ余裕も陽鞠にはなかった。
凜の手が、陽鞠の下腹部に触れる。
陽鞠は反射的に太ももを合わせて、足を強く閉じた。そんな抵抗は何の意味もないと分かっていたが、恥ずかしげもなく大事なところを曝け出す女だと凜に思われたくなかった。
凜の手が陽鞠の太ももの内側を、足を開くことを促すように何度も撫でる。
その度に陽鞠は弛緩して、すべてを凛に委ねそうになる。目を閉じ、下唇を噛み、体を縮こまらせて堪えた。
そんな抵抗は簡単に破ることができるはずの凜は、しかし優しく太ももを撫で続ける。
「陽鞠…」
耳元で名前を呼ばれる。
頭が蕩けて、理性が綻びる。
「自分でおねだりして」
「…はい」
凜の言葉に逆らうなどできるはずもなく、陽鞠は凜の指を招き入れる。
誰にも触れさせたことのないところに、凜が触れることの悦びと、すでにあられもないないほどに濡れそぼってしまっていることを知られる羞恥。
ぐちゃぐちゃになった陽鞠の感情は、凜が指を動かすとすべて快楽に塗りつぶされる。
「陽鞠…」
指を動かしながら、凜は陽鞠の額や、頬や、首や、耳や、唇に何度も唇を落とす。
「どうして、こんなことしようと思ったのですか」
「そんな、こと、いま、きかないで」
頭が回らない。何と答えればいいのか、正解が分からない。
考えて、考えて、一番いいと思える言葉を探さないといけないのに。全てが気持ちよさに上書きされて、陽鞠の思考はまとまらなかった。
「陽鞠は考えすぎますからね。今なら、正直に言ってくれるかと」
「わた、し。りんに、うそなんて、いわない」
「嘘は言わなくても、言葉は選ぶでしょう。ほら、答えてください」
「わたしが、りんを、こわがって、いないって、しょうめい、したかった、の」
ままならない呼吸の合間に、陽鞠は喘ぐように言葉を落とす。
「可愛いですね。陽鞠は」
丁寧に、繊細に動き続ける凜の指。
壊れてしまいそうなほどに気持ちいいのに、陽鞠はもどかしさを感じていた。
心が、体がこの先があることを知っていて、それを求めていた。同時に、それが境界でもあることも分かっていた。
その境界を踏み越えたとき、凜の支えになりたいという嘘ではない建前は剥がれ落ちて、ただの女として自分が顔を出す気がして、陽鞠は怖かった。
嫉妬深く、独占欲が強く、凜の幸せよりも凛といる自分の幸せを優先する、ただの女が。
「愛してます。陽鞠」
陽鞠の耳元で囁かれた言葉が、すべてを決壊させた。
思考は洗い流されて、本能だけが陽鞠を支配する。
ゆるく開いていた足を閉じて、凜を自分の中に誘う。
凜がその意図に気づいたかどうかは、陽鞠には分からない。ただ、陽鞠の望みは叶えられた。
感情が涙となって溢れる。その感情が幸福感なのか、喜悦なのか陽鞠にも分からなかった。
陽鞠は生まれて初めて、満たされるということを知った。




